2008.3b / Pulp Literature

2008.3.11 (Tue)

P・G・ウッドハウス『ジーヴスと恋の季節』(1949)

ジーヴスと恋の季節(111x160,5493byte)

★★★
The Mating Season / Pelham Grenville Wodehouse
森村たまき 訳 / 国書刊行会 / 2007.12
ISBN 978-4336049889 【Amazon

バーティーがガッシーの替え玉としてデヴリル・ホールに赴く。その後、キャッツミートがガッシーの従僕、ガッシーがバーティーを名乗ってやってきた。ホールでは恋愛関係がこじれ、厄介な催しものが始まろうとしている。混迷する状況を執事のジーヴスが解消する。

『ジーヴスと朝のよろこび』に続くウッドハウス・コレクションの第8弾。今回は3人が身分を偽るのが目新しいくらいで、小説としてのクオリティは標準的だった。

4組のカップルと5人のおば(!)が出てくるせいか、ジーヴスとの掛け合いは控えめ。代わりにサブキャラクターとの絡みが多く、特に似たもの同士のバーティー&ガッシーが、お互いに見下し合っているのが可笑しかった。バーティーは自分がガッシーと呼ばれることにショックを受けているし、ガッシーは自分がバーティーと呼ばれることに嫌悪の念を表明している。さらに、バーティーの自己評価と周りの評価の食い違いが鮮明に。彼は別人に扮しているため、自分に関するありのままの評判を耳にすることになる。

この巻のMVPは、ジーヴスの叔父シルヴァースミスだろう。デヴリル・ホールの謹厳な執事として威信を保っている彼。それが脇腹に指を突っ込まれて思わぬリアクションを返しているところが可愛い。この下りを読んで、不覚にもハートを鷲掴みにされてしまった。こりゃ今年の夏、彼を主人公にしたスピンオフ作品がコミケで出るぞ。要チェックだ。

>>Author - P・G・ウッドハウス

2008.3.13 (Thu)

ジム・フジーリ『ペット・サウンズ』(2005)

ペット・サウンズ(108x160,4666byte)

★★★
Pet Sounds / Jim Fusilli
村上春樹 訳 / 新潮クレスト・ブックス / 2008.2
ISBN 978-4105900649 【Amazon

ロックの名盤をテーマにしたノンフィクション。ビーチ・ボイーズのリーダー、ブライアン・ウィルソンの悲哀を、彼が生んだアルバム『ペット・サウンズ』と重ねて物語る。

今の若い人に、「ビーチ・ボーイズはかつて、ビートルズと同じくらい優れたバンドだったんだよ」なんて言ったら、おそらく変な顔をされるのがおちだろう。でもそれは嘘じゃない。『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』はロック時代のベスト・アルバムだとよく言われる。しかしそこには『ペット・サウンズ』がもっているような深い感情的、音楽的洗練性が果たして備わっているだろうか? (p.56)

村上春樹訳/クレストの新刊ということで、奔放なフィクションを期待していたら、何と普通のノンフィクションだった。

本書のターゲットはずばりビーチ・ボーイズのファン。それも、「ビートルズよりビーチ・ボーイズのほうが好き」という風変わりな熱狂的なファンである。私はベストアルバムを1回聴いて放り出したクチなので、当然『ペット・サウンズ』【Amazon】は未聴で、内容にはあまりついていけず。楽曲の解説はほどほどに飛ばして、ブライアン・ウィルソンについての記述を中心に拾い読みした。

ブライアン・ジョーンズやシド・バレットなど、欧米のミュージックシーンは常に破滅型の天才に彩られてきたけれど、ブライアン・ウィルソンもその系譜に連なるのかもしれない。感情が爆発して演奏活動から離れたり、酒と麻薬に溺れて引きこもったり、いい歳こいて母親に甘えたり。ブライアンは幼い頃から父親の虐待を受けていて、成人後、すなわちバンドとして成功したあとも逃れることができなかった。何かとバンドに首を突っ込んで不和の種を蒔きちらしている父。楽譜出版社の社長として曲の権利を売りはらっている父。この男はブライアンが2歳のとき、殴打をくわえて右耳の聴覚を奪っていたのだった(*1)。ブライアンは10代になっても寝小便が終わらなかったというのだから、おそらく何らかの精神疾患を抱えていたのだろう。成人しても心は折れやすく、その繊細さが曲に反映していたようである。

というわけで、本書は破滅型ミュージシャンのルーツが窺えて興味深かった。やはり明るく健康的な優等生よりも、病的で陰のあるはみ出し者のほうが、ロックというジャンルにはふさわしいと思うし。アルバムもそのうち聴いてみたい。

>>新潮クレスト・ブックス

*1: Wikipediaによると、後に本人が先天性の聴神経障害だったと言っているらしい。父親に殴られて云々は被害妄想だったとか。父との確執は、眉に唾をつけて読んだほうがいいのかもしれない。

2008.3.15 (Sat)

エリザベス・ボウエン『エヴァ・トラウト』(1969)

エヴァ・トラウト(109x160,4604byte)

★★★
Eva Trout, or Changing Scenes / Elizabeth Bowen
太田良子 訳 / 国書刊行会 / 2008.2
ISBN 978-4336049858 【Amazon

財産家の娘エヴァ・トラウトは、生後2ヶ月のとき母を事故で亡くした。その後、23歳のときに父が自殺、彼の愛人コンスタンティンが後見人になる。エヴァは自らの希望で女学校時代の恩師の家に起居するも、遺産相続の直前、外に家を借りて一人暮らしを始める。

著者はアングロ・アイリッシュの女性作家。イギリスでは、ヴァージニア・ウルフ、アイリス・マードック、ドリス・レッシングに並ぶという。本書はボウエン最後の長編で、ブッカー賞の最終候補作にもなっている。

人物の内面がぼやけているせいか、すらすらと読みやすいわりには掴み所のない小説だった。たとえば、金持ちのエヴァはときに気まぐれとしか思えない行動をとるのだけど、その理由を地の文で説明することはなく、本人および周囲の人たちのセリフから推測するような形になっている。エヴァがとつぜん寄宿先を引き払ったのはなぜなのか。また、非合法な取引で子供を入手したのはなぜなのか。いずれもはっきりした確証は得られず、ただ大雑把な輪郭が描けるのみ。この小説は登場人物がみな茫洋としているため、彼らのセリフも本心を表明しているようには思えない。全体として、動機や真実といった核心が不透明になっている。

このモチーフをもっとも苛烈に反映させたのが、聾唖児のジェレミーだろう。彼は生後3ヶ月のとき、非合法手段でエヴァに買われ、物語の後半では8歳になっている。口のきけないジェレミーは、まったくと言っていいほど自分の意思を表現しない。ときおり怪しげな振る舞いを見せるものの、それらは幼児的・動物的な本能に近く、すんなり解釈することはできない。彼の内面は作中最大のブラックボックスと化しており、まるで『敵あるいはフォー』のフライデーのように謎めいている。

つまり、この小説において信頼に足るのは出来事だけで、それらを構成する人物の内面には、一定の疑問符がついて回るということだ。もちろん愚直な人も何人かはいて、彼らのセリフ(=その奥にある内面)は相対的には信用できる。けれども、全ての靄を吹き飛ばすほどの力はなく、結局は大雑把な輪郭しか返してこない。本作はこの辺の掴み所のなさがポイントなのだと思う。

2008.3.18 (Tue)

残雪『突囲表演』(1988)

突囲表演(109x160,4173byte)

★★★
突囲表演 / 残雪
近藤直子 訳 / 文藝春秋 / 1997.9
ISBN 978-4163171609 【Amazon

煎り豆屋の妻X女史は、官能的な容姿で多くの男たちを虜にしていた。そんな彼女が妻子持ちのQ男史と快楽の境地に至ったという。五香街(ウーシャンチェ)を騒がせた姦通事件をルポルタージュ風に物語る。

あのことがあったあと、金ばあさんに大きな変化が起きた。ある朝起きると突然、自分のからだに大きな自信が湧いてきたのだ。鏡にあちこち映してさまざまな印象的なポーズをとり、それから彼女の肉体を遮断する上着の着用をやめることに決めた。その「魂のあますところなき展示」に到達したかったのだ。彼女はすべての条件がすでに整ったと感じていた。そこで上半身はだかになって、「展示」を開始した。ところが残念ながら、五香街の大衆の美意識はその種の「展示」には馴染まず、反応は冷やかだった。だれもが目をできるだけそらしてばあさんの裸体を見ないふりをしたのだ。(p.51)

従来の悪夢的なイメージとは打って変わって、今回は饒舌な艶笑譚だった。お上を挑発しているとしか思えないほど、全編「性」の話題に溢れている。一見して目につくのが改行の少なさだろう。どのページも『族長の秋』並に文字がびっしり詰まっている。ひとつひとつの文章は平易で読みやすいとはいえ、執拗な叙述と切れ目のない段落が、めくるめく言葉の迷宮を作り出していて、油断していると筋が追えなくなる。この極端な饒舌ぶりは、たとえば『吾輩は猫である』【Amazon】や『説教師カニバットと百人の危ない美女』【Amazon】なんかを思い出させる。

登場人物はみな記号化されていて固有名はない。語り手の目的はX女史の評価を定めることにあって、五香街(ウーシャンチェ)の様々な人たちに取材している。しかし、彼女については諸説いりみだれている様子。性格はおろか年齢さえ確定することができない。当然、傑物か俗物かでも評価が分かれており、崇拝者から敵対者まで長々と証言している。これがまた人を食っていて、いつまで経っても核心に踏み込まない。話はX女史の周りをぐるぐると回りながら、いつしか住人たちで包囲網をつくっている。

とにかく、破格の小説であることに間違いはない。色々と深読みできる要素が入っているけれど、それを抜きにしても饒舌な語り口に圧倒される。また、語られるエピソードも妙にユーモラスで、読めば読むほど五香街(ウーシャンチェ)の人たちの小市民っぷりが愛おしくなる。世の習いの通り、この街でも女たちは一様に強く、男たちは一様に弱い。前者は強いがゆえに突き抜けた行動を取り、後者は弱いがゆえに翻弄され道化を演じる。ここに男女共同参画のお笑い空間ができあがっている。

>>Author - 残雪

2008.3.20 (Thu)

DBCピエール『ヴァーノン・ゴッド・リトル』(2003)

ヴァーノン・ゴッド・リトル―死をめぐる21世紀の喜劇(113x160,5059byte)

★★★
Vernon God Little / DBC Pierre
都甲幸治 訳 / ヴィレッジブックス / 2007.12 / ブッカー賞
ISBN 978-4789732369 【Amazon

テキサス州マーティリオ。15歳の高校生ヴァーノン・グレゴリー・リトルが、銃乱射事件の共犯として身柄を拘束される。彼は無実を主張するも、状況は極めて不利だった。釈放後、周囲のエゴに追いつめられたヴァーノンは、メキシコへの逃亡を目論む。

「テレビ画面では事実は白か黒だろ。でもそれは、大量のグレーをプロ集団がふるい分けてるからさ。おまえに必要なのは自分の立ち位置だよ。市場に出回る商品と同じ――刑務所は立ち位置を決められなかったやつでいっぱいさ」(p.51)

負け組男子を主人公にした、ファッキン・シットな青春小説。コロンバイン高校の銃乱射事件に材をとっている。軽い文体ながらも内容はえげつなく、要領の悪い少年がどんどん追いつめられていくところは、パトリシア・ハイスミスを彷彿とさせる。

将棋でいえば、はじめから必至をかけられている状態である。ヴァーノンは犯人と親しかったという理由で目をつけられ、犯人が自殺して責任をとれないという理由でスケープゴートにされる。無実であるにもかかわらずだ。その後はメディアの扇動によって金儲けの道具にされたり、テキサス全土で起きた殺人の犯人に仕立て上げられたり、大人たちの欲望に翻弄されていく。ホモの精神科医から身分詐称のテレビ屋まで、寄ってくるのがみな激安人間というのが辺境クオリティ。バカで無防備なヴァーノンは、真実に見放されて肥溜めにどっぷり浸かることになる。

副題は「死をめぐる21世紀の喜劇」。確かに作品のトーンは黒くて喜劇的だ。陥る状況がとんでもなく理不尽なため、小説全体が何かのアレゴレーに思えてくる。不幸を凝縮させることによって、人生の滑稽さが抽出されているというか。全ての行動が悪い方向にしか作用しないのは、因果を見通すことができないからだし、周囲の無理解によって孤立するのは、偏見に基づいた解釈の恣意性に帰結する。つまり、道を切り開けるようで実はどうにもならないというのが、人生の本質なのだろう。欲望を押しつけてくる世界に対して、1人の少年はあまりに無力。ヴァーノンの苦難は、運の悪さ以上に弱者であることが原因のように思えてくる。

あり得ない状況ながらも青春小説として溜飲が下がるのは、土壇場でヴァーノンが悟りを開くからだ。通過儀礼としてはあまりに残酷だけど(何せ死刑判決が下るんだぜ?)、自分を見つめ直すにはちょうどいい機会だったのかもしれない。人は困難のなかでこそ、一条の光を見つけることができる。……いや、思わずそう納得してしまうところが、この小説の怖さなのだろう。ともあれ、冗談めいたラストの展開はかなり痺れる。ここまでウンコが重要な役割を果たす小説は読んだことがなかった。