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2007.12.21 (Fri)
▼『バートン版 千夜一夜物語 5』

★★
Alf Laylah Wa Laylah / Richard Francis Burton
大場正史 訳 / ちくま文庫 / 2004.2
ISBN 978-4480038456 【Amazon】
19世紀の東洋学者、リチャード・F・バートンによる翻訳。「ペルシャ人アリ」、「ハルン・アル・ラシッドと奴隷娘と導師アブ・ユスフの話」、「泥棒のふりをした恋人の話」、「バルマク家のジャアフルと豆売り」、「怠け者のアブ・モハメッド」、「バルマク家のヤーヤ・ビン・ハリドがマンスルを寛大にあつかった話」、「にせ手紙を書いた男にハリドの子ヤーヤが情けをかけた話」、「アル・マアムン教主と異国の学者」、「アリ・シャルとズムルッド」、「ジュバイル・ビン・ウマイルとブズル姫の恋」、「アル・ヤマンの男と六人の奴隷娘」、「ハルン・アル・ラシッド教主とひとりの乙女とアブ・ノワス」、「犬皿に使った黄金の皿を盗んだ男」、「アレキサンドリアのいかさま師と警備頭」、「アル・マリク・アル・ナシルと三人の警備頭」、「泥棒と両替屋」、「クスの警備頭とぺてん師」、「イブラヒム・ビン・アル・マーディと商人の妹」、「貧者に物を施して両手を切られた女の話」、「信心深いイスラエル人」、「アブ・ハサン・アル・ジャディとホラサンの男」、「貧しい男と親友」、「おちぶれた男が夢のお告げで金持ちになった話」、「アル・ムタワッキル教主と側女マーブバー」、「肉屋のワルダンが女と熊を相手に冒険をした話」、「王女と猿」、「黒檀の馬」、「ウンス・アル・ウユドと大臣の娘アル・ワルド・フィル・アクマム(ばらの蕾)」、「アブ・ノワスに三人の美少年とハルン・アル・ラシッド教主」、「アブダラー・ビン・マアマルにバッソラーの男とその奴隷女」、「オズラー族の恋人たち」、「アル・ヤマンの大臣と若い弟」、「授業中の少年と少女の恋」、「アル・ムタラムミスと妻のウマイマー」、「ハルン・アル・ラシッド教主と水浴中のズバイダー妃」、「ハルン・アル・ラシッドと三人の詩人」、「ムスアブ・ビン・アル・ズバイルとタラーの娘アイシャー」、「アブ・アル・アスワドと奴隷娘」、「ハルン・アル・ラシッド教主とふたりの奴隷娘」、「ハルン・アル・ラシッド教主と三人の奴隷娘」、「粉屋とその女房」、「薄ばかといかさま師」、「判官アブ・ユスフにハルン・アル・ラシッド教主とズバイダー妃」、「アル・ハキム教主と商人」、「キスラ・アヌシルワン王と村の娘」、「水汲み男と細工師の女房」、「フスラウ王と妃シリンと漁師」、「バルマク家のヤーヤ・ビン・ハリドと貧乏な男」、「モハメッド・アル・アミンと奴隷女」、「ヤーヤ・ビン・アル・ハリドの息子たちとサイド・ビン・サリム・アル・バヒリ」、「亭主をだました女房の策略」、「信心深い女と邪まなふたりの老人」、「バルマク家のジャアフルと年老いたバダウィ人」、「オマル・ビン・アル・ハッタブ教主と若いバダウィ人」の54話を収録。第ニ百九十四夜から第三百九十七夜まで。
『バートン版 千夜一夜物語 4』の続編。この巻は細かい教訓話が多くてしんどかった。ほとんどが1話につき2〜3ページ程度しかない。ボリュームがあるのは、「アリ・シャルとズムルッド」、「ジュバイル・ビン・ウマイルとブズル姫の恋」、「黒檀の馬」、「ウンス・アル・ウユドと大臣の娘アル・ワルド・フィル・アクマム(ばらの蕾)」の4編のみだった。もう少し長短のバランスをとってほしいと思う。
以下、各物語について。
「ペルシャ人アリ」(第ニ百九十四夜―)
ペルシャ人アリがハルン・アル・ラシッドに物語をする。クルド人に袋を盗まれたアリは、裁判で逆に訴えられて奇妙な法廷闘争をした。
袋の中に何が入っているのか? と問われて、荒唐無稽な物を挙げるという……。何か全然面白くないのだけど、教主さまはひっくりかえるほど笑いこけている。バートンによると、アリの話はラブレー流のユーモアなのだそうだ。
「ハルン・アル・ラシッドと奴隷娘と導師アブ・ユスフの話」
ハルン・アル・ラシッド教主が、ジャアフルの奴隷娘を所望した。手っ取り早く物にすべく、導師アブ・ユスフを呼ぶ。
法の抜け穴をついて望みを叶えている。イスラムの法は神の法だから面倒臭いんだな。偉大なる教主といえども、然るべき手続きを踏む必要がある。アブ・ユスフは今でいえば悪徳弁護士みたいなものだろうか。
バートンの注釈が東洋への偏見に満ちていて面白い。ハルン以降の治世では正義が無視されるようになったとか、東洋の物語では語り手をめぐる矛盾がありふれているとか。
「泥棒のふりをした恋人の話」
総督の元に泥棒が引き立てられてくる。見ると人品卑しからぬ様子。何か訳があるんじゃないかと尋ねるも、泥棒は頑として真実を話さない。
まあタイトル通りのオチ。「名誉」という概念は洋の東西問わないんだなと思った。そういえば、日本にも武士道があるしね。手を切り落とされるというのに、男の態度はまったくぶれていない。
「バルマク家のジャアフルと豆売り」
ジャアフルの幽霊(!)が、豆売りに丸得情報を教える。
ハルン・アル・ラシッド教主がバルマク家のジャアフルを磔刑にした当時、教主はジャアフルの死を悲しんだり、嘆いたりする者はことごとく同じように磔刑に処す、と命じたので、だれもその死を悼むものがありませんでした。(p.36)
げー、ジャアフルが殺されてる! 教主さまの無理難題に応えてきた苦労人だというのに、結局はこの仕打ちか。教主さまは良い遊び相手を失った。
「怠け者のアブ・モハメッド」
怠け者のアブ・モハメッドが、ハルン・アル・ラシッド教主に財宝を献上する。そして、なぜ金持ちになったのかを話す。
やはり物語の基本は身の上話だろう。魔神に騙されたアブ・モハメッドが大冒険を繰り広げている。沈黙を約束させられたモハメッドが、我慢できずに神の名前を口にしてしまうところが面白い。「アラーのほかに神はなく、モハメッドは神の使徒なり」。さすが戒律の厳しい宗教である。
「バルマク家のヤーヤ・ビン・ハリドがマンスルを寛大にあつかった話」
ハルン・アル・ラシッド教主が、詩人のマンスルから借金を取り立てようとしていた。夕方までに返済できなければ打ち首だという。バルマク家のヤーヤ・ビン・ハリド(ジャアフルの父)が、マンスルに援助する。
「おお、サリー、人間という者は窮乏して、気持ちが塞いだり、悲しんだりしているときには、なにを言ってもとがめちゃいけない。本心から出ているわけじゃないからね」(p.80)
ヤーヤ・ビン・ハリドは器のでかい奴だ。恩知らずなマンスルの心理を慮っている。これが金持ち特有の「余裕」であり、その辺の綾を『明暗』の小林くんは突いていたわけだ。
「にせ手紙を書いた男にハリドの子ヤーヤが情けをかけた話」
ヤーヤ・ビン・ハリドとアブズラー・ビン・マリク・アル・フザイは犬猿の仲。そこへとある男が、ヤーヤの名前でアブズラーの宛ての手紙を偽造し、本人の元へ届けてくる。
思わぬ偽手紙にヤーヤが上手く乗っかった! 偽造した男はヤーヤの欲望を見抜いていたのだろうか。しかし、それにしてはリスクが大きいような……。何にせよ、知恵と勇気で莫大な報酬をゲットしている。
「アル・マアムン教主と異国の学者」(―第三百八夜)
アル・マアムン教主が、異国の学者を褒め称える。
才知に長けていても決して奢らず、常に自己を見失わない。こういう人物は偉いねという話。まるで中国の故事みたいだった。
それにしても、バートンの注釈が凄い。
この種の<しかつめらしい>説教ほど東洋人がありがたがるものはほかにない。それでいて、彼らは西洋人と同じように読んでも、片っぱしから忘れてしまう。(p.93)
飛ばしてんなー。何か嫌なことでもあったのか?
「アリ・シャルとズムルッド」(第三百八夜―第三百二十七夜)
遺産を使い果たした商人アリ・シャルが、奴隷女ズムルッドに気に入られて一緒に暮らすようになる。その後、2人は第三者の怨恨によって離ればなれに。囚われの身となったズムルッドは、運命の導くまま一国の主になるのだった。
お馴染みの壮大な話。復讐の場面で同じシチュエーションが繰り返されるところは童話っぽい。関係者はみな一つの磁力に引っ張られている。
男が男装の女に弄ばれるという、倒錯したエロもお馴染みである。これから掘られるんじゃないかと覚悟していたら、相手の肌がすべすべで意外とイケる。おまけに股間を触ったら穴まで空いていた。ええい、男でも構わんタイと思ったら、実は女だったというオチ。アラブ人の嗜好が垣間見えて面白い。
注釈では、括約筋で陽根をしめる女について解説している。
「ジュバイル・ビン・ウマイルとブズル姫の恋」(第三百二十七夜―第三百三十四夜)
イブン・マンスルが不眠症のハルン・アル・ラシッド教主に語った話。ジュバイル・ビン・ウマイルとブズル姫の恋を取り持つ。
寄せては返す恋の波。勝手にしやがれとしか言いようがない。
「アル・ヤマンの男と六人の奴隷娘」(第三百三十四夜―第三百三十八夜)
6人の奴隷娘を2人ずつに分け、互いの悪口を言わせている。色黒←→色白、でぶ←→やせ、黄色←→浅黒。
ポエムが多いうえに似たような話題が繰り返されていてつまらなかった。悪口の妙というのも特に感じられない。
しかし、バートンの注釈は冴えている。
東洋人は無茶な夜ふかしを好む。砂漠のアラブ人はしばしば種族のことについて四方山の話をしながら、明け方まで起きている。<早寝早起>というのは文明人の文句で、野蛮人または未開人の言葉ではないのである。(p.231)
まあ、確かに東洋人(日本人を含む)には宵っ張りが多い。
「ハルン・アル・ラシッド教主とひとりの乙女とアブ・ノワス」(第三百三十八夜―)
夜中、教主が乙女の訴えを聞く。翌朝、教主がアブ・ノワスを受け出す。彼は読心術が使えた。
んー? 乙女からアブ・ノワスの流れに脈絡がないような。もっと強い意味で繋がるのかと思った。
「犬皿に使った黄金の皿を盗んだ男」
無一文の男が目にしたのは、黄金の皿に盛られた犬のエサ。物欲しそうにしていると、犬がエサを譲ってくれた。おまけに皿までくれるという。
他愛のない教訓話だけど、男に施しを与える犬がチャーミングだ。エサを食べなさい、皿を持っていきなさい、と合図で伝えている。
「アレキサンドリアのいかさま師と警備頭」(―第三百四十二夜)
旅籠に泊まっていた騎兵が財布を盗まれた。警備頭が客を全員牢に入れ、拷問して犯人を捜そうとする。
これも教訓話。財布を取り戻したからといって安心しないで、ちゃんとスリ対策をしましょう。
「アル・マリク・アル・ナシルと三人の警備頭」(第三百四十二夜―第三百四十四夜)
アル・マリク・アル・ナシルが3人の警備頭を招き、在職中に起こった一番不思議な出来事を聞く。
不思議なのは3番目だけで、あとはただの失敗譚だった。アラブには狡っ辛いのが多いな。まったく油断できない。
- カイロの警備頭の話 - 賄賂を受け取った警備頭が判官に呼び出される。
- ブラックの警備頭の話 - 莫大な借金を抱える警備頭が、泥棒から盗品を貰う。
- 旧カイロの警備頭の話 - 絞首台に2人の死体がぶら下がっていた。
「泥棒と両替屋」(第三百四十四夜―)
泥棒が両替屋の金を盗む。
「アレキサンドリアのいかさま師と警備頭」のバリエーション。奴隷女を助けつつちゃんと利益も得ている。
「クスの警備頭とぺてん師」
追い剥ぎがクスの警備頭に盗品を献上、これからまっとうに生活するということで、奇麗な金を援助してもらう。
「ブラックの警備頭の話」のバリエーション。さすがアラブの泥棒は現実主義者だ。ここまで読んだ限りでは、皆あの手この手で金をゲットしている。
「イブラヒム・ビン・アル・マーディと商人の妹」
アル・マアムン教主の伯父イブラヒム・ビン・アル・マーディが、ふらりと立ち寄った民家でご馳走と娘を頂く。
アラブの金持ちは気前が良い。信じられないくらいぽんぽん金を配っている。自民党の大物政治家もびっくりなくらい。
「貧者に物を施して両手を切られた女の話」
貧者に物を施した女が、王様の布告を破ったとして両手を切られる。その後、女は王と結婚するが……。
風変わりな擬人化が目を惹く。教訓話とはいえ、こういう民俗ネタは嫌いではない。
「信心深いイスラエル人」
貧しいユダヤ人が物々交換で魚を得る。腹を割くとなかから真珠が出てきた。
昔はこういう物語が道徳の教科書代わりだったのだな。誠実に生きていれば良いことあるよ、と。
「アブ・ハサン・アル・ジャディとホラサンの男」
アブ・ハサン・アル・ジャディが、ホラサンの男から大金を預かる。しかし、アブはその金でさっさと借金を清算してしまった。ホラサンの男が返却を要請しにやってきたが……。
何じゃこりゃ。アラーの思し召しで金持ちになっている。くだらねーの。
「貧しい男と親友」
無一文の宝石商が友人から金を借りる。それを元手に一財産作る。
本人に種明かしするなんてちと恩着せがましいような。そういうのは自分の胸にしまっておくのがダンディってものだぜ。
「おちぶれた男が夢のお告げで金持ちになった話」
素寒貧になったお大尽が夢のお告げでカイロへ。
信じる者は救われるという話。一捻りしてから金持ちになっている。
「アル・ムタワッキル教主と側女マーブバー」(―第三百五十三夜)
教主と側女の愛。
痛切なラストだった。皆は忘れても側女だけは忘れない。これぞ純愛である。
「肉屋のワルダンが女と熊を相手に冒険をした話」(第三百五十三夜―)
女と熊が情交に及んでいた。肉屋のワルダンが熊を殺し、請われるまま女も殺す。
獣姦ネタ。世の中には色々な嗜好の人がいる。
「王女と猿」(―第三百五十七夜)
黒人の魔羅が忘れられない王女。侍女によると猿のほうが凄いという。通りがかったのを拉致して情事に耽る。
獣姦ネタ。猿とやるなんて怪しからん。代わりに俺がよがらせてやるよ。げー、強くて耐えきれんわい。老婆の知恵を借りねば。おっ、薬を使ったら玉門(性器)から淫乱の虫が出てきた。めでたし、めでたし。
「黒檀の馬」(第三百五十七夜―第三百七十一夜)
王子が空飛ぶ黒檀の馬に乗って異国へ。そこの姫に一目惚れし、父親の軍隊と一戦まみえる。
これは面白かった。何といっても、「黒檀の馬」という空想的なマテリアルが素晴らしい。いつの時代も、空を飛ぶ話はわくわくさせるものがある。
それにしても、『千夜一夜物語』は不細工に厳しい。善人か悪人か、あるいは英雄か凡人かは、顔の良し悪しで判断されている。
「ウンス・アル・ウユドと大臣の娘アル・ワルド・フィル・アクマム(ばらの蕾)」(第三百七十一夜―第三百八十一夜)
大臣の娘が若者に一目惚れ。相思相愛になるも離ればなれになる。
うーむ、ポエムが多くて真面目に読む気がしない。物語もパターン化していていまいちだった。昔の人は、出会い→別れ→再会という話が好きだったのか。こりゃ今のケータイ小説を笑えねーぞ。
吸茎(フェラチオ)、啜陰(クンニリンクトゥス)、相舐(シックスティ・ナイン)と訳がふるっている。
「アブ・ノワスに三人の美少年とハルン・アル・ラシッド教主」(第三百八十一夜―)
アブ・ノワスが3人の美少年たちと淫らな酒色に耽っていた。そこへハルン・アル・ラシッド教主がやってくる。
ポエム絡みの小品。芸は身を助ける。品行は悪くても詩作は一級品ということで、アブ・ノワスは憎めないキャラだ。
「アブダラー・ビン・マアマルにバッソラーの男とその奴隷女」
金に困った男が奴隷女を売り飛ばそうとする。相思相愛で別れるに忍びなかったが……。
ポエム絡みの小品。普通の人情ものだった。
「オズラー族の恋人たち」
恋の病で死ぬ男女。
ポエム絡みの小品。アホかいな。
「アル・ヤマンの大臣と若い弟」
老師が大臣の弟に惚れる。
ポエム絡みの小品。同性愛ネタ。
「授業中の少年と少女の恋」
授業中に少年と少女が愛の詩を書く。そこへ先生が詩を書き足す。さらに、少女の持ち主も書き足す。
ポエム絡みの小品。イスラムの女は12歳で結婚するのだから驚きだ。
「アル・ムタラムミスと妻のウマイマー」
夫が行方不明になった。残された妻は周りの勧めでしぶしぶ再婚することに。ところが、婚礼の晩に夫が帰ってくる。
ポエム絡みの小品。ドロドロしそうなシチュエーションだけど素朴にまとめている。これぞ純愛。
「ハルン・アル・ラシッド教主と水浴中のズバイダー妃」
教主が妃の裸を覗き見て詩を作る。しかし、冒頭の二句で詰まったので、アブ・ノワスを呼んで残りを作らせる。
ポエム絡みの小品。アブ・ノワスもすっかりレギュラーになっている。これで3度目の登場だ。
「ハルン・アル・ラシッドと三人の詩人」
教主が腰元のセリフを元に詩を作らせる。
ポエム絡みの小品。アブ・ノワスの詩作があまりに卓越していて殺されそうになった。優れた芸術家は知らないうちに真実を見通す。
「ムスアブ・ビン・アル・ズバイルとタラーの娘アイシャー」
ムスアブとアイシャーが結婚してセックス三昧。
ポエム絡みの小品。性交中に体を動かす術について注釈が。東洋ではしとやかな女ですらこれを行うとか。また、中国では、老婆が若い女にこれを教えているらしい。
「アブ・アル・アスワドと奴隷娘」
アブ・アル・アスワドが片目の潰れた娘と結婚する。
ポエム絡みの小品。キリスト教の世界観だと、障害者は前世の罪悪を背負っていることになっている。でも、その点イスラム教は寛容らしい。ちゃんと庇っている。
「ハルン・アル・ラシッド教主とふたりの奴隷娘」
2人の奴隷娘が教主の一物を立たせる。
予言者の言葉を引き合いに出している。死せる者を甦えらせたとか。では、そいつは誰の者になるのか?
「ハルン・アル・ラシッド教主と三人の奴隷娘」
3人の奴隷娘が教主の一物を立たせる。
予言者の言葉を引き合いに出している。死せる土地を甦えらせたとか。では、その土地は誰のものになるのか?
「粉屋とその女房」
粉屋が夢のお告げで宝のありかを知る。それを女房に伝える。女房は懸想していた男に秘密を打ち明ける。
教訓話。ま、女房といえども所詮は他人ってことだ。
「薄ばかといかさま師」
いかさま師が薄ばかの驢馬に成り済ます。
笑話。確かグリム童話にこういうのあったような。ギュスターヴ・ド・レの挿絵で読みたい。
「判官アブ・ユスフにハルン・アル・ラシッド教主とズバイダー妃」(―第三百八十九夜)
寝室の夜具に精液がべっとりついていた。教主が妃を呼んで詰問する。
おお、これは一種のミステリではないか。名探偵アブ・ユスフが真相を明らかにしている。
「アル・ハキム教主と商人」(第三百八十九夜―)
旅の教主が商人の盛大なもてなしを受ける。どうやら商人は即興で席を用意したらしい。
『おぼっちゃまくん』【Amazon】みたいだなあ。そりゃ、お大尽ならではの所業だよ。こうして富める者はますます富んでいく。
「キスラ・アヌシルワン王と村の娘」
王様が村娘に水を所望する。コップには埃が入っていた。そのことを問い質すと、娘は意外なことを口にする。
これは機知に富んでいる。まるで中国の説話みたい。
「水汲み男と細工師の女房」
水汲み男が、細工師の女房の手を握る。
信仰心を煽り立てる小話。夫と水汲み男、2人の罪がリンクしているのが面白い。夫が大罪を犯せば、水汲み男も大罪を犯したわけだ。宗教絡みの話って妙なバランスがあるよな。
「フスラウ王と妃シリンと漁師」
王様が魚を献上した漁師に大金を渡す。それを妃が咎めて策を弄する。
「まず隗より始めよ」の逆パターン。漁師ごときに大金を渡したら、大臣にはもっと金を払わなければならないという理屈。根性悪い女だなあと思っていたら、これは漁師のほうが一枚上手だった。知らず知らずのうちに難癖をかわしている。
あと、オチがすごい。これじゃあフェミニストは大激怒だろ。
「バルマク家のヤーヤ・ビン・ハリドと貧乏な男」
ヤーヤ・ビン・ハリドの家に貧乏な男が逗留する。大金が貯まったので蓄電する。
ヤーヤ・ビン・ハリドを讃える話。この人もレギュラーキャラと化している。ホント、良い奴だな。
「モハメッド・アル・アミンと奴隷女」
モハメッド・アル・アミン(後のアッバス朝6代目教主)が、ジャアフル・ビン・ムサ・アル・ハディ(アッバス朝4代目教主)の奴隷娘を欲しがる。
どうってことのない教訓話。なお、アッバス朝5代目教主こそ、我らがハルン・アル・ラシッドだ。
「ヤーヤ・ビン・アル・ハリドの息子たちとサイド・ビン・サリム・アル・バヒリ」
サイドがバルマク家の人たちに債務を肩代わりしてもらう。
『千夜一夜物語』の金持ちはみな気前が良い。金が余って余って仕方がないのだろうか。
「亭主をだました女房の策略」
女房が男友達と旅行する。
何で水瓶の魚は1週間も生きてたの?
「信心深い女と邪まなふたりの老人」
女にふられた老人が、腹いせに彼女を姦婦として訴える。
はい、アラーの天罰が下りました。アラーの他に主権(ちから)なく、権力なしですな。
「バルマク家のジャアフルと年老いたバダウィ人」
ジャアフルがハルン・アル・ラシッド教主の命令で、年老いたバタウィ人をからかう。
どうってことのない小品。目薬を買うためにわざわざ砂漠を渡っている。
「オマル・ビン・アル・ハッタブ教主と若いバダウィ人」(―第三百九十七夜)
父殺しをめぐる裁判。犯人にも言い分があった。
退屈な小話もこれでひとまず打ち止め。次巻は面白いと良いなあ。
>>『バートン版 千夜一夜物語 6』へ
2007.12.22 (Sat)
◆キャロル・リード『第三の男』(1949/英)

★★★★★
The Third Man
ジョゼフ・コットン / オーソン・ウェルズ / アリダ・ヴァリ / トレヴァー・ハワード
ファーストトレーディング 【Amazon】
米・ソ・英・仏の四国が管理するオーストリアの首都ウィーン。アメリカの三文小説家ホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)が、友人のハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)を訪ねにやってきた。ところが、ライムはたった今交通事故で死んだという。関係者の証言に食い違いがあることから、マーティンスは独自で調査をする。
廉価版が出てたので7年ぶりに再見。前に観たときは下水道の場面が長いと思ったけれど、今回観たらそうでもなかった。むしろ、下水道は最大の見どころだ。警察の包囲が徐々に狭まっていくところは、まさに「袋の鼠」という言葉がぴったりくる。さらに、四方から響く声、排水溝から突き出る指、旧友同士の無言の意思疎通など、映画史上に残る名シーンが連なっている。
観覧車から下界を見下ろすシーンは、「見ろ、人がゴミのようだ」の原点だろうか。ハリー・ライムは映画の半分をすぎたあたりからやっと姿を現すのに、その悪党ぶりはムスカ様に匹敵するほどでインパクト大。死の商人ライムは戦争が生んだ暗黒であり、彼はナチスドイツばりのホロコーストに加担している。倒壊した建物といい、跳梁する闇商人といい、この映画は戦争の爪痕をありありと感じさせてくれる。
並木道の端でタバコを燻らせる男。それを一瞥もせず歩き去る女。例の有名なラストは今見ても神がかっている。画面の奥行きを利用して断絶を表すところは、『ゴッドファーザー』【Amazon】のラストを思い出した。
2007.12.23 (Sun)
▲アレックス・シアラー『海のはてまで連れてって』(2003)

★★★
Sea Legs / Alex Shearer
金原瑞人 訳 / ダイヤモンド社 / 2004.8
ISBN 978-4478930526 【Amazon】
「ぼく」とクライヴは双子の兄弟。豪華客船で働く父と3人で暮らしている。父が航海のときは祖父の家に預けられる双子。しかし、父は今度の航海で仕事を辞めるかもしれない。最後のチャンスということで、「ぼく」とクライヴは船に忍び込む。
中学生向けのユーモア小説。双子は密航しているので、当然のことながら父親に見つかってはいけない。また、子供だけでいると怪しまれるので、時々は大人と一緒にいる必要がある。さらに、寝泊まりする部屋がないので、誰も来ない場所を確保しなければならない。と、こういった制約のなかで、彼らは一夏の冒険を繰り広げる。
笑いあり、感動ありでけっこう面白かった。この小説は双子の掛け合いがユーモアの源になっていて、クライヴのマヌケな挙動を「ぼく」が見下した態度で論評している。身近な相手を貶すところは年頃の少年らしくて微笑ましいけれど、ただクライヴの造型があまりに過剰なため、ときおり鬱陶しく感じることもあった。両者合意の漫才というよりは、何か常識の範疇から外れたナンセンスなノリというか。クライヴの天然ぶりはまるでドン・キホーテのようで、まともな社会生活を営めないレベルにまで達している。
しかし、この辺は文化の違いだろう。子供用に誇張されているとはいえ、こうしたユーモアが底流にあるからこそ、家族の絆を確かめる流れも嫌味にならない。さらに、前述の笑い意外にも、イギリスらしい知的な言い回しがちらほらあって、特に父親とばったり出くわした時のやりとりはとても可笑しい。本作は笑いと感動を両立させた優れたジュヴナイルだと思う。
2007.12.25 (Tue)
▲フリオ・リャマサーレス『狼たちの月』(1985)

★★★
Luna De Lobos / Julio Llamazares
木村榮一 訳 / ヴィレッジブックス / 2007.12
ISBN 978-4789731874 【Amazon】
1937年のスペイン、アストゥリアス地方。内戦によってフランコ派の治安警備隊が派遣されるようになった。共和派の敗残兵たちが、山の中で逃亡生活を送る。
彼女はもう耐えきれなくなった。折れた技のように身体を二つに折ると、ぼくを床に引きずり倒し、ぼくの目を黒い光で満たす。完全な夜。果てしない錯乱。時間の蒼穹がぶつかり合う二つの川のように鈍い唸り声を上げてわれわれの上に落ちかかってくる。ぶつかり合い、溶け合う二つの川。ぶつかり合い、溶け合い、そしてまた溶け合う二つの川。(p.170-1)
詩人らしい味のある小説だった。山に追い込まれた若者たちを狼に重ねて、その苦闘の年月を澄んだ文章で綴っている。『わが悲しき娼婦たちの思い出』を読んだときにも思ったけれど、木村榮一の訳文は日本語としてとても美しい。平易な言葉の組み合わせで、詩的な情景を映しだしている。
舞台は農業中心の貧しい山村。日常と隣り合わせに暴力が存在している。平然と弾圧を加える治安警備隊には、人権という言葉はいっさい通用しない。逃亡者の家族を拷問にかけ、本人を捕まえたら問答無用でぶち殺している。逃亡者たちはもともと無辜の一般人で、たとえば語り手は村の教師を務めていた。ところが、そんな彼らも暴力に対しては暴力で応じるしかなく、強盗や殺人に手を染めている。政治の混迷によって人が人でなくなる状況。敵対者を容赦なく殺す、ラテン世界の苛烈さを思い知ったのだった。こういうのを読むと、人間平和ボケしてるくらいがちょうどいいと痛感する。
2007.12.26 (Wed)
■ザ・ブルーハーツ『SUPER BEST』(1995)

トライエム 【Amazon】
ベストアルバム。初期の17曲を収録している。
最近復刻した初期3部作【Amazon】の音質が悪かった(昔のままらしい)ので。このCDはちゃんとリマスタリングされている。ブルーハーツは2枚目の『YOUNG&PRETTY』【Amazon】が神クラスのアルバムなので、せめてこれだけでもリマスタリングしてもらいたい。
負け犬の視点から劣等感を肯定した歌詞はいま聴いても斬新だ。パンクのノリも快調で、生きる気力がもりもり沸いてくる。
選曲については、「シャララ」、「平成のブルース」(これ1曲で10分もある!)を外して、「僕の右手」、「ロクデナシII(ギター弾きに部屋は無し)」、「チューインガムをかみながら」を入れて欲しかった。特に「僕の右手」は、ブルーハーツのベスト・オブ・ベストだと思う。
「1985」はインディーズ時代の曲で、1985年のクリスマス・ライヴ以降は演奏していないという。なるほど、この曲を封印した気持ちはよく分かる。歳食ってから最後の尾崎っぽい台詞をかますのはきついだろう。いや、個人的には好きだけどさあ、こういうの。
以下、曲目。
- リンダ・リンダ
- 人にやさしく
- シャララ
- ロクデナシ
- ラヴレター
- 平成のブルース
- キスしてほしい(トゥー・トゥー・トゥー)
- ハンマー
- チェインギャング
- TRAIN-TRAIN
- ラインを越えて
- 僕はここに立っているよ
- 英雄にあこがれて
- 青空
- 終わらない歌
- ブルーハーツより愛を込めて
- 1985
2007.12.29 (Sat)
▽レイナルド・アレナス『夜明け前のセレスティーノ』(1965)

★★★★
Celestino Antes Del Alba / Reinald Arenas
安藤哲行 訳 / 国書刊行会 / 2002.4
ISBN 978-4336040305 【Amazon】
貧困に苦しむキューバの山村。父なし子の語り手は、地獄のような家に住んでいた。母は井戸に飛び込み、祖父は家族に鞭をふるう。親族のセレスティーノは木の幹に詩を書き付け、語り手は死んだいとこたちと会話を繰り広げる。
ぼくのかあちゃんは家から走りでてきたところ。そして、井戸に飛び込むわ、と気狂いみたいに、叫びつづけた。井戸の底にぼくのかあちゃんが見える。落葉だらけの緑っぽい水面に浮いているが見える。そしてぼくは中庭に向かって駆けだす。井戸はそこにあるんだけど、アルマシゴの丸太で作った井戸べりは崩れかかっている。
駆け寄って、のぞき込む。でも、いつもと同じ。ぼくがそこ、下にいるだけ。ぼく、下から、上に反射している。ぼく、緑っぽい水面につばをはくだけで消えちゃう。(p.9)
んー、これはまたけったいな小説だった。夢とも現ともつかない、霧の中の走馬灯という印象。飢餓にあえぐキューバの過酷な生活が、寓意と象徴をふんだんに駆使した別の位相として描かれている。最近読んだ本だと、『廊下に植えた林檎の木』が感触的には近い。何かキチガイの脳内世界を見せられているような気分というか。登場人物が身体を貪り食う。他者の言葉が挿入される。物語が3回も終幕を迎える。唐突に話が戯曲形式に変わる。この小説は破格の語りによって、永遠に飢えから解放されない、円環的な世界を作りあげている。
中盤の「アチャス(斧)」連発は、まるで承太郎のオラオラみたいなインパクトだ。祖父が持つ「アチャス」は、言うまでもなく権力の象徴である。彼は「アチャス」を使って、セレスティーノの言論活動をことごとく封殺していった。中盤ではその重々しい物質が言葉に変換され、洪水となって紙面を埋め尽くしていく。アチャスアチャスアチャス。アチャスアチャスアチャス。アチャスアチャスアチャス……。祖父を殺したいが殺すことはできない。祖父は暴力で家族を支配している。そのめくるめく言葉の奔流には、窒息しそうなほどの閉塞感が表れている。20歳でこれを書くとは著者はバケモノかと思う。