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2007.11.21 (Wed)
▽アルトゥール・シュニッツラー『カサノヴァの帰還』(1918)

★★★★
Casanovas Heimfahrt / Arthur Schnitzler
金井英一 小林俊明 訳 / ちくま文庫 / 2007.11
ISBN 978-4480423856 【Amazon】
53歳のカサノヴァはヴェネツィアへの帰還を夢見みながら、ヴォルテールへの論難書を執筆していた。そんなある日、偶然にも旧知の男と再会、彼の屋敷に招かれる。放蕩者のカサノヴァは、美女を落とすべく奸計をめぐらすのだった。
『回想録』【Amazon】の後日譚という設定。人間の愚かさを描いていて面白かった。巷間を賑わせたプレイボーイも、初老に入ってからはぱっとしない。聡明な美女に惚れたものの、あっさり拒絶されてしまう。いくら容色が衰えたとはいえ、かつての知人には迫られているし、宿屋の女将さんにだって惚れられている。誰もが一目をおく色事師のはずなのに、思わぬ肘鉄を食ってしまった。さらに、そこへ若き恋敵ロレンツィが登場、彼はカサノヴァの生き写しのようなプレイボーイだった。老いたカサノヴァはますます恋情の念を深めていく。
カサノヴァにとって老いとは否定されるべきものなのだろう。会食の席で過去の逸話を雄弁に語る彼は、ロレンツィに30年前の自分、すなわちかつての栄光を見出していた。自分が現役であることを証明するためには、彼を出し抜いて女をものにしなければならない。欲望に身を委ねることこそが、最高のアンチエイジングなのだ。カサノヴァは老いから逃れようと必死なのであり、ここに上手く歳をとれなかった男の悲劇がある。
一方、自分を見つめる女の眼差しの中に実際に彼が読み取った己の姿は、盗人でも、色魔でも、卑劣漢でもなかった。むしろ、そうあってくれればどんなに有り難かったかもしれない。だが、その目が語っていたのはただの一言、ほかのどんな嘲罵にもまして、決定的に打ちのめされざるを得ぬ、まさに彼にとどめを刺すに足る言葉、“老いぼれ”であった。(p.221)
策を弄して女を手込めにするも、翌朝、上記のような眼差しを向けられてしまう。イチローはワールドシリーズで韓国に負けたとき、「僕の野球人生でもっとも屈辱的な日」と語っていたけれど、カサノヴァにとってはこの日がそれに相当するだろう。老いに負けじと気を張っても現実には抗えない。おまけに決闘という奸計のツケまで回ってきた。一時の欲望のために、他人を不幸にするカサノヴァ。この小説には人間の愚かさが詰まっている。
2007.11.26 (Mon)
▲『ラテンアメリカ短編集』

★★★
木村榮一・他 訳 / 『集英社ギャラリー「世界の文学」19』所収 / 1990.2
ISBN 978-4081290192 【Amazon】
アンソロジー。M・バルガス=リョサ「ある虐殺の真相」、A・ウスラル=ピエトリ「太鼓に踊る」、シルビーナ・オカンボ「イレーネの自伝」、M・L・ボンバル「樹」、A・ロア=バストス「裏切り者との出会い」、ファン・ルルフォ「ルビーナ」、マリオ・ベネデッティ「モーツァルトを聴く」、ホルヘ・エドワーズ「痩せるための規定食」、A・O・アタナシウ「時間」、A・ブライス=エチェニケ「パラカスでジミーと」、ホセ・レブエルタス「顕現祭の夜」、ムリロ・ルビアン「魔術師顛末記」、ムリロ・ルビアン「ゴドフレードの三つの名前」の13編。
政情が不安定な地域は一味違うなという感想。南米の過酷な現実がびしびし伝わってくる。
以下、各短編について。
M・バルガス=リョサ「ある虐殺の真相」(1983)"Historia De Uma Matanza"
ルポルタージュ。インディオの農民たちが7人のゲリラを殺害した。事件を取材べく8人のジャーナリストが乗り込む。
農民たちは迷信深く、未だに土俗的な生活を送っている。ゲリラを殺害したのは良しとしても、集団の狂気はそれだけにとどまらない。彼らの魔の手は、ジャーナリストの集団にまで及んでいく。近代国家の内側に、このような野蛮なコミュニティが並存しているところが面白い。全力疾走しているウサギを石投げ縄で倒せるなんて、君らアステカ時代の人ですか? と問いつめたくなる。
あと、著者は民主主義を信じて疑わない立場なんだな。さすが大統領選に出馬するだけのことはある。フィデル・カストロに「悪」のイメージなんてないのだけど(もちろん、「善」のイメージもない)。★★★。
A・ウスラル=ピエトリ「太鼓に踊る」(1928)"El Baile De Tambor"
脱走兵が警察署の署長に捕まる。刑罰は尻に鞭打ち。
太鼓のリズムとは明らかに異質な署長の足音。その接近を聞き分ける描写が決まっている。★★★。
シルビーナ・オカンボ「イレーネの自伝」(1948)"Autobiografia De Irene"
予知能力を持った女イレーネの自伝。死とか、思い出とか。
憂鬱な人生だったけれど、最後に作家さんが現れましたという話。ちょっとした円環構造になっている。
ちなみに、著者はビオイ=カサーレスの奥さん。★★。
M・L・ボンバル「樹」"The Tree"
ピアノを弾いている女が、夫との破綻した結婚生活を回想する。
無意識のうちに彼は彼女から身を離して眠ろうとし、彼女は、まるで狭い所に閉じこめられて乾燥した植物がもっと快適な気象を求めて枝を伸ばすように、無意識のうちに、一晩じゅう夫の肩を追い求め、夫の息を探し求め、夫の息の下で生きようとしているのだった。(p.1119)
愛なんていらねーと嘯くも、実はめちゃくちゃ愛に餓えていた。知恵おくれ扱いされた女の、哀しい生を描いている。
ただ、個人的にはこういうセンシティヴな小説って好きじゃないのよね。★★。
A・ロア=バストス「裏切り者との出会い」"Encuentro Con El Traidor"
かつて革命軍に参加していた老人が、仲間を裏切った男と30年ぶりに再会する。
平手打ちかましたら目玉が転がったとかあってびっくりした(実は義眼)。老人は虚ろな眼窩を見て動揺し、裏切り者は意外な秘密を抱いている。ラストは静かな余韻があって、良い小説を読んだなという気になる。★★★★。
ファン・ルルフォ「ルビーナ」"Luvina"
丘の上の農村ルビーナの話。
死に瀕した土地、父のために働く子供、飢えを我慢する村人たち。土着の民は死者に縛られていて出ていくことができない。言い知れぬ土地の魔力を感じさせる短編だった。★★★。
マリオ・ベネデッティ「モーツァルトを聴く」(1977)"Escuchar a Mozart"
軍で拷問を担当している大尉。その彼が息子に仕事のことを問い質される。
何者かが大尉に語りかけるという趣向。子供たちを拷問するなんて、いかにも南米って感じでぞっとする。大尉も後ろめたい思いを抱えているけれど、状況はいかんともしがたい。凄まじい重圧が大尉にのしかかっている。★★★★。
ホルヘ・エドワーズ「痩せるための規定食」(1969)"Regimen Para Adelgazar"
減量中のゴルダ(でぶ子)は規則を破って角砂糖をぱくついている。
んー、このゴルダは過食症なんだろうか。ゴンサーロ叔父さんの粋なはからいと、さわやかなラストが印象に残る。★★★。
A・O・アタナシウ「時間」(1981)"Tiempo"
掌編を集めたオムニバス小説。
人生の一断面を繊細な感性で切り取っている。傾向としては死にまつわる話が多いかな。各主人公は自身にとっての人生の本質を掴むのだけど、直後に死んでしまうみたいな。もちろん、そうじゃない掌編もあるから油断できない。★★★★。
A・ブライス=エチェニケ「パラカスでジミーと」"Con Jimmy En Paracas"
サラリーマンの親子がレストランで金持ちのクソガキと会う。そのガキは14歳のくせにタバコを吸ったり酒を飲んだり車を運転したりしていた。
ヘミングウェイっぽいなあと思っていたら、著者はヘミングウェイ研究で博士号をとったとか。ニック・アダムスものを彷彿とさせる短編だった。★★★。
ホセ・レブエルタス「顕現祭の夜」"Noche De Epifania"
戦時下の街で女の他殺体が発見された。夫との関係が明らかにされる。
死者と生者の対比。女が生きていた過去の時制と、女の死体を処理する現在の時制が混交する。どうもラテン系の男たちって、不貞を働いた妻を問答無用でぶち殺すようなイメージがある。姦通は死罪というキリスト教の影響なのだろうか。無駄に情念渦巻いていると思う。★★★。
ムリロ・ルビアン「魔術師顛末記」"O Ex-Magico Da Taberna Minhota"
官吏の男は元魔術師だった。上着のなかから様々な物を取り出したり、ピストルがエンピツに変わったり、生まれつきの超能力を持っている。
こういう奔放な話は良いね。魔術師には過去がなく、存在の不安に苛まれている。死のうとしても魔術が発動して死ぬことができず。さらに、官吏としての現在が過去の夢想を浸食する。果たして男はキチガイだったのか? ともあれ、ここにあるのは翼を失った天使の哀しみである。★★★★。
ムリロ・ルビアン「ゴドフレードの三つの名前」"Os Tres Nomes De Godofredo"
レストランで食事をする男。彼の前に見知らぬ女が何の断りもなく腰掛ける。他に席が空いているのにと思っていたら、何と女は自分の妻だという。
意識と現実が乖離する不条理な状況が面白い。男は女の説明によって自己認識を揺るがされる。はじめは記憶喪失ネタだと思ったけれど、どうやら幻想の領域に入ってるっぽい。知らない女の名前を口にしたり、同衾することにしっくりした感覚をおぼえたり、現実に順応していく様がスリリングだった。★★★★。
2007.11.27 (Tue)
◆フランシス・F・コッポラ『ドラキュラ』(1992/米)

★★
Bram Stoker's Dracula
ゲイリー・オールドマン / ウィノナ・ライダー / アンソニー・ホプキンス / キアヌ・リーブス / ビル・キャンベル / セイディ・フロスト / トム・ウェイツ
ソニー・ピクチャーズエンタテインメント 【Amazon】
中世のトランシルヴァニア。妻を亡くしたドラキュラ伯爵(ゲイリー・オールドマン)が、神を呪って吸血鬼と化した。それから400年後の19世紀末、ある女(ウィノナ・ライダー)の写真を見た伯爵は、彼女をものにすべくロンドンに現れる。
けばけばしい演出のゴシックロマン。ブラム・ストーカーの原作【Amazon】を忠実になぞっているらしい(原作は未読)。てっきり勧善懲悪の恐怖物語かと思っていたら、実は虚ろな魂の悲しみを描いた話だったのだな。つまり、『オペラ座の怪人』や『フランケンシュタイン』【Amazon】と同根の物語である。それと、キリストの理が世界を支配しているということで、『エクソシスト』【Amazon】や『オーメン』【Amazon】なんかも思い出す。考えてみればドラキュラは悪魔の一種なのであり、だから悪霊のように十字架が効いているのだ。ドラキュラについては『悪魔城ドラキュラ』【Amazon】のイメージが強かったので、本作を観て少なからずショックを受けた。実をいうと、善玉が城に乗り込んで鞭を振るう話だと思っていたのだ。
ヘルシング役のアンソニー・ホプキンスははまり役。人形みたいなウィノナ・ライダーは、細身とは思えない豊満なバストが気になる。ドラキュラ役のゲイリー・オールドマンはミスキャストかな。この「怪演」はマーロン・ブランドの線を狙っているのかと思った。何か最後は訳分からんクリーチャーと化しているし……。あと、暗闇が映える重厚な映像も、今どきのゲームのほうが遙かに先をいっていてそれほどそそられなかった。
なお、『ジョジョ』【Amazon】好きとしては、「ジョナサン」(キアヌ・リーブス)という名前に反応せざるを得ない。元ネタはこれ(の原作)だったのかと得心した。
2007.11.30 (Fri)
▼ジョン・アーヴィング『また会う日まで』(2005)

★★
Until I Find You / John Irving
小川高義 訳 / 新潮社 / 2007.10
ISBN 978-4105191115 【Amazon】
ISBN 978-4105191122 【Amazon】
上下巻合わせて1000ページの大河小説。なげえ、なげえと呻きながら読んだ。特に退屈な場面はなかったとはいえ、とにかく余計なエピソードが多すぎた。ここまで筆を費やす必要があったのか? みたいな冗長さというか。確かに隅々まで想像力がわたっているし、壮大な語りの仕掛けによってある種の苦みも滲ませている。けれども、この程度の物語を表すために、1000ページもの長尺が必要とはとても思えず。本来だったら作品に豊かさをもたらすはずのディテールが、感傷と成長という物語の核を逆に薄めてしまっている。本作は著者の自伝的要素が色濃く反映しているそうで、これは思い入れがすぎたんじゃないかと思う。
美少年のジャックは元女子校という「女の海」で、年上のお姉さん方に性の手ほどきをしてもらう。5歳のときから彼のペニスは観察され、弄ばれることになる。女に不自由しないとはまさにこのことであり、アラブの石油成金もびっくりのハーレムが出来上がっている。それ何てエロゲ? って感じで、世の殿方だったら羨望の念をおぼえるだろう。ところが、一連の手ほどきは実は児童虐待と称されるもので、ジャックに決定的な歪みをもたらすことになる……。
細部に耽溺しているとはいえ、この辺の法螺話くささは好きかもしれない。とりあえず、長さと面白さが釣り合ってないと思った。