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- 11 : 『二十世紀ロシア短編集』
- 13 : 『二十世紀ロシア詩集』
- 14 : 道尾秀介『ラットマン』(2008)
- 16 : 米澤穂信『さよなら妖精』(2004)
- 17 : ウロルト『琥珀色のかがり火』(1981-)
2008.4.11 (Fri)
▲『二十世紀ロシア短編集』

★★★
原卓也・他 訳 / 『集英社ギャラリー「世界の文学」15』所収 / 1990.10
ISBN 978-4081290154 【Amazon】
短編集。レオニード・アンドレーエフ「霧の中」、エヴゲーニイ・ザミャーチン「洪水」、イワン・ブーニン「日射病」、ミハイル・ショーロホフ「ドン物語(抄)」、レオニード・レオーノフ「ブルイガ」、イリヤ・エレンブルク「農場主のパイプ」、アンドレイ・プラトーノフ「疑惑を抱いたマカール」の7編。
ロシアらしく血の気の多い小説が多かった。農村では自警団的な風潮が根強く残っていて、わりと躊躇なく人を殺している。
以下、各短編について。
レオニード・アンドレーエフ「霧の中」(1902)"В ТУМАНЕ"
18歳のパーヴェルは多感な時期を迎えていた。女との関係に心を悩ませ、保守的な父の揶揄に反抗、ついには酔っぱらって取り返しのつかない事態を引き起こす。
何という意外な展開。パーヴェルにとって不幸なのはロシアに生まれたことだ。これが日本だったらせいぜい夜の学校で窓ガラスを壊し、盗んだバイクで走り出す程度だろう。父親の介入に、女への幻想。パーヴェルは思春期の悩みに押し潰されている。
ところで、ロシア人がやたら興奮しているのはきっとウォトカのせいだな。寒さとアルコールで脳がやられているに違いない。★★★。
エヴゲーニイ・ザミャーチン「洪水」(1929)"НАВОДНЕНИЕ"
子供のいない夫婦が、孤児となった少女を家に引き取る。ある日、妻がいつもより早く帰ってくると、夫が少女と肉体関係を結んでいた。錯乱した妻が取り返しのつかない事態を引き起こす。
現実の洪水と妻の内面が重なる。いわゆる「中年の危機」を描いた話だけど、ロシアらしく(?)中身はハードだった。斧で少女を叩き殺し、そのまま死体を始末している。その後もかなりえげつない。★★★。
イワン・ブーニン「日射病」"СОДНЕЧНБЙУДАР"
船旅の中尉が人妻を誘って船着場へ。一緒に旅をしようと持ちかける。
人生の一場面を切り取った小編。「日射病」というのは「一目惚れ」に近いのかな。あるいは「気の迷い」とか。運命的な衝撃を受けるも思いは果たせない。★★★。
ミハイル・ショーロホフ「ドン物語(抄)」(1924-27)"ДОНСКИЕ РАССКАЭЫ"
短編集。「仔馬」、「虫食い穴」、「るり色のステップ」、「他人の血」の4編。
「仔馬」(1926)は、ロシア革命下の前線が舞台。砲弾が飛び交うなか、馬小屋で1頭の仔馬が生まれる。隊長は射殺を命じるのだけど、兵士は頓知を利かせて何とか助ける。その馬には不思議な魅力があったのだ。激戦のなかでのほんのひとときの出会い。期せずして運命を共にするラストはぐっとくる。★★★★。
「虫食い穴」(1926)は、家族のすれ違いを描いた話。中農の末っ子が、断りもなく青年共産同盟に加盟し、家庭内がぎくしゃくする。彼は中農だから同盟内で孤立しているし、また、宗教的なしきたりを守らないから家庭内でも孤立している。当時のロシアは、教会でお祈りをするのが一般的だったのだ。末っ子は中途半端で居場所がない。でも根は優しく、困っている人を助けている。この末っ子は純朴なせいで共産主義にかぶれたのだろう。しかし、今回はその美徳が悲劇の引き金になるわけだ。荒野の掟は恐ろしくて、肉親でさえも復讐の対象になってしまう。血で血を洗う究極のすれ違い。末っ子のバカ正直さもアレだけど、親父のキレっぷりも相当なものである。★★★★★。
「るり色のステップ」(1926)は、地主の馭者だった老人の回想。孫が一人前になったところで理不尽な目に遭っている。ソヴィエト時代も十分野蛮だけど、それ以前はもっと野蛮だった。ロシアでは何をやっても地獄のようで、農奴制も共産制も人々を不幸においやっている。でも、土地の寡占を崩したのは相当な前進だったようだ。★★★★。
「他人の血」(1925-6)は、息子を戦争で亡くした夫婦が、負傷した共産党員を養子にする話。農民の夫婦からすれば、「余剰品」を持っていく党員は搾取者に他ならない。それを皮肉な巡り合わせで看病することになる。共産主義者が厄介なのは、自分の理想が絶対的に正しいと思っていて、他人の迷惑を顧みないところだ。まるで宗教の信者みたいである。★★★★。
レオニード・レオーノフ「ブルイガ」(1922)"БУРЫГА"
伯爵の下女が人語を話すエレファントマンを拾う。彼の名はブルイガだった。
童話風の語り口。ブルイガはクリーチャーだから人間社会に馴染めない。巡り巡って伯爵のところにたどり着く。言葉が話せるのに、人格を認めないところがロシアン・クオリティ。信長が飼っていた黒人よりも酷い扱いである。
ただ、小説としては普通すぎていまいち。ラストの犬くらいかな、冴えてるのは。★★。
イリヤ・エレンブルク「農場主のパイプ」(1923)"ТРУБКА ФЕРМЫ"
農場で手に入れたパイプの思い出。下宿先の娘に惚れるも思いは遂げられず、逆に凄まじい光景を目にする。
確かにこれは苦いね。田舎にはどろどろした澱が溜まっている。★★★。
アンドレイ・プラトーノフ「疑惑を抱いたマカール」(1929)"УСОМНИВШИЙСЯ МАКАР"
百姓のマカールは頭が空っぽだった。そんな彼が金を稼ぐために上京、モスクワの実態を見聞する。
ソ連の社会体制を諷刺した小説。発表後、「激烈な批判キャンペーンを張られた」という。あまり面白味はないものの、歴史的資料としての価値はあるかもしれない。★★。
2008.4.13 (Sun)
▲『二十世紀ロシア詩集』

★★★
小平武・他 訳 / 『集英社ギャラリー「世界の文学」15』所収 / 1990.10
ISBN 978-4081290154 【Amazon】
詩集。アレクサンドル・ブローク「美しの淑女(抄)」、ヴェリミル・フレーブニコフ「鶴/ひもじい」、アンナ・アフマートワ「ヒーローのいない叙事詩」、マリーナ・ツヴェターエワ「愛のしるし/狼よ/庭/望郷」、オシップ・マンデリシュターム「石(抄)/TRISTIA/無名兵士の詩」、ボリス・パステルナーク「わが妹人生──1917年夏(抄)」の6編。
ブローク以外は禁断の詩人だったとか。ソ連は言論統制のしすぎである。
以下、各詩について。
アレクサンドル・ブローク「美しの淑女(抄)」(1901-2)
神秘の女性による世界の変貌を歌っているという。まるで春の野原のようなロマンチックな詩だった。瑠璃色からだんだんと色彩が暗くなっていく。最後に蝋燭の炎を持ち出すのは味があって良かった。
ヴェリミル・フレーブニコフ「鶴/ひもじい」(1909,21)
「鶴」(1909)は、何気ない光景に暗雲が立ちこめる感覚というのかな、不吉なイメージで彩られていくのが刺激的。どちらかというと、「鶴」よりは「鴉」のほうが近い。そのうち、Nevermore、Nevermoreって鳴くんじゃないかと思った。この調子ならゾンビが出てきてもおかしくないだろう。
「ひもじい」(1921)は、国内戦時代の飢えを描いた詩。狐目線なところが新鮮か。人間たちは森の中をさまよい、蝶々ですら食糧にしている。狐が「犬になろうか」と思案する発想が凄いわ。
アンナ・アフマートワ「ヒーローのいない叙事詩」(1940-62)
フォンタンの館を襲う戦火。三幕・ト書き付きとまるで戯曲みたいだった。詩にも色々な形式があるのだな。それぞれの章で詩の形態が異なっていて、何か見本市のような趣がある。
マリーナ・ツヴェターエワ「愛のしるし/狼よ/庭/望郷」(1920,34)
「愛のしるし」(1920)は、囚われの男を想う詩。ソ連の政治不安が背景にある。とてもストレートで力強い。
「狼よ」(1920)は、狼との別れを歌った詩。最初は男の隠喩かと思ったけれど、どうやらモノホンの狼っぽい。そういえば、『狼よさらば』【Amazon】という映画があったな。
「庭」(1934)は、庭を欲しがる老人の詩。庭は額面通りの庭ではなく、もっと象徴的な意味が込められている。まるでパンクロックの歌詞みたいだった。
「望郷」(1934)は、独りぼっちの「わたし」(著者?)を歌った詩。
オシップ・マンデリシュターム「石(抄)/TRISTIA/無名兵士の詩」(1913-)
「石(抄)」(1913)は、やや夢見がちな印象。古代の物語への憧れがベースにある。
「TRISTIA」は、詩集『TRISTIA』からの抜粋。実際に経験した墓地の散策を題材にしている。
「無名兵士の詩」(1937)は、星を中心に隠喩が散りばめられている。流刑中に書いた詩で、生前は未発表だったという。
ボリス・パステルナーク「わが妹人生──1917年夏(抄)」(1922)
光る表現が散見できたものの、総じてよく分からんかった。たとえば、以下は「詩の定義」の冒頭。
それは──けわしく満ちあふれたひゅうと鳴る音、
それは──押し潰された氷の片々のかりかりいう音、
それは──いちまいの樹葉を凍らせる夜、
それは──二羽の夜鶯たちの対決。(p.1129)
センスあるね、としか言いようがない。詩の感想は難しいなあ。
2008.4.14 (Mon)
▲道尾秀介『ラットマン』(2008)

★★★
光文社 / 2008.1
ISBN 978-4334925932 【Amazon】
30歳の姫川亮は会社員として働く傍ら、高校時代の同級生とバンド活動をしていた。彼は幼い頃に姉を亡くしており、それが心のわだかまりになっている。事故として処理されたは姉の死は、姫川の見るところ他殺だった。年末のライブに向けて練習を重ねるなか、付き合っている女の妊娠が発覚、姫川はある疑念を抱くようになる。
クライム・ノヴェルの枠組みで、各人の齟齬を浮かび上がらせようという試み。『シャドウ』ほどのインパクトはなく、手堅くまとまっている。今回は犯行の手順がある程度明かされていて、その動機が興味の焦点になっている。つまり、姫川はなぜこんなことをしているのか? という謎だ。どうやら彼は幼い頃の事件(に関わったある人物)を模倣しているらしい。しかし、その事件も動機が不明で、鍵を握っているのは姫川だけ。かくして、露骨に情報を隠蔽しながら物語は進んでいく。
当然ここから二転三転するわけだけど、真相が小粒なうえに捻り方がアンフェア気味なので、あまり感心はしなかった。今回は各人の認識がタイトルに還元される仕組みになっていて、構造としての綺麗さを優先させた感がある。ただ、個人的には登場人物の勘違いに起因した驚きって、よほどの技巧がないかぎりは今更に思える。エピローグなんて、あそこまで行ったら他殺でも自殺でも事故死でも大差ないだろう。
2008.4.16 (Wed)
▽米澤穂信『さよなら妖精』(2004)

★★★★
創元推理文庫 / 2006.6
ISBN 978-4488451035 【Amazon】
1991年4月。高校3年の男子・守屋が、ユーゴスラヴィア人の少女マーヤと知り合う。彼女はある強い信念を抱いて日本に来ていた。守屋は友人たちと一緒にマーヤと交流を重ねるも、6月、ついに帰国のときが訪れる。
これを読んでやっと著者の立ち位置が分かったような気がする。端的にいえば、「名探偵の死」を「青春のほろ苦さ」に転換する作風なのだな。
米澤作品の高校生は、ティーンとは思えないほど雑学が豊富で、世間知に長けており、推理力に秀でている。彼らはちょっとした超人であり、主役級の知力は名探偵レベルだ。だから日常の謎が持ち上がっても、最終的にはそれを解いてしまう。混迷した状況に道筋をつけ、物事の真の姿を見通してしまう。
しかし、そんな神のごとき名探偵も、所詮はただの高校生にすぎず、しばしば現実の壁にぶち当たる。あるときは人間関係だったり、あるときは国際政治だったり、総じて他者への働きかけが思い通りにいかない。壁に対して推理という魔法はまったくの無力だ。些末な問題は解決できても、切実な問題は解決できない。ここにおいて名探偵の神性が消え失せ、等身大の高校生が露わになる。
こういったモチーフは別に珍しくないのだけど、手を変え品を変え一貫して追求しているのは、著者くらいのものではなかろうか。この作風は、文学とミステリの理想的な融合に思える。
2008.4.17 (Thu)
▽ウロルト『琥珀色のかがり火』(1981-)
★★★★
琥珀色的篝火 / 烏熱爾図
牧田英二 訳 / 早稲田大学出版部 / 1993.5
ISBN 978-4657935199 【Amazon】
日本オリジナル編集の短編集。「琥珀色のかがり火」、「七叉角の雄鹿」、「老人と鹿」、「クーポ川を越える」、「露のしたたる朝まだき」、「胎」、「ウオクとシンピーク」、「朝まだきに火がたちのぼる」、「マーロよ、マーロ」、「静かに待つ」の10編。
著者は内蒙古自治区生まれ、エヴェンキ族の作家。エヴェンキ族はツングース語系の狩猟民族で、中国少数民族のなかでも下位の人口数だという。本書は辺境地域のストイックな暮らしと、それに伴う情感を写し取っている。
エヴェンキ族は猟銃を持って山に入り、もっぱら鹿を撃って生活している。猟には昔からの掟があり、主に助け合いを旨としている。しかし、そういった文化も今では失われつつあった。著者は前書きで、「わたしの胸は落日の残照におおわれている」と書いている。その言葉どおり、本書は薄茶色の枯れた味わいが特徴的だった。
以下、各短編について。
「琥珀色のかがり火」(1983)"琥珀色的篝火"
妻子を連れて山道を進む狩人ニーク。妻の具合が悪く、すぐ病院へ運ばなければならない。ところが、獣道で人の足跡を発見、どうやら遭難しているようなので、ニークが助けに行く。
遭難したのは3人の旅行者たち。病気の妻を息子に任せ、ニークはまず彼らを救助する。山の地理に詳しかったり、エヴェンキ流の食事を作ったり、ニークのガイド能力が頼もしい。異文化交流によって、彼の感情が揺れるところに面白味がある。それと、旅行者グループと妻の対比がぐっとくる。憔悴から回復して安堵の声をあげる前者。橋が崩落してまだ病院に着いていない後者。安堵の声が虚しく響きわたる。★★★★。
「七叉角の雄鹿」(1982)"七叉[牛奇]角的公鹿"
義父と2人暮らしの少年が、義父を見返そうと1人で狩りに出る。猟銃で鹿に重傷を負わせるも、誇り高き姿を目の当たりにして逃してしまう。
手負いの癖に家族を守ろうとする姿は「本物の男」と呼ぶにふさわしい。エヴェンキ族の狩人はそれを知っている。そして、あくまで友情を貫く少年も、鹿と同じ「本物の男」だ。★★★★。
「老人と鹿」(1981)"老人和鹿"
老人が孫を連れて森の中へ。鹿の鳴き声を聞こうとする。
この短編を「七叉角〜」の次に持ってきたのはえらい。というのも、少年と老人、どちらも主人公が鹿に友情を感じており、作品の精神が通底している。「七叉角〜」の後日談といっても良いくらいだ。★★★★。
「クーポ川を越える」(1984)"越過克波河"
2人の猟師がクーポ川を挟んでそれぞれ猟をする。しかし、片方が相手の縄張りに入り込み……。
エヴェンキ族も猟師が減り、モラルが崩壊している。現代的な拝金主義が辺境にまで及んできた。欲得の前には狩りの掟も破られる。撃たれた奴は自業自得だろう。★★★★。
「露のしたたる朝まだき」(1984)"綴着露珠的清晨"
エヴェンキ族の村に文化人たちがやってきた。熊撃ち男が歌を披露する。
「琥珀色〜」の同工異曲。解説にある通り、「美徳の獲得には命の代償が求められ」る。なるほど、これがエヴェンキ族の世界観か。★★★★。
「胎」(1985)"胎"
妊娠中の牝鹿を追跡する猟師。彼の妻も妊娠していた。牝鹿を仕留めた猟師は幻覚を見る。
牝鹿と妻が重なるというわけ。人間が動物であることをもっとも自覚させられるイベント、それが妊娠である。言うまでもなく、人間のお産はグロい。相手が獣でないぶん屠畜よりもグロい。牝鹿の死体から胎盤を取り出す作業が、そういったグロさと結びつく。私が猟師だったら、妻を解体しているような気分になるだろう。★★★★。
「ウオクとシンピーク」(1988)"沃克和泌利格"
死んだおじと対話する若者。猟をめぐってトラブルがあった。
エヴェンキ族の伝統が失われている。端から見ると残念に思えるけれど、我々だって伝統にはうんざりしているのだから、勝手な感傷を押しつけてはいけない。★★★。
「朝まだきに火がたちのぼる」(1988)"清晨升起一堆火"
よそ者の種を宿した女が出産、一族のおばばが嬰児を絞め殺す。女は発狂して森を呪う。
壮絶な話だった。そりゃ森を呪いたくなるわ。★★★★。
「マーロよ、マーロ」(1988)"瑪魯呀、瑪魯"
弟を亡くした若者がマーロ(祖先神)に告白する。
ちょっとポエムっぽいかな。狩猟文化は男の文化であり、男は獲物を持ち帰ることで女を従えている。しかし、今では山に行っても獲物はいない。ここで男は葛藤する。幻覚を見るのは精神的な逃避行動だろう。DVのメカニズムが分かりやすく示されている。★★★。
「静かに待つ」(1988)"静静的等待"
死んだ父と対話する娘。妊娠をめぐってトラブルがあった。
こういうのを読むと、女の腹は誰のものなんだろうなあと思う。腹の中には他人の思惑が詰まっており、もはや自分1人ではコントロールできない。★★★。