2007.10a / Pulp Literature

2007.10.1 (Mon)

ジョン・フォード『アパッチ砦』(1948/米)

アパッチ砦(112x160)

★★
Fort Apache
ジョン・ウェイン / ヘンリー・フォンダ / シャーリー・テンプル / ペドロ・アルメンダリス / ウォード・ボンド
アイ・ヴィー・シー 【Amazon

アリゾナのアパッチ砦に赴任してきたサースディ中佐(ヘンリー・フォンダ)。インディアンを舐めている彼は、ヨーク大尉(ジョン・ウェイン)の忠告を無視して、全軍を挙げた討伐に乗り出すことになる。

随分ともやもや感の残る映画だった。無謀な突撃をして味方を壊滅させた中佐が、死後英雄になっているのは何かのアイロニーなのだろうか。インディアンを軽視した彼はろくにリサーチもせず、己の信条を貫くためにいらぬ戦いを仕掛けている。交渉でインディアンと対峙したときに、「お前たちは豚だ」と言い放つところが印象的。途中まで頑固なワンマン上司として描かれていた彼は、終盤、「誇り」の名のもとにキャラが美化されることになる。なるほど、率先して命を投げ出したのだから、確かに勇敢だったのかもしれない。しかし、彼は将校であり、部下の命に責任を持つ立場だ。私情のためにあれだけ無駄死にさせておいて、軍人の鑑みたいに持ち上げるのは、いささか無理があると言わざるを得ない。本来だったら無能のレッテルを貼って然るべきだろう。この辺、戦後間もない当時の気分を反映してそうで気になる。

少数の兵士がインディアンの騎馬隊に追いかけられるシーンは、まるで今日のカーチェイスのよう。6頭立ての馬車が疾走する様は迫力があるし、荷台に乗った兵士が1人ずつ追っ手を撃ち倒していくショットは爽快感がある。こういう映画を観ると、車やバイクを使った曲芸は、馬を駆っていた時代の名残りなのだなと改めて思う。

鬼教官が新兵を罵倒しながら訓練する。『フルメタル・ジャケット』【Amazon】ほどではないにせよ、彼らのやり取りにはユーモアが詰まっていて面白い。テキサスでは種牛とオカマ野郎しかとれないそうだけど、アリゾナでも同様だったりするのだろうか。

2007.10.2 (Tue)

バンジャマン・コンスタン『アドルフ』(1816)

アドルフ (新潮文庫)(110x160)

★★★
Adolphe / Benjamin Constant
新庄嘉章 訳 / 新潮文庫 / 2004.6
ISBN 978-4102073018 【Amazon

22歳の青年アドルフが、虚栄心を満足させるため、伯爵の愛人エレノールを誘惑する。めでたく愛人を手に入れたアドルフだったが、今度は彼女の愛が重荷になって関係を解消したくなる。

こぶ付きの年増を口説いたのが運の尽き。略奪愛だから世間の評判は芳しくないし、元々好きじゃなかったからすぐに飽きがきている。たとえるなら、『アンナ・カレーニナ』【Amazon】をヴロンスキーの視点から描いたような話。アドルフの心理を一人称視点で克明に綴っている。

とにかく2人のぐだぐだっぷりが凄まじい。紙幅の半分近くが倦怠の悩みに費やされている。将来のあるアドルフは、早くエレノールから解放されて社会に飛び出したいのだけど、憐憫の情から彼女を捨てることができない。せっかく周囲が別れをお膳立てしてくれたのに、半端なやさしさを発揮して計画をご破算にしている。彼は憐憫と冷酷の二律背反に引き裂かれており、その優柔不断な態度が双方にとっての悲劇を生んでいるのだ。虚栄心から口説いたくせに、後始末も満足につけることができないアドルフ。この男は文学史上屈指のだめんずである。

改版についている堀江敏幸の解説が秀逸。「近似値としての恋」という目のつけどころもさることながら、比喩をはじめとした言い回しがとてもスマートだった。文章の流れも淀みがなく、これを読むためだけでも本書は買う価値がある。

アドルフの心は空っぽである。無関心や無気力ともちがって、とにかく空虚なのだ。彼の欲望は他人の欲望の満たされ方を観察したうえで、それに対する嫉妬としてもたらされる。発火点は自分の心の中になく、外部からもたらされる。恋愛だって例外ではない。それがこの小説を動かしていく核であり、もっとも痛ましい美点なのだ。(p.156)

アドルフはつねに、相手の感情の近似値に言葉の焦点を合わせていく。真の値ではないけれど、実用的にはそれを使って差し支えない数値。そこには最初から増減の幅がふくまれているので、かなりの範囲で使いまわしができる。(p.159)

誘惑しなければ自分が満足できず、断られればますますその欲望を募らせ、いったん成就するとたちまち飽きてしまって、今度は火のついた相手を重荷に感じる。いつわりの振り子が左右に振れることはあっても、中央で静止することはない。(p.159-60)

アドルフの自己分析は、たしかに詳細をきわめている。だがきわめればきわめるほど、つねに本質から遠ざかっていく。透明な文章の連なりがしだいに半透明の膜をつくって、ときおり箴言のなかに逃げ込む。言葉は断言と一般論に呑まれ、自由を奪われてしまう。(p.161)

学者的資質と作家的資質が溶け合った美しい文章。イメージを喚起させる比喩が素晴らしく、宵闇のなかでくっきりと灯りを照らされたような気分になる。明晰な言葉が持つ力をひしひしと感じた。

2007/10/25 追記
三島由紀夫によると、『アドルフ』は「性格という概念を正確に信じて、性格の演ずるとおりの劇をとことんまで演じた」小説であり、ここで描かれた恋愛は、「性格の衝突、性格の演ずる葛藤」なのだという。そして、「性格というものの概念を如実に知りたかったら、是非『アドルフ』をお読みなさい」と勧めている(引用は『文章読本』【Amazon】 p.220,21から)。

2007.10.6 (Sat)

ジョン・バンヴィル『海に帰る日』(2005)

海に帰る日 (Shinchosha CREST BOOKS)(111x160)

★★★★
The Sea / John Banville
村松潔 訳 / 新潮クレスト・ブックス / 2007.8 / ブッカー賞
ISBN 978-4105900618 【Amazon

老境の語り手が、少年時代の思い出の家で回想する。今から半世紀ほど前、双子の姉弟と知り合った語り手は、彼ら一家と夏の日々を過ごしていた。その記憶が、亡き妻と過ごした最近の記憶と交錯する。

人生は、ほんとうの人生は闘いであり、たゆまぬ行動と確認であり、世界の壁に頭からぶつかっていく意志であり、そういった諸々なのに、振り返ってみれば、わたしはいつも自分のエネルギーの大半をただひたすら避難所を、慰めを、そう、わたしは認めるが、ぬくぬくとした心地よさを求めることに費やしてきた。(p.59-60)

カズオ・イシグロといい、グレアム・スウィフトといい、イギリス方面の作家は人生を振り返るのが好きすぎる。本作もその系統の小説で、エロスを象徴する少年期と、タナトスを象徴する老年期、対称的な2つの記憶を絡めて、老人の孤独を浮き彫りにしている。貧しい家庭に生まれた彼は11歳のとき、海辺のサマーハウスで財産家の一家と知り合った。当初はそこのマダムに欲情しつつ、同年代の双子の姉弟と行動を共にする。一方、亡き妻との思い出は死臭に包まれていて、癌に冒された彼女との思い出が中心になっている。この小説はびっくりするくらい筋書きに起伏がないのだけど、だからといってつまらないわけではなく、透明感のある文章と、記憶を混交させる語り口が、幽玄な味わいを出していて読ませる。また、終盤ではミステリの技法を使った「演出」によって、溜まった感情の澱が堰を切って流れていく、そんな腑に落ちる感覚を生み出している。まるで『わたしを離さないで』のような、著者の超絶技巧を堪能した。

翻訳も素晴らしい。派手に彩色された『バーチウッド』に対し、こちらは穏やかな海のような、静謐な表現に終始している。やはり、一流の翻訳家は言葉の選び方からして違うようだ。

>>新潮クレスト・ブックス

>>Author - ジョン・バンヴィル

2007.10.8 (Mon)

V・S・ナイポール『魔法の種』(2004)

魔法の種(110x160)

★★★
Magic Seeds / V.S. Naipaul
斎藤兆史 訳 / 岩波書店 / 2007.9
ISBN 978-4000248037 【Amazon

アフリカを離れ、ベルリンの妹の家に寄宿していたウィリーが、妹に感化されて政治闘争の道へ。下級カーストを解放するゲリラ部隊に加わるべく、単身インドへ渡る。

「世界に理想的な姿を求めるのは間違っている。そういうことをするから災いが起きるのだ。そこからすべてが崩れていく。だが、それをサロジニに伝えるわけにはいかない」(p.333)

『ある放浪者の半生』の続編。例によってモラトリアム人間が主人公の自分探し小説だけど、今回はゲリラ活動を通してインド人の駄目さをえぐっていて面白い。インド人には歴史感覚がないし、下級カーストの人たちは支配されることに慣れきっているから、いまさら現役の世代を啓蒙することはできない。領主を殺せといっても応じないし、そもそも外の世界を知らないから、自分たちの生活を酷いものだと認識していない。仕方がないので彼らの幸福は考えず、3世代下の人たちに照準を合わせて世の中を作り替えようとする。

ウィリーが参加したゲリラは中産階級が主体であり、彼らは共産主義を旗印に日夜訓練に励んでいる。しかし、ゲリラといっても所詮は頭でっかち集団である。自分たちが計画通り動いているときは勇敢だったのに、敵の存在がちらつくや途端に取り乱してしまう。しかも、ヘタレな癖に武器だけは一丁前だから、裏切り者や警官を射殺して、自分たちへの締め付け厳しくしている。大人しくごっこ遊びに終始していればいいものを、数字を求めて半端に活動するからさあ大変。この辺の駄目っぷりは全共闘を彷彿とさせる。

ウィリーがアフリカを離れたのは、「他人の人生を生きている」と感じたからだし、ゲリラ活動に参加したのも同じ理由からである。果たして彼は理想の生を見つけることができたのだろうか? ロンドンに移住してからは建築家への道が開かれるものの、歳が歳だから大成するのは難しそうである。くわえて、ロンドンでも彼の周囲は欺瞞に満ち溢れており、それらを目の当たりにしたウィリーは、一つの諦観めいた結論を下すことになる。全ての理想を求める人たち――ゲリラ、ロジャー、サロジニ、そして自分――を含むこの結論はなかなか深い。

>>Author - V・S・ナイポール