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2008.3.23 (Sun)
▲V・S・ナイポール『自由の国で』(1971)
![自由の国で [V・S・ナイポール・コレクション3] (V.S.ナイポール・コレクション 3)(113x160,6917byte)](http://ecx.images-amazon.com/images/I/212VwIcCB7L.jpg)
★★★
In a Free State / V. S. Naipaul
安引宏 訳 / 草思社 / 2007.12 / ブッカー賞
ISBN 978-4794216632 【Amazon】
5つの中短編を1つの作品としたコレクティヴ・ノベル。「ピレウスの老ヒッピー」、「大勢の中で一人は」、「教えてくれ、誰を殺るのか」、「自由の国で」、「ルクソールの中国雑技団」の5編。
複数の中短編を連ねることによって、ポスト・コロニアルな状況を俯瞰しようという試み。いずれも故国から遠く離れた人々にスポットを当てている。鋭い観察力の賜物なのだろう、異境でのとまどいに臨場感があって、著者の紀行作家としての力量が垣間見える。これは旅行記も読まねばなるまいなと思った。
以下、各中短編について。
「ピレウスの老ヒッピー」
プロローグ。アテネの外港ピレウスから、カイロの外港アレキサンドリアへの船旅。イギリス系の老ヒッピーが、他の乗客とトラブルを起こす。旅日記からの抜粋。
「大勢の中で一人は」
インド人料理人のサントシュが、雇い主と共にボンベイからワシントンへ渡る。慣れない環境のせいでひきこもりがちになるも、レストランの店主と出会うことで転機が訪れる。
インド人からアメリカ人へ脱皮する様子を描いている。サントシュは雇い主から離れることで自由になったのだけど、精神的にはかえって不自由になってしまう。以前は雇い主に従属することでアイデンティティを保っていた。それが今では自分を主人として仰がなければならない。使用人だったときは自由を謳歌していたのに、逃げ出してからは精神的な拠り所がなくて孤独になる。
自由とは何か? その意味を悟ってサントシュはアメリカ人になる。公民権運動を背景にしているところが暗示的だ。
「教えてくれ、誰を殺るのか」
トリニダードでは、叔父のスティーヴンが自分の息子を外国に留学させて得意になっていた。そこで語り手の家でも弟をロンドンに留学させる。さらに、トラック運転手だった語り手もロンドンに出て働くことに。語り手は弟のために大金を稼ぐが、しかし弟の様子は何だか変だった。折しも叔父の息子はプレッシャーに押しつぶされて気が変になり……。
スティーヴンの娘たちが、とりわけあの子に反感を持った。ハンサムないとこを誇りにしていいはずだと思うだろ? でも、違うんだな。貧しい連中すべてと同じに、のし上がるのは自分たちだけでありたかったのさ。貧乏人を踏み付けにしておきたいのは、いつだって貧乏人仲間なんだぜ。(p.104)
ポスコロ特有の問題というよりは、田舎者の悲劇という感じで普遍的だ。進学することによって、一家の将来を背負ってしまう。こういう格差が生じないように、大学まで義務教育にすれば良いんだよな。
「自由の国で」
ウガンダでは大統領と国王が対立していた。ゲイのイギリス人ボビーは、この国で政府関係の仕事についている。国王捜索のヘリが飛ぶなか、ボビーは女を乗せてドライブする。
本書のメインディッシュにして、ナイポール版『闇の奥』【Amazon】。イギリス人男女が旅の途上で黒人観を戦わせつつ、現地の人たちとの関わりを通じて、白人と黒人の断絶を浮き彫りにする。使用人から軍人まで、出てくる黒人は様々だけど、1人として心を通わせることができない。白人の目から見た黒人は、結局のところ得体が知れないのだ。この辺の荒涼とした感覚は、同じブッカー賞受賞作の『恥辱』を思わせる。
「ルクソールの中国雑技団」
エピローグ。ミラノで中国雑技団に遭遇、エジプトで少年を助けた後、ルクソールで雑技団と再会する。旅日記からの抜粋。
2008.3.25 (Tue)
●新入生のための海外現代文学リスト
ラノベに飽きた大学生向け。とりあえず、100冊挙げてみた(1作家につき1作)。ジャンルや地域などバランスを重視して選んだので、全部読めば読書の幅が広がっているはず!
- アジェンデ『エバ・ルーナ』(国書刊行会)
- アチェベ『崩れゆく絆』(門土社)
- アトウッド『侍女の物語』(早川書房)
- アレナス『めくるめく世界』(国書刊行会)
- アンドリッチ『ドリナの橋』(恒文社)
- イシグロ『充たされざる者』(早川書房)
- ヴィアン『心臓抜き』(早川書房)
- ウェルシュ『マラボゥストーク』(スリーエーネットワーク)
- ウエルベック『素粒子』(筑摩書房)
- ヴォネガット『スローターハウス5』(早川書房)
- エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』(法政大学出版局)
- エリクソン『黒い時計の旅』(白水社)
- エーコ『フーコーの振り子』(東京創元社)
- オコナー『フラナリー・オコナー全短篇』(筑摩書房)
- オブライエン『第三の警官』(筑摩書房)
- オンダーチェ『ビリー・ザ・キッド全仕事』(国書刊行会)
- カーヴァー『大聖堂』(中央公論新社)
- カーター『ワイズ・チルドレン』(早川書房)
- カダレ『誰がドルンチナを連れ戻したか』(白水社)
- カネッティ『眩暈』(法政大学出版局)
- カポーティー『叶えられた祈り』(新潮社)
- カルヴィーノ『見えない都市』(河出書房新社)
- ガルシア=マルケス『エレンディラ』(筑摩書房)
- カルペンティエル『失われた足跡』(集英社)
- キシュ『砂時計』(松籟社)
- ギルバート『巡礼者たち』(新潮社)
- クッツェー『敵あるいはフォー』(白水社)
- グラス『女ねずみ』(国書刊行会)
- グラック『シルトの岸辺』(筑摩書房)
- クンデラ『無知』(集英社)
- ケアリー『ケリー・ギャングの真実の歴史』(早川書房)
- コルタサル『石蹴り遊び』(集英社)
- ゴンブロヴィチ『バカカイ』(河出書房新社)
- シマトゥパン『渇き』(めこん)
- シモン『フランドルへの道』(白水社)
- シュルツ『シュルツ全小説』(平凡社)
- セリーヌ『夜の果ての旅』(中央公論新社)
- ゼーバルト『アウステルリッツ』(白水社)
- セラ『パスクアル・ドゥアルテの家族』(講談社)
- タブッキ『インド夜想曲』(白水社)
- チュツオーラ『やし酒飲み』(晶文社)
- トゥルニエ『フライデーあるいは太平洋の冥界』(岩波書店)
- ドノソ『夜のみだらな鳥』(集英社)
- トレヴァー『聖母の贈り物』(国書刊行会)
- ナイポール『暗い河』(TBSブリタニカ)
- ナボコフ『セバスチャン・ナイトの真実の生涯』(筑摩書房)
- パヴィチ『ハザール事典』(東京創元社)
- バオ・ニン『戦争の悲しみ』(めるくまーる)
- パス『弓と竪琴』(筑摩書房)
- パムク『わたしの名は紅』(藤原書店)
- バラード『太陽の帝国』(国書刊行会)
- バルガス=リョサ『世界終末戦争』(新潮社)
- パワーズ『舞踏会へ向かう三人の農夫』(みすず書房)
- バンヴィル『コペルニクス博士』(白水社)
- バーンズ『フロベールの鸚鵡』(白水社)
- ビオイ=カサーレス『モレルの発明』(書肆風の薔薇)
- ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』(新潮社)
- ビュトール『時間割』(河出書房新社)
- ピンチョン『V.』(国書刊行会)
- ファウルズ『魔術師』(河出書房新社)
- プイグ『蜘蛛女のキス』(集英社)
- プッツァーティ『タタール人の砂漠』(松籟社)
- ブルガーコフ『巨匠とマルガリータ』(群像社)
- ブローティガン『アメリカの鱒釣り』(新潮社)
- ベイカー『中二階』(白水社)
- ヘラー『キャッチ=22』(早川書房)
- ベルンハルト『消去』(みすず書房)
- ボルヘス『伝奇集』(岩波書店)
- ホワキン『二つのヘソを持った女』(めこん)
- マクラウド『冬の犬』(新潮社)
- マコーマック『隠し部屋を査察して』(東京創元社)
- マッカーシー『すべての美しい馬』(早川書房)
- マードック『ブルーノーの夢』(集英社)
- マングンウイジャヤ『香料諸島綺談』(めこん)
- マンディアルグ『オートバイ』(白水社)
- ミッチェル『ナンバー9ドリーム』(新潮社)
- ミルハウザー『エドウィン・マルハウス』(白水社)
- ムージル『特性のない男』(松籟社)
- ムリシュ『天国の発見』(バジリコ)
- モリスン『ビラヴド』(集英社)
- ラシュディ『悪魔の詩』(新泉社)
- ラーヤワー『ヨム河』(段々社)
- ランドルフィ『カフカの父親』(国書刊行会)
- イーユン・リー『千年の祈り』(新潮社)
- リャマサーレス『黄色い雨』(新潮社)
- リョウワーリン『インモラル・アンリアル』(サンマーク出版)
- ルーセル『ロクス・ソルス』(平凡社)
- ルルフォ『ペドロ・パラモ』(岩波書店)
- レッシング『シカスタ』(水声社)
- レム『ソラリス』(国書刊行会)
- ロス『さようならコロンバス』(講談社)
- ロブ=グリエ『ニューヨーク革命計画』(新潮社)
- ユルスナール『ハドリアヌス帝の回想』(白水社)
- 残雪『廊下に植えた林檎の木』(河出書房新社)
- 鄭義『神樹』(朝日新聞社)
- 莫言『豊乳肥臀』(平凡社)
- 高行健『ある男の聖書』(集英社)
- 黄皙暎『客人』(岩波書店)
- 李文烈『皇帝のために』(講談社)
- 李昂『迷いの園』(国書刊行会)
気が向いたら古典文学編もやる予定。
改訂履歴
Out: ソルジェニーツィン『収容所群島』、バロウズ『裸のランチ』
In : ケアリー『ケリー・ギャングの真実の歴史』、ベルンハルト『消去』
>>雑記
2008.3.27 (Thu)
▽エンリーケ・ビラ=マタス『バートルビーと仲間たち』(2000)

★★★★
Bartleby Y Compania / Enrique Vila-Matas
木村榮一 訳 / 新潮社 / 2008.2
ISBN 978-4105057718 【Amazon】
心の奥深いところで世界を否定するバートルビー症候群。25年前に筆を折った語り手は、書くことを放棄した作家たちに興味を抱いて、彼らの逸話を収集する。
書けない(書かない?)作家に注目したエッセイ風の小説。サリンジャーやタブッキといった実在の人物から、『ドン・キホーテ』【Amazon】や『バートルビー』【Amazon】といった虚構内の世界まで、否定(ノー)にまつわるエピソードを自在にたぐり寄せている。膨大な知識を土台にして裏の文学史をうち立てているところは、ボルヘスに通じるものがあるかもしれない。ヴァルザー、カフカ、ルルフォ、グラック、ランボー、ペソア、サラマーゴ、ピンチョン……。虚構の人物も含めて、ざっと100人の名が数えられるだろうか。1冊のなかに様々な文学ネタが詰まっていて、エクリチュールをめぐる小宇宙にくらくらしてしまう。
79章にピンチョンが登場(約1ページ)。これが丸々転載したいほど格好良かった。経歴は20代から途切れているし、写真は学生時代の1枚しか残っていない(*1)。何十年も露出を避けているだけあって、ここに書かれたエピソードは実際にあってもおかしくなさそうである。ラストのセリフは謎の作家の面目躍如だろう。
私みたいな素人は、グラック、サリンジャー、ピンチョンが、<隠れた作家>のチャンピオンだと思いがちだけれど、どうやら上には上がいるようだ。84章に出てくるある作家は、まるで冷戦時のスパイみたいな秘密主義を貫いている。国籍は分からないし、人種は隠しているし、何より実生活でさえ多くの偽名を使っていたという。ここまで徹底していると、実は架空の人物ではないかと思えてくる。
2008.3.31 (Mon)
▲ジェイムズ・G・ファレル『セポイの反乱』(1973)

★★★
The Siege of Krishnapur / James Gordon Farrell
岩本巌 訳 / 新潮社 / 1977.6 / ブッカー賞
ISBN 978-1590170922 【Amazon】(原書)
1857年のインド。クリシュナプールでは何者かがチャパティスをばらまいていた。不吉な予感をおぼえた収税官は慌てて土塁を築くも、周囲は彼の行動を嘲笑っている。その後まもなく土民兵が蜂起した。
収税官は、自分にはどうにもわからぬ問題を客観的に論じていた。つまり、ベンガル地方でイギリスが百年にわかって善政を施してきたのに、なぜ今となってインド人がそれに反逆し、ふたたび昔の無政府状態へ戻ろうと考えたのかという疑問だった。たしかに、軍部の連中が宗教的問題を軽くみて、二、三の間違いはした。だが、それがたとえどのように深刻な間違いにしても、イギリス文化という優れた文化を全面的に否定する理由になるとはどうしても考えられない。それではまるで、ローマ人の支配のおかげで向上したブリトン人が、ローマ人が引き揚げてしまったからといって、ふたたび原始民族のように大青を顔に塗りたくることにきめるようなものだ。(p.164)
歴史的事件を背景にしながら、産業革命以降のイギリス人の精神をえぐり出している。周知の通り、当時のインドはイギリスの東インド会社が統治していた。一つの民族が他の民族を支配するということで、倫理的に問題がありそうだけれど、彼らは文明の伝達を根拠として自分たちを正当化している。つまり、俺たちのおかげで土民どもの生活は向上したろう? ってわけだ。さすがジェントルマン国家の大英帝国。この辺の偽善を描いているところは、同じ時代を題材にした『英国紳士、エデンへ行く』と共通する。
収税官は物質文明を信奉し、文学青年は精神主義を標榜している。牧師は神への信仰を声高に叫び、医者は治療法をめぐって同僚を断罪している。長官は無神論のうえに骨相学にはまっていた。クリシュナプールの駐屯地は、土民兵の包囲によって外部との連絡を絶たれ、男女がひしめく閉鎖空間になっている。食糧が不足し、コレラが蔓延し、包囲網が狭まってくる極限状態。そんななかで文明論を戦わせ、何人かは省察を深めていく。
飢餓と汚穢によって文明がはぎ取られていくのがポイントだろうか。襲ってくる土民兵はゾンビみたいだけれど、籠城中のイギリス人も似たような状態になる。髭は伸び放題で、体はやせ衰え、女たちでさえ強烈な体臭を発するようになる。文化の象徴である嗜好品は急速に価値を失い、西欧文明を発展させた偉人たちの銅像は弾丸となって飛散する。牧師の信仰は眉唾だし、医者の治療法も結局は間違いだった(あれだけ非難した同僚のほうが正しかった)。ましてや骨相学なんて言わずもがなのインチキだ。文明は絶対的なものではないということ、そして文明の上にあぐらをかくことの滑稽さが浮き彫りにされている。