2008.4a / Pulp Literature

2008.4.4 (Fri)

ジョン・バージャー『G.』(1972)

G.(102x160,2896byte)

★★★
G. / John Berger
栗原行雄 訳 / 新潮社 / 1975.7 / ブッカー賞
ISBN 978-4105061012 【Amazon
ISBN 978-0747529088 【Amazon】(原書)

1886年。物語の主人公Gは、イタリア人の父とイギリス人の母の私生児として生まれた。長じてからは女を口説くことに情熱を捧げ、政治の混乱を後目に浮き名を流していく。

一九二〇年以後トリエステがイタリア領となり、ファシスト党が公用語としてスロヴェニア語の使用をいっさい禁止した時、あるイタリア人の医師はこう尋ねられた──でも百姓たちは症状をどうやって説明したらいいんです、イタリア語が話せない連中は? 医師は答えた──牛は獣医に自分の病状を説明する必要なんてないでしょうが。(p.232)

これはけっこう厄介だったかな。まるでフランスの小説みたいだった。たとえば、デュラスとかロブ=グリエとかあの辺の系統。茫洋とした海を漂うというか、客体化の度が過ぎて掴み所がないというか、とにかく地に足が着かない感覚が似ている。訳者あとがきによると、著者はもともと美術畑の人のようで、なるほどフランスかぶれなのも無理はないと思った(すごい偏見)。ブッカー賞作品のなかでは、間違いなく異色の部類に入るだろう。

叙述は断章風で、段落にはインデントがなく、代わりに一行空けている。セリフは括弧でくくらず、地の文と一体化している。作者が顔を出し、話題はしばしば脱線し、イラストや挿話といったテキスト上の工夫が凝らされている。物語の焦点となるのは主にGだけど、それ以外に時代そのものを炙り出す意図があるようだ。19世紀末から20世紀初頭までの激動期。英雄的な行動がもてはやされる風潮と、それに流されないGの価値観が対比される。

Gのイニシャルはドン・ジョヴァンニとガリバルディにちなんでいる。前者は数多の女性をものにした征服者であり、後者はイタリアの統一に寄与した解放者だ。Gはイデオロギーとは無縁だし、民族的なアイデンティティも不明のままだけれど、しかし情事のためには命を惜しまず、その無鉄砲さがときに社会の抑圧を明るみに出している。

ややぼやけた感じはあるものの、文章は明晰でそれなりに読ませる小説ではあった。流れとしては第一次大戦勃発後、Gが政治の手駒にされるところからレールにはまった感じがある。オーストリア・イタリア間で交渉の矢面に立ちながらも、思想信条のないGは女を落とすことしか考えておらず、交渉相手の妻を誘惑してしまう。「私はカレーニン(*1)ではない」と妻の情事を公認する夫。そうすることでGを辱めたと思ったら、Gはとんでもない復讐を考えていた。一連の流れには、過激派グループとの交錯と相俟って、何か運命的なものを感じる。飄々と情事に生きたGでさえも、政治に関わると破滅の渦に飲み込まれるのだ。

*1: 『アンナ・カレーニナ』【Amazon】の登場人物。アンナの夫で高級官僚。アンナに浮気された。

2008.4.6 (Sun)

レーモン・ラディゲ『肉体の悪魔』(1923)

肉体の悪魔(110x160)

★★★★
Le Diable au corps / Raymond Radiguet
中条省平 訳 / 光文社古典新訳文庫 / 2008.1
ISBN 978-4334751487 【Amazon

第一次大戦中のパリ郊外。15歳の「僕」が婚約者のいる18歳のマルトと知り合う。折しも婚約者は出征中だった。恋に落ちた2人はマルトが結婚した後も情事を続け、近所から孤立する。やがてマルトは妊娠、胎児は「僕」の子だと告げられる。

フランス伝統の心理小説。出版時の著者の年齢は20歳で、彼はこの8ヶ月後に腸チフスで死亡している。同じく不倫を題材にしていることから、何かと『アドルフ』が引き合いに出されるけど、内容の面白さはこちらのほうが圧倒的だった。

早熟な10代を余すことなく表現しているのが良い。不倫の果てに人妻を疎ましく思うアドルフに対し、「僕」は倦怠とは無縁な10代の熱情に身を焦がしている。といっても、あからさまに首っ丈になっているわけではない。冷静な思考で関係性をコントロールしながらも、ときおり若さゆえの残酷さを発揮して、年上の女を振り回している。さらに、愛人の家に別の女を連れ込む大胆さや、ホテルに入ることすらできない臆病さも併せ持っており、それら全てを冷めた眼差しで分析している。ここら辺の心理の機微は、『悲しみよ こんにちは』に通じるものがあるかもしれない。サガンもラディゲも透徹した観察眼を持っていて、若書きらしからぬリアリティが備わっている。

いまやマルトは、この妊娠のおかげで僕が永遠に彼女と別れないだろうと考えていた。だが、僕のほうは困惑していた。この年齢で子供を持ち、若さを束縛されるのは、無理で不当なことに思われた。(p.138)

さすがに16歳で妊娠はショックだ(*1)。経済的なめどは立たず、将来の道は閉ざされ、青春を謳歌することもできない。愛する女も急速に老け込むことは目に見えている。だいたい刹那的な感情に身をまかせていたのだから、幸せ家族計画なんて立てていなかったはずだ。普通だったら絶望で悶死するところであり、多くの男たちは堕胎に活路を見出すだろう。ところが、「僕」は違った。16歳とは思えないほど落ち着いていた。過酷な現実を直視した「僕」は、子供を自分への愛に還元したばかりか、責任逃れの策略まで練っている。本作は妊娠小説の一つのサンプルとして興味深い。

>>光文社古典新訳文庫

*1: 15歳のときにマルトと知り合い、16歳で妊娠に直面している。妊娠時マルトは19歳。

2008.4.8 (Tue)

エヴゲーニイ・ザミャーチン『われら』(1920-1)

ロシア〈3〉/集英社ギャラリー「世界の文学」〈15〉(116x160)

★★★
Мы / Евгений И. Замятин
川端香男里 訳 / 岩波文庫 / 1992.1
ISBN 978-4003264515 【Amazon
ISBN 978-4081290154 【Amazon】(小笠原豊樹訳)

管理社会を実現した「単一国」では、独裁者として「慈愛の人」が君臨していた。彼は永久に満場一致で選挙されることが決まっており、「機械」で反逆者たちを処刑している。ある日、建造技師のD五〇三号が、謎の女I三三〇号を好きになった。女は反逆を計画しているらしい……。

反ユートピア小説の古典。集英社ギャラリーの小笠原豊樹訳で読んだ。たぶん、こちらのほうが岩波版より新しいはず。

「単一国」は「わたし」を圧殺して「われら」に奉仕させる世界だ。睡眠時間から咀嚼の回数まで、国家要員には細かい義務が課せられている。自由とは実は未開状態で、人の幸福は束縛にこそあった。食糧問題を解決した「単一国」は、愛の不平等を無くそうと性の問題にまでメスを入れている。というのも、人は嫉妬する動物であり、嫉妬こそが幸福の最大の敵になるからだ。国家要員は好きなパートナーと同衾する権利を与えられ、赤ん坊は共有財産として没収されることになる。

社会を一つの有機体と見なし、画一的な幸福を掲げて家畜のような生活を強制する。言うまでもなくこれは社会主義国家への諷刺であり、敏感な人なら日本の将来を読み取るだろう。たとえば、稲田朋美(最近では映画の事前検閲で有名)をはじめとする自民党の保守派なんかは、国家主権(われら)を強化するために国民(わたし)を隷属させたがっており、本作の世界観と親和性が高い。彼らは人権擁護法案によって言論の自由を剥奪し(*1)、徴農および裁判員制度によって国民の徴集を実現、愛国心教育によって子供たちの洗脳を目論んでいる。「美しい国」が目指す先は、義務と規制で縛り上げた不自由な社会(*2)──すなわち「単一国」であることに他ならない。

*1: ……と思ったら、稲田は人権擁護法案に反対らしい。彼女が推進するのはこれの右派版のようだ。
*2: 付言すれば、メタボ健診や青少年健全育成推進委員会もこの流れだろう。

2008.4.9 (Wed)

ジャン・ピエール・メルヴィル『恐るべき子供たち』(1949/仏)

★★
Les Enfants Terribles
ニコル・ステファーヌ / エドアール・デルミ / ルネ・コジマ / ジャック・ベルナール / ジャン・コクトー
アイ・ヴィー・シー 【Amazon

放課後の雪合戦。胸に雪玉を食らって失神したポール(エドゥアール・デルミ)が、友人のジェラールに連れられて帰宅する。ポールは姉のエリザベート(ニコル・ステファーヌ)に看病してもらうのだった。母の死後は3人で生活するも、そこへ新たな女アガートが関わってくる。

微妙に笑いのツボを刺激する映画だった。まず演じてる奴らが「子供」じゃねーし。ポールとエリザベートは下手したら三十路の顔立ちで、とてもティーンには見えない。この配役は『ビバリーヒルズ高校白書』【Amazon】よりも無理があるだろう(奴らはまだ二十歳前後に見えた、アンドレア以外は)。しかもポールはやたら図体がでかいから、学校では周りから浮きまくり。なのにマントの下には学童用半ズボンをはいている……。まるで倒錯したコスプレのようで、最後まで違和感がつきまとった。

夢遊病は実写だとマヌケに見えるなあ。実際の患者(?)がどう歩くのかは知らないけれど、この映画ではいかにも「夢遊病」といった感じで誇張されていて、真面目にやればやるほど滑稽に映っている。もっと雰囲気を作るなり、アングルを変えるなりしないと、このままではちょっときつい。当該場面はジャイアンのAAを思い出した。

ナレーションが無駄に文学的なところもツボだ。テキストはコクトーが担当したのだろうか? 気取りすぎて意味が通じないところがあったし、それ以前にナレーション自体が邪魔っけだったし。あと、シナリオもけっこうすごい。感情過多なうえに展開が唐突で、しかも姉弟はどちらも老け顔。画面にはシュールな空気が漂っている。姉がピストル自殺を遂げたときは思わず吹き出してしまった。