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2007.11.11 (Sun)
◆『チャップリン作品集 2』(1915,16/米)

★★★
Charles Chaplin Vol.2
アイ・ヴィー・シー 【Amazon】
短編集。「チャップリンの拳闘」、「チャップリンの失恋」、「チャップリンの改悟」の3編。
『チャップリン作品集 1』の続き。エッサネイ時代の3編を収録している。
以下、各短編について。
「チャップリンの拳闘」(1915)"The Chanpion"
監督: チャールズ・チャップリン / 共演: エドナ・バーヴィアンス / パド・ジャスミン
チャップリンがボクシングのチャンピオンに挑戦する。
ボクシングのシーンが掛け値なしに面白い。両手を糸巻きみたいに回す構えや、パンチを食らってふらふらする様、そして手数の多さや早送りのアクションなど、独特の喜劇空間ができあがっている。2人の闘いは、ある意味ジャッキー・チェンのカンフーアクションよりトリッキーだと思う。
飼い犬のブルドックがとてもチャーミングだ。ソーセージを食べるところとか、試合に乱入するところとか、あのとぼけた顔がたまらなく良い。
「チャップリンの失恋」(1915)"The Tramp"
監督: チャールズ・チャップリン / 共演: エドナ・バーヴィアンス / フレッド・グッドウィンズ
放浪紳士のチャップリンが、強盗に襲われた農家の娘を助ける。
舞台が農家ということで、鍬やもっこを使った小ネタが散見できる。
この頃からチャップリンは叙情路線にシフトしているようだ。恋した娘に婚約者がいたため立ち去る。恋心を明かした置き手紙が意外だった。
「チャップリンの改悟」(1916)"The Police"
監督: チャールズ・チャップリン / 共演: エドナ・バーヴィアンス / ヴェズリー・ラッグルス
出所したばかりのチャップリンが、神父の格好をしたスリに有り金全てを盗まれる。途方に暮れるなか、偶然にも刑務所仲間と再会。2人で押し込み強盗をはたらく。家のなかには美しい娘がいた。
娘が強盗を接待したのは、親切ではなく策略ではなかろうか。つまり、警官が来るまでの時間稼ぎ。で、それを誤解したチャップリンが感じ入って騎士道精神を発揮、さらにその善意が娘に転移する。理解とは誤解の集積であるという格言を思い出した。
2007.11.12 (Mon)
▲ジョン・マクガハン『青い夕闇』(1965)

★★★
The Dark / John McGahern
東川正彦 訳 / 国書刊行会 / 2005.6
ISBN 978-4336047083 【Amazon】
専制的な父の元で暮らす少年は、カトリックの戒律に背いて溢れる性欲を処理していた。彼は父の無軌道な暴力に怯えつつ、どん底から抜け出すべく勉学に励むことになる。
アイルランドで発禁処分を受けた小説。自伝的要素を含んでいるらしく、父との確執やカトリックの抑圧など、『小道をぬけて』と重なる部分が多い。
わたくしたちはみんな死後も永遠に楽しく過ごしたいと思っているのだ。その保証が大事なんだ。みんなが求めているのはその保証なんだよ。(p.125)
父も少年もカトリックの思想に骨の髄まで浸かっており、そこから外れることに並々ならぬ恐怖を抱いている。神への敬意を暴力で強制する父。自慰することに罪悪感をおぼえる少年。カトリックの巨大な闇に支配された2人は、物理的にも精神的にも逃れることができない。貧しい生活を送りながら、「地獄」というありもしない責め苦に怯えている。
20世紀も半ばというのに、まだこんなインチキ信じてるのかと呆れてしまう。しかし、日本にも創価学会をはじめとしたカルトが存在するのだから、他人事として片づけるわけにはいかない。最近ではスピリチュアルを名乗る霊感商法が、公共の電波で堂々と垂れ流されている。保険といい宗教といい、いつの時代も人の不安につけ込む輩は絶えないのであり、その事実が逆説的に人間の弱さを証明しているわけだ。私は中学時代、教育が浸透して理性的な社会になれば、宗教なんて一掃されるだろうと思っていた。ところが、今になってもそんな気配は微塵もなく、相も変わらず怪しげな「救い」が量産され続けている。現世の幸福を死後の不幸とすりかえる倒錯した世界。この小説は、宗教がもたらす歪みを鮮明に捉えている。
父は田舎の俗物であり、貧しい生活の責任を子供たちに転嫁している。嫌味や愚痴、暴力といった攻撃は日常茶飯事。子供たちは経済的な負い目と体力の差があるから、父の前では萎縮せざるを得ない。と、このように前時代的な最低の父だけど、何の因果か寛容な一面も見せたりする。少年が小さい頃は釣りに連れていってくれたし、試験で一番になったときは高い料理をおごってくれた。どうやら核の部分は無害な田舎者のようで、貧困と劣等感が屈折を生んでいたわけである。この父は少年以上に人間くさい人物だと思う。
2007.11.13 (Tue)
▽アルトゥール・ショーペンハウアー『自殺について 他四篇』(1851)

★★★★
Parerga Und Paralipomena: Kleine Philosophische Schriften / Arthur Schopenhauer
斎藤信治 訳 / 岩波文庫 / 1979.1
ISBN 978-4003363218 【Amazon】
"Parerga Und Paralipomena"の一部。「我々の真実の本質は死によって破壊せられえないものであるという教説によせて」、「現存在の虚無性に関する教説によせる補遺」、「世界の苦悩に関する教説によせる補遺」、「自殺について」、「生きんとする意志の肯定と否定に関する教説によせる補遺」の5編。
それにしても、我々の発端と終末との間には何という懸隔の存することであろうか! かの発端は幻想的な慾情と恍惚たる愉楽のなかに包まれている。この終末は器官一切の崩壊と死屍の腐臭のうちにある。さらにまた発端から終末にいたる路は、人生の享楽と幸福という観点からすれば、絶えず降り坂である。恵み豊かに夢見る小児期、歓喜に溢れた青年期、労苦に充ちた壮年期、肉体はくずおれ往々にして悲惨な老年期、死病の責苦、そして最後に断末魔の苦悩、――まるで、現存在は何かの錯誤なので、この錯誤の諸々の帰結が徐々に、そしていよいよ明らさまに、曝露されていくのででもあるかのように見えはしないか。(p.42)
訳が古くて読みづらいのだけど、内容は示唆に富んでいて面白かった。ショーペンハウアーのペシミスティックな人生観は、現代人のそれと一致していて親しみやすい。もはや今の文明人は宗教のお花畑なんて信じていないし、人生に何らかの崇高な意味があるとも思っていない。ただ勤労と苦役のためだけに生まれたと思っている。
キリスト教が自殺を禁じている理由を、以下のように喝破していて面白い。
キリスト教はその最内奥に、苦悩(十字架)が人生の本来の目的である、という真理を含んでいる。それ故にそれは自殺をこの目的に反抗するものとして排斥するのである。(p.79)
その後、ショーペンハウアーは神の全能性を否定するからと皮肉っているけれど、実は教義の根本には経済上の理由があるのではないか。つまり、苦悩を義務として強要することで、コストの回収を目論んでいるということだ。苦悩が本来の目的なんだから贅沢言うな。みんな苦しんでるのだからお前も苦しめ。死んだら搾取できなくなる。苦悩がみごと負の平等意識に繋がっている。
一般的に言って、生命の恐怖が死の恐怖にたちまさる段階に到達するや否や、人間はおのが生命に終止符を打つものであることが、見出されるであろう。尤も死の恐怖の抵抗も相当なものである、――死の恐怖はいわば番兵として出口の前に立っている。もしも生命の断末が何かしら純粋に否定的なもの、現存在の突如とした中止のようなものであるとしたら、まだぐずぐずして自分の生命に終止符を打っていないような人間は誰もいなくなることであろう。――ところが生命の断末には何かしら積極的なものが含まれている、即ち肉体の破壊である。この肉体の破壊に脅かされて、ひとびとはしりごみするのである。何故なら、肉体は生きんとする意志の現象にほかならないのだから。(p.80)
人前で自殺の意思を漏らしたら最後、我々は言葉の責任をとって死ななければならない。でないとそれは「死」を担保にした脅迫になってしまう。では、どうやって死の恐怖を克服するのか? 結局のところ、そのヒントは自殺した人間に求めるしかないだろう。生命の恐怖と死の恐怖の激しいせめぎ合い、そして、遂に下した決断。自殺者の日記『八本脚の蝶』は、そのエッセンスを知るうえで大きな助けになる。
2007.11.15 (Thu)
▼マシュー・ニール『英国紳士、エデンへ行く』(2000)

★★
English Passengers / Matthew Kneale
宮脇孝雄 訳 / 早川書房 / 2007.10
ISBN 978-4152088697 【Amazon】
総勢20名の語り手を動員した異色のポスト・コロニアル小説。「プラチナ・ファンタジイ」と銘打たれているけれど、中身はまったくファンタジーではない。アボリジニの衰退や差別的な優生学、密輸をめぐるごたごたなど、植民地の諸相をユーモラスに風刺している。
ポッター医師は人種による優劣を確信しており、己の理論を実証すべく標本を集めている。一方、ウィルソン牧師は聖書の世界を現実だと思い込んでおり、タスマニアにエデンの園を見出してる。この小説は科学と宗教を代表する2人が、どちらもトンデモというのがミソだろう。前者は白人の支配を正当化し、後者は神の支配を正当化する。ポッターとウィルソンは仲が悪く、一見すると水と油で反発し合っている。ところが、実は根っこの部分が西洋史観で繋がっていて、車輪の両輪をなしている。
錯綜する語りに工夫があるものの、厚さのわりに物足りない話だった。予想よりも真面目で政治的な内容だったというか。アボリジニは律儀にアボリジニの物語を演じているし、史実と照応させる結末も、作品の限界を示しているようでいまいち乗れない。混血児がターミネーターと化すあたりから、ページを捲る手は早くなったけれど、総じてストーリーに飛躍がなくて期待外れだった。
2007.11.19 (Mon)
▽セルマ・ラーゲルレーヴ『ニルスのふしぎな旅』(1906-7)

★★★★
Nils Holgerssons Underbara Resa Genom Sverige / Selma Lagerlof
菱木晃子 訳 / 福音館書店 / 2007.6
ISBN 978-4834022735 【Amazon】
ISBN 978-4834022742 【Amazon】
いたずら小僧のニルスが妖精の魔法で小人にされた。悲嘆に暮れる彼だったが、ひょんなことから鳥たちと共にスウェーデンを一周することになる。
言わずと知れた児童文学の名作。子供たちに自国の地理を楽しく学ばせようということで、スウェーデンの教育界が著者に依頼してできたのが本作らしい。ロードノヴェルの枠組みのなかに、ご当所の風物や歴史、民話などが織り込まれている。要所要所でのニルスの活躍も悪くないのだけど、それ以上に自然界がもたらす空想的な雰囲気が心地良い。まるで『千夜一夜物語』のようなわくわく感が味わえた。
上巻に収録された「カッルと<灰毛>の話」が凄い。人間に飼われていたヘラジカの<灰毛>が、犬のカッルの助けにより、森の中に帰ることになる。人間の庇護から離れて、自立した生を歩もうというわけだ。ところが、帰る途中うっかりヤマカガシの妻を蹴り殺してしまい、知らないうちに復讐の対象にされてしまう。ヤマカガシがとった手法は、森中を巻き込んだとんでもない代物だった。
このエピソードは、頼りなかった<灰毛>が誇り高き動物へと成長し、意外な結末を迎えるという話。社会的存在としての、普遍的な生き様を描いていて、物語の楽しみを再確認させてくれる。
もう一つ、同じ上巻に収録された「ネルケ地方で」も味わい深い。いたずら好きな魔女が暗躍するなか、ケチな富農が改心する様子が語られる。父の跡を継いだ富農は、物乞いにきた子供たちを追い返そうとするも、実は彼我の間に深い因縁があった。さらに、そこへ馬にまつわる思い出が絡んでくる。
このエピソードは、本書でも1、2を争うくらい叙情的。親愛のこもったラストの語りかけは、まるで『MASTERキートン』の一コマみたいだった。
あとは、100年に1度姿を現す都市とか、庭を歩き回る王様の銅像とか、国を作った巨人族とか、幽玄な話が散見できる。自然との共生を謳った本作は、民話好きにはたまらない内容だと思う。
以下、関連リンク。
- 『ニルスのふしぎな旅』に関するページです(訳者のサイト内)