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2007.10.11 (Thu)
▽ジャック・リッチー『ダイアルAを回せ』(1958-)

★★★★
Dial an Alibi and Other Stories / Jack Ritchie
駒月雅子・他 訳 / 河出書房新社 / 2007.9
ISBN 978-4309801056 【Amazon】
日本オリジナル編集の短編集。「正義の味方」、「政治の道は殺人へ」、「いまから十分間」、「動かぬ証拠」、「フェアプレイ」、「殺人はいかが?」、「三階のクローゼット」、「カーデュラと盗癖者」、「カーデュラ野球場へ行く」、「カーデュラと昨日消えた男」、「未決陪審」、「二十三個の茶色の紙袋」、「殺し屋を探せ」、「ダイアルAを回せ」、「グリッグスビー文書」の15編。
相変わらず捻りが効いていて面白かった。殺人を娯楽化するというミステリの醍醐味を、抜群のユーモア精神でドラスティックに推し進めている。とりわけ先鋭的なのが最初の7編で、いずれも感傷や教訓の入る余地がない。ただひたすら殺人ゲームに徹している。こういうのを読むと、文体と構造こそが小説の本質なのだなと思う。
一方、「三階のクローゼット」、「グリッグスビー文書」は、遊戯性よりも小説としての味わいを究めていて読み応えがある。この著者の作風は意外と多彩だ。
以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた(15編中5編につけた)。
「正義の味方」(1958)"Deadline Murder"
有名人のスキャンダルを暴くことで金と地位を得ている男。彼のボディガードのもとに殺しの依頼がやってくるが……。
まあ、よくいる胸くそ悪いイエロー・ジャーナリストだけど、それにしても、人が死んでこれほどすっとする小説なんて久しく読んでないな。事を成し遂げた後のラスト一行が最高。直前のアクションとの落差が凄い。☆。
「政治の道は殺人へ」(1960)"Politic Is Simply Murder"
夫を下院選に出馬させようという金持ちの女が、殺し屋にゆすり屋の殺害を依頼する。
実は女の知らない裏の事情があって、殺し屋も商売だから利益を最大化する形で仕事をする。顔見知りでも躊躇なく殺すところはさすがプロ。でもって、その後の捻りも見事決まっている。☆。
「いまから十分間」(1963)"Ten Minutes from Now"
箱を持った男が市庁舎に乗り込み、警官と揉め事を起こす。
爆弾がらみの犯罪かということで警戒される。だんだんと男が狂気じみてきて、何だこれはと思っていたら、最後の最後でやってくれた。ドライなところが著者らしい。
「動かぬ証拠」(1960)"Shatter Rroof"
金持ちの男の家に自動小銃を持った殺し屋がやってくる。何でも依頼人は妻だという。
その殺し屋には買収が効かないうえ、実行前にターゲットとの会話を楽しんでいる。金持ちの命は風前の灯火であり、普通だったら怯えるところを、なぜか彼は冷静な態度で会話に応じている。いったい彼らの運命はどうなるのか?
この小説は危機を回避する頭脳プレイもさることながら、災い転じて福となす、ブラックなオチが素晴らしい。論理の面白さを示した切れ味鋭い短編だった。本書のなかではこれがベスト。☆。
「フェアプレイ」(1959)"Fair Play"
互いに毒殺の隙を窺っている夫婦の話。
油断ならねー。当然のことながら、食べ物も飲み物も危険。そうこうしているうちに、片方が絶妙なアイディアで殺しにかかる。毒殺に汚いも糞もあるところが可笑しい。この夫にしてこの妻ありか。
「殺人はいかが?」(1964)"Anyone for Murder?"
心理学の教授が実験のために新聞広告を出す。その文言は、配偶者殺しを請け負うというニュアンスを含んだものだった。
様々な事実の一致から、妻が依頼してきているのではと疑う。アメリカ人っていうのは、配偶者を殺したくて殺したくて仕方がないのだな。いや、日本人も同様か? モラリストの教授を突き動かすラストには苦笑してしまう。
「三階のクローゼット」(1980)"The Third-Floor Closet"
家政婦が仕事先で死んだ。警察が家を捜索すると、三階のクローゼットのなかに人がいた。
ロンリーガイの悲哀が感じられる叙情的な話だった。こういう短編が異色に見えてしまうのが、この著者の恐ろしいところである。
「カーデュラと盗癖者」(1978)"Cardula and the Kleptomaniac"
吸血鬼探偵のカーデュラが、屋敷内にいるという盗癖者を突き止める。
依頼人には隠された事情があったという。カーデュラさんは吸血鬼の癖に正義漢なところが良いね。泥を被らないよう配慮している。っていうか、あっさり首をへし折っている。
「カーデュラ野球場へ行く」(1978)"The Return of Cardula"
野球場のロッカールームで盗みをはたらいた男が、何者かに拳銃で撃たれて死亡。彼は「雪がない(No Snow)」というダイイングメッセージを残していた。吸血鬼探偵のカーデュラが真相を突き止める。
赤い裏地のマントで野球(もちろん、ナイター)を観戦するカーデュラさんが素敵だ。怪しい、怪しすぎる。
「カーデュラと昨日消えた男」(1983)"Cardula and the Briefcase"
吸血鬼探偵のカーデュラが、行方不明になった泥棒の顛末を探る。
調査の過程で女の犯罪が明るみになるわけだけど、それにしてもオチにはびっくりした。モラリストの本領発揮という感じ。人外の者が言うから余計すっとする。☆。
「未決陪審」(1977)"Hung Jury"
ある裁判の陪審員、3名が殺害された。彼らはいずれも裁判で無罪を主張した人たちだった。ターンバックル部長刑事が捜査する。
事件を通じて男女にロマンスが、というのもミステリの定番。
「二十三個の茶色の紙袋」(1979)"The 23 Brown Paper Bags"
58歳の男が車のなかで射殺された。後部座席には23個の茶色の紙袋が残されており、なかには同じブランドの石鹸が2つずつ入っていた。ターンバックル部長刑事が捜査する。
刑事の超絶推理が物証によって覆される。最後の推理もちょっと怪しい。
「殺し屋を探せ」(1982)"Murder Off Limits"
管轄外で連続殺人が発生。ターンバックル部長刑事が捜査する。
被害者の共通点から、ある組織に目星をつける。でもって、犯人と思しき人物を罠にかける。しかし、方向は悪くないのに、決定的な部分が違っていた。こういうのを読むと、多くの「名探偵」はたまたま推理が当たっていただけなのだなと思う。
「ダイアルAを回せ」(1983)"Dial an Alibi"
裕福な男が自殺と思しき状況で死んだ。ターンバックル部長刑事が捜査する。
名探偵(?)も形なしでござるの巻。容疑者を外見で判断するところはフロスト警部っぽい。
「グリッグスビー文書」(1971)"The Griggsby Papers"
左遷された刑事が、1863年の未解決事件を捜査する。医者が何者かに刺殺されたが犯人は挙がっていない。
事件は曾祖父の代に起きたものだから、当然証言者はなく、当時の記録や物証から推理する。文系肌の保安官とか、金持ちの一族とか、開拓時代の一コマを覗き見る感覚が良い。当時の人たちもそれなりのトラブルを抱えて生きていたのだ。☆。
2007.10.13 (Sat)
▲C・N・アディーチェ『アメリカにいる、きみ』(2001-)

★★★
Collecterd Stories / Chimamanda Ngozi Adichie
くぼたのぞみ 訳 / 河出書房新社 / 2007.9
ISBN 978-4309204796 【Amazon】
日本オリジナル編集の短編集。「アメリカにいる、きみ」、「アメリカ大使館」、「見知らぬ人の深い悲しみ」、「スカーフ――ひそかな経験」、「半分のぼった黄色い太陽」、「ゴースト」、「新しい夫」、「イミテーション」、「ここでは女の人がバスを運転する」、「ママ・ンクウの神さま」の10編。
著者はナイジェリアのイボ族出身。本書は女性的な感性を駆使して、イボ人女性の屈折した内面を描いている。登場人物があまり周囲と妥協しないのは、みなインテリでプライドが高いからだろうか。ほとんどの人たちが、自分の物差しでもって世界(=敵)と対峙している。マイノリティであること、女性であること、そして他者の眼差しへの反発。その刺のある態度にくらくらしてしまった。
以下、各短編について。
「アメリカにいる、きみ」(2001)"You, In America"
学業のためアメリカに渡ったイボ人の女が、白人の男子学生と知り合う。当初はぎくしゃくしていたものの、いつしか肉体関係を結ぶようになる。
イボ人女性とアメリカ社会のズレを辛辣に描いている。マイノリティと接するのは大変だなという感想。珍獣あつかいされたり、見下されたり、他のアフリカ人と混同されたり、そういうくだらないことを気にしている。でも、仕方がないのだ。他人種からすれば黒人なんてみな同じ顔に見えるし(ウィル・スミスとクリス・タッカーの区別がつかねー)、生活するからには社会に根付いたステレオタイプから逃れることもできない。だいたい当の黒人だって、中国人と日本人の区別もつけられないのだからおあいこである。でまあ、こういう図々しさが抜け落ちているところが若さゆえなのであり、移民にとっての第一の関門なのだと思う。
地の文で女のことを「きみ」と呼ぶ語り口が良かった。アメリカでの成功を願っている、そんな好意が感じられる。きっと語り手は女に恋していたのだろう。★★★。
「アメリカ大使館」(2003)"The American Embassy"
ラゴスのアメリカ大使館で難民ヴィザを申請する女。女の夫は反政府のジャーナリストであり、子供は兵士によって射殺された。
子供を殺された女のいらだち。政府の犬が下手人とはいえ、それを呼び込んだのは夫であり、周囲の人間は傍観者である。報道、大使館、リベラルな男と、女の怒りは自分を取り巻く世界に向かっている。女にとっては民主制も独裁制も権力システムであることに変わりがなく、そんな奴らに自分の子供を売り渡したくない。この小説はあまりに女性的な感情の機微を描いている。
しかし、こういうのは傍から見れば自分本位にしか映らないよね。被害者の特権を行使して拗ねているみたい。O・ヘンリー賞。★★★。
「見知らぬ人の深い悲しみ」(2004)"The Grief of Strangers"
身内に不幸があって心に傷を負った女。彼女がロンドンでの見合いを機に回復する。
メンヘル女が周りに迷惑をかけながら回復する鼻持ちならないストーリー。正直、むっとくることしきりだったけれど、小説としてはよくできているから文句を言うわけにもいかない。
人種の話題になると神経質になるのは、女がインテリだからだろうか。こういう輩は一度、「アイアム、ニガー!」と叫びながら繁華街を練り歩くべきである。吹っ切れるぞ。★★★★。
「スカーフ――ひそかな経験」(2002)"A Private Experience"
街で暴動が発生。イボ人の女子大生が、ハウサ人の女と廃屋に避難する。
イボ人がキリスト教徒なのに対し、ハウサ人はイスラム教徒。過去、ハウサ人はコーランを車で轢いたという理由で、イボ人の男の首を刎ねてあちこちに引きずり回したことがある。そんな危険な関係にある部族だけど、避難する2人は互いに助け合っている。
あとからBBCラジオが死者や暴動のことを感情を交えず――「宗教的なものの背景には少数民族間の緊張がある」と早口の、あれほど多くの死体のことをすべてわずかなことばに押し込めて、都合の悪い部分は削って無菌化してしまうやり方に、烈しく、燃えるような怒りが全身を駆け抜けるのを感じることになる。(p.84)
報道への怒り。地に足のついてない感覚とか、無機質ゆえの権威とか、報道の先にいる傍観者とか、色々な要素が混じってそう。BBCということは、かつての宗主国でもあるわけだな。★★★。
「半分のぼった黄色い太陽」(2002)"Half of a Yellow Sun"
イボ人が独立を宣言して内戦に突入、語り手一家はナイジェリア人からイボ人になるが……。
ビアフラ戦争を題材にした小説。家族を抱える生活者(女)の視点から、弟たちとの戦時下の生活を物語る。★★★。
「ゴースト」(2004)"Ghosts"
ビアフラ戦争から37年後、死んだと思った男が目の前に現れた。
あの頃は若かったが、今は退官して年金を受け取る身(しかし、年金は不払い)。時の移ろいを噛みしめつつ、老人たちは前に向かって進んでいく。戦後を舞台にした余韻の残る短編だった。★★★★。
「新しい夫」(2003)"New Husband"
女が恩人の紹介で医者と結婚、夫の住むアメリカに移住する。
夫はアメリカで成功しようという意志が強く、言葉遣いから生活習慣まで同化に心を砕いている。名前はアメリカ式だし、料理もジャンクフードをぱくつくほどだ。「郷に入りては郷に従え」という諺の通り、この方針は圧倒的に正しい。
ただ、その後がよくなかった。夫はDVオヤジ並の身勝手な考えをぶちまけて、女の心を傷つけている。男尊女卑ここに極まりって感じだけど、しかしこういうのは日本の田舎でもありそうである。北陸の農家とか、九州の男児とか、つまり嫁入りの弱み。無一文の現状では嫌でも頼らざるを得ないから大変だ。★★★★。
「イミテーション」(2003)"Imitation"
アメリカで子供と暮らしているナイジェリア人の女。夫は商談のためにほとんどナイジェリアで過ごしており、現地のドレッドヘアとよろしくやっている。
旦那のおかげで裕福な暮らしをしている癖に、とか言ってはいけない。美人の奥さんがいるのに怪しからん奴だ、と憤慨すべきである。★★★。
「ここでは女の人がバスを運転する」(2003)"Woman Here Drive Buses"
フィラデルフィアに住む移民の青年が、バスの女運転手と親しく話をするようになる。
後味すっきりのさわやかな内容だった。まるで朝の目覚めのような読後感。著者はこういう短編も書けるのだな。★★★。
「ママ・ンクウの神さま」(2004)"Recapured Sprits"
レズビアンの大学教員が生徒に家族の話をする。
ナイジェリアはイギリスの植民地だったからキリスト教が侵入してしまった。本作は文化的アイデンティティについて考えさせる。★★★。
2007.10.15 (Mon)
▲P・G・ウッドハウス『ブランディングズ城の夏の稲妻』(1929)
★★★
Summer Lightning / P. G. Wodehouse
森村たまき 訳 / 国書刊行会 / 2007.9
ISBN 978-4336049506 【Amazon】
信託財産の分与を画策すべく、甥のロニーがエムズワース卿の豚を連れ出して森の中に隠す。さらにロニーとスー、ヒューゴーとミリセント、それぞれの男女関係がこじれる。寄りを戻したいスーは、別人に成り済ましてロニーの住むブランディングズ城に入るが……。
ウッドハウス・スペシャルの第1弾。どうも感情移入の対象がぼやけていると思ったら、この小説は視点が三人称だった。
ジーヴスものでは、語り手のバーティーがみんなの利害を一身に引き受けるような構造になっていた。それに対して本作は、焦点となる人物を複数設定することで、利害を分散させるような構造になっている。前者ではジーヴスという知恵者によって、一気に問題が解決されるけれど、後者では各自の誤解が解けることによって、ゆるやかに大団円を迎えている。これはおそらく、映画か舞台を意識したのだろう。視点が分散することで、喜劇の全体性が強調されている。
この世界じゅうに執事が両眉を上げるに価するとみなす事柄はほぼ皆無である。そのごくわずかのうちのひとつがこれだった。彼は一瞬立ちつくし、両眉上げをエムズワース卿にこれ見よがしに誇示してみせた。それからバクスターの方に向き直り、彼にもそれが見えるようにした。これがひとまず済んだところで、彼は両の眉を下げ、およそ八分の三の笑みが唇の周りに遊ぶままにした。(p.296-7)
いつも通りプロットを操る手つきが巧妙。とりわけ、ギャリーの回想録の使い方に驚きがある。ただ、さほどキャラ立ちはしていないので、ジーヴスもののオルタナティブにはならないという感じだ。やはりお殿様は一人称で、慇懃な執事にバカにされるのが一番だと思うし。今後、シリーズを継続して読むかどうかは微妙……とか言いつつ、きっと読むのだろうなあ。相変わらず文章表現が面白く、独特のくどい調子は読んでいて癖になる。
2007.10.17 (Wed)
◆黒澤明『羅生門』(1950/日)

★★★★
三船敏郎 / 京マチ子 / 森雅之 / 志村喬 / 千秋実 / 上田吉二郎 / 本間文子 / 加東大介
パイオニアLDC 【Amazon】
時は平安時代。どしゃ降りの羅生門に集った男たちが、検非違使庁で起きた不可解な事柄について話し合う。舞台は森の中。盗賊の多襄丸(三船敏郎)が武家の夫婦と遭遇し、策略によって夫(森雅之)を縛りつけた。その妻(京マチ子)を手込めにした後、今度は刀で夫を殺害。多襄丸は縛についたものの、関係者の証言はみな食い違っている。
「藪の中」と「羅生門」をミックスした映画。「羅生門」パートは大仰でいまいちだったものの、「藪の中」パートは役者たちが迫真の演技をしていて絶品だった。
「羅生門」パートはねえ。恐ろしい恐ろしい言われても、人間なんてあんなものでしょうとしか思えないんだよね。人間は状況次第では誰だって罪を犯しかねない。飢えていれば小太刀だって盗むかもしれないし、赤ん坊の身ぐるみだって剥ぐかもしれない。罪を犯さないのは単に恵まれているだけだ。そこへきてあの綺麗事はちょっとねえ。こういうメッセージが臆面もなく出てくるのは、製作されたのが戦後の復興期だからだろうか。家は焼けて人心も荒廃しているけれど、みんな周りを信じて辛い日々を乗り越えている、みたいな。いずれにせよ、このパートには首を傾げたのだった。
しかし、「藪の中」パートは掛け値なしに凄い。粗野な三船敏郎、妖艶な京マチ子、端正な森雅之。この映画は証言者によって微妙に人物像が揺れるのだけど、3人ともその多面性を見事演じきっている。特に京マチ子は、女の情念を漲らせていて迫力満点だった。あのお化けみたいな眉で凄まれたら、誰だってびびると思う。
以下、証言のメモ。
多襄丸の証言
手込めにされた女が多襄丸に懇願する。夫と多襄丸、生き残るのは1人で、自分は勝った方に寄り添うと。2人は豪快にちゃんばら。結果、多襄丸が勝つも、女は既に逃げている。
女の証言
多襄丸が2人を置いて立ち去る。縛られたままの夫が、女に軽蔑の眼差しを向けてくる。耐えきれなくなった女、夫に小太刀を突き立てる。その後、女は自殺を図るも死にきれなかった。
夫の証言(死人)
多襄丸が結婚するよう女を説得する。それを受けた女が多襄丸に懇願する。自分を連れて行くのなら、夫を殺すようにと。それを聞いた多襄丸、気が変わって女を地面に引き倒す。そして、殺すか助けるか夫に尋ねる。隙を見て起きあがった女、一目散に逃げ出す。多襄丸、それを追いかける。1人残った夫、小太刀で自殺する。
杣売りの証言(傍観者)
映画オリジナルの視点。多襄丸が結婚するよう女を説得する。それを受けた女が多襄丸に懇願する。夫と多襄丸、生き残るのは1人で、自分は勝った方に寄り添うと。それを聞いた夫、女のために命など賭けられるかと拒否する。また、多襄丸も女を捨てて立ち去ろうとする。2人に拒否られた女はその場でぶち切れ、お前ら男かと罵倒を浴びせる。2人はへっぴり腰でちゃんばら。結果、多襄丸が勝ち、女は逃げ出す。
この映画は杣売りの証言によって、3人が何を隠したかったのか推測できるようになっている。
2007.10.19 (Fri)
◆フランク・キャプラ『素晴らしき哉、人生!』(1946/米)

★★★
It's a Wonderful Life
ジェームズ・スチュワート / ドナ・リード / ライオネル・バリモア / ヘンリー・トラヴァース / トーマス・ミッチェル / ビューラ・ボンディ / フランク・フェイレン / ウォード・ボンド
東北新社 【Amazon】
時はクリスマス・イブ。会社経営者のジョージ(ジェームズ・スチュワート)が、大金の紛失を機に自殺を図ろうとしていた。天界では天使が彼の人生をリサーチ、自殺寸前になって介入する。
奇特な人物を主人公にした、『群衆』【Amazon】系統の寓話。ジョージは若いころから苦労してきた男だった。幼少時は薬屋でバイト、成長してからは学資を稼ぎ、人より後れて大学へ進もうとする。こんなちっぽけな町なんか飛び出して、世界を股にかける男になるのだ。ところが、父の家業が芳しくなく、町を牛耳る悪党との兼ね合いもあって、彼が跡を継ぐことになる。そして、暴利を貪る悪党が大勢を占めるなか、彼だけは貧乏人のために身を粉にして働く。
と、こんな平均以上の善玉人生だから、「素晴らしき哉!」と賛美できるのである。これが悪玉だったら回心しないわけで、つまり自殺を思い止まるにも資格があるということなのだ。だから、私みたいな凡俗の一般人は戸惑ってしまう。俺はここまで善人ではないわ、と自己嫌悪に陥ってしまう。
「ジョージがいなかった世界」というのも眉唾ものだ。あの世界は数ある可能性のなかでも、最悪のものを選んでいるように見える。たとえば、ジョージがいなかったら弟は橇遊びをしなかったかもしれない。薬屋は耄碌する前に引退していたかもしれない。ライバルのいない悪党は、逆にやる気をなくして凋落していたかもしれない。いくら自殺を止めるためとはいえ、随分と都合の良いビジョンを見せているなあと思った。そりゃ、自分がいないせいでみんな不幸になっているのだから、「俺様はえらい!」って勘違いしちゃうよね。
ただ、大金の問題が解決するラストは素晴らしい。画面中から善意が溢れていて、観ているほうもその祝祭的な気分に同調したくなってくる。本作といい、「クリスマス・キャロル」(ディケンズ)といい、欧米の物語はクリスマスがあるから便利だ。この日を舞台にすることで、どんな不幸でも漂白できてしまう。