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2008.6.11 (Wed)
▲マーゴ・ラナガン『ブラックジュース』(2004)

★★★
Black Juice / Margo Lanagan
佐田千織 訳 / 河出書房新社 / 2008.5
ISBN 978-4309622026 【Amazon】
短編集。「沈んでいく姉さんを送る歌」、「わが旦那様」、「赤鼻の日」、「愛しいピピット」、「大勢の家」、「融通のきかない花嫁」、「俗世の働き手」、「無窮の光」、「ヨウリンイン」、「春の儀式」の10編。
2005年の世界幻想文学大賞を受賞。もともと奇想コレクションの予定にはなかったはずだけど、今回飛び入りのような形で登場している。そのせいか、他の本と比べて物理的に薄い。
内容は正直それほどピンとこなかった。どれもファンタジーっぽい空想的な世界を舞台にしており、ストーリーよりもシチュエーションが前に出ている。平易な文章のわりにとっつきにくかった。
以下、各短編について。
「沈んでいく姉さんを送る歌」
女がタールの池に沈む刑罰を受ける。彼女は夫を殺していた。
不思議な雰囲気だった。家族との理不尽な別れを切り出したような感じ。神話的ともいえる処刑の様子が語られる。★★★。
「わが旦那様」
「わたし」と旦那様が、1人で外出した奥方様を探しに行く。彼女は破廉恥な集いに参加していた。
奥方が解放されている。そういえば、最初の短編も夫婦関係の破綻が原因だったな。★★★。
「赤鼻の日」
銃を持った2人組が、道化師たちを撃ち倒そうとする。
ラナガン版「道化の町」? 赤鼻は道化のシンボルだ。★★★。
「愛しいピピット」
象の群れが檻から脱走、飼育係のピピットを探しに行く。
象が語り手。ピピットへの想いが微笑ましい。★★★。
「大勢の家」
<詩人>の民の話。
色々な物に独自の名前がついていて、状況が把握しづらかった。★★★。
「融通のきかない花嫁」
花嫁学校を修了した娘が教会へ。
だから何? って感じの内容だけど、ラストが良くて許せた。★★★。
「俗世の働き手」
少年が瀕死の祖母を助けるべく天使を探す。
天使ネタといったら、ガルシア=マルケスの『エレンディラ』。グロテスクな天使は確かに面白い。★★★。
「無窮の光」
女が祖母の葬儀に出席する。
SFっぽいガジェットを繰り出しつつ、祖母との思い出を挿入する。★★★。
「ヨウリンイン」
ヨウリンインという怪物が住人を脅かす世界。少女が少年に恋をする。
今回は目盛がファンタジー側に振り切れている。なるほど、作品によってファンタジー度を変えていくわけか。★★★。
「春の儀式」
風に立ち向かう少年。
これに限らず、収録作のほとんどは状況を把握するのが大変。1回目はざっと筋を追い、2回目で細部を確認するような読み方になった。★★★。
>>奇想コレクション
2008.6.13 (Fri)
▲飯嶋和一『雷電本紀』(1994)

★★★
小学館文庫 / 2005.6
ISBN 978-4094033137 【Amazon】
天災と人災に揺れる18世紀後半。江戸相撲に彗星のごとく現れた力士・雷電が、土俵上で無類の強さを見せつける。はじめは否定的な反応を受けるものの、いつしか民衆の希望になっていく。
身長197センチ、体重172キロ。21年の土俵生活で挙げた白星254、対して黒星は10しかついていない。勝率9割6分2厘を誇る雷電こそ、史上最強の力士であることに間違いないだろう。突き押しで一気にはね飛ばしたかと思えば、強靱な足腰で相手の攻めにも対応する。その無敵ぶりは双葉山を越えると言っても過言ではない。江戸相撲は雷電の登場によって新たな時代を迎えている。
ページ数以上に厚みを感じるのは、取材なり考証なりがきっちりしているからだろう。相撲の描写はおそろしく綿密だし、言葉の選び方も堅実で隙がない。「力足を踏む」や「痴呆の一つ覚え」など、時代を感じさせる語彙を無理なく組み込んでいる。こういう表現上の拘りは、たとえば宮城谷昌光のように得てして趣味に走りがちだ。しかし、本作はそこを嫌味なく抑えながら、当時の空気を鮮やかに甦らせている。
重厚な得難い小説ではあるけれど、如何せん著者の思想が肌に合わないんだよね。平たく言えば、幕府批判と民衆賛歌。称揚する価値観と非難する価値観がはっきり分かれており、地の文でほの見える権力への憎悪が、ある種の教師みたいで鼻についてしまう。もう少し価値判断を読者に委ねても良いんじゃないかなあ。これは『神無き月十番目の夜』を読んだときにも思ったことだった。
なお、好角家だったら取組の描写だけでお腹いっぱいになること請け合い。記録上の出来事を、まるで見てきたかのように再現していて臨場感がある。雷電の快進撃は、往年のファンだと小錦旋風を思い出すのではなかろうか。
2008.6.15 (Sun)
▽スコット・ウォルヴン『北東の大地、逃亡の西』(2005)

★★★★
Controlled Burn / Scott Wolven
七搦理美子 訳 / 早川書房 / 2007.11
ISBN 978-4150018061 【Amazon】
短編集。「寡黙」、「屋外作業」、「エル・レイ」、「変人とアンフェタミン」、「球電」、「野焼き」、「虎」、「線路」、「簡易宿泊所」、「核爆発」、「北の銅鉱」、「負け犬」、「密告者」の13編。
ヤク中や前科者、日雇い人など、荒野に潜む「負け犬」たちにスポットを当てている。内容は淡々として薄暗く、その救いのなさはまるで70年代のアメリカ映画のよう。どちらかというと文芸寄りで、クレスト・ブックスに入っていてもおかしくないくらい重みがある。
以下、各短編について。
「寡黙」"Taciturnity"
老女が男を雇って庭の木を切り倒そうとする。その木には長い歴史があった。隣人が止めにくるも応じようとしない。老女の孫は隣人の手によって刑務所に送られており……。
老女のやりきれない想いとささやかな復讐。木を切り倒した後の何気ない風景にはっとする。★★★★。
「屋外作業」"Outside Work Detail"
3人の囚人が屋外で墓堀りをする。そこに鹿の群れが登場、1頭が鉄条網に引っ掛かって感電死した。囚人の1人が悲しみに震える。
囚人のどうにもならない寂寥感が表れていて良い。ラストは映画の一場面みたいで絵になっている。全体の雰囲気を凝縮させた見事な幕切れだった。★★★★。
「エル・レイ」"El Rey"
ヴァーモント州の伐採所。語り手の友人が銃殺死体で発見される。その後、伐採所で賭けボクシングが始まった。
ここでは開拓時代の気風が残っていて、1対1での暴力が当たり前のように承認されている。中指立ててきた相手をタイヤレバーでめった打ちにしたり、ボクシングの試合で対戦相手を半殺しにしたり、血に塗れた世界はいかにもアメリカって感じ。暴力と共にやってくる、乾いた叙情が秀逸だった。★★★★。
「変人とアンフェタミン」"Crank"
麻薬の売買を生業にする男たち。雇い人が語り手に舐めた態度をとった。ここで締めないと仲間に軽んじられてしまう。喧嘩を売りにいく語り手だったが……。
「もう一つ、死は突然訪れることを忘れがちだということも、ちゃんと覚えておけ。死とは電灯のスイッチをひねるようなものだ。それをきちんと理解しておくには、自分の死のイメージを思いがけないときに思い浮かべて、自分をびっくりさせるといい。死はあんたが望んでいるような形では訪れないし、その速度も把握できない。なぜなら、死は速度を超越したもので、あんが生まれてたときからゆっきりと忍び寄っているからだ。だから、訪れたときは突然のように見えるんだ。それから、生きることと生きていることを混同するな。生きている限り、心臓は動いている。だが、死を体験するのは心臓じゃない、その人の精神、心だ。おれが言いたいことはこれで全部だ、これ以上何も言うことはない。あんたはおれの英知の一端に触れ、おれはあんたと分かち合える限りの英知を分かち合った。今は自分が見せた才気にうんざりしているし、ヤクが効きすぎて気分が悪い」(p.79)
この悟りきった変人はビートニクか? 薬物はしばしば人を賢者にする。語り手との禅問答が奇妙な味を出していて面白い。言ってることにいちいち頷いてしまった。★★★★。
「球電」"Ball Lightning Reported"
「変人とアンフェタミン」の続編。変人と再会した語り手が、思わぬアクシデントに遭遇する。
「球電」という神秘的な自然現象の後に起きた出来事。犯罪者の刹那的な生き方を捉えながら、言葉にしづらい虚無的な感覚を炙り出している。例によって会話が面白い。★★★★。
「野焼き」"Controlled Burn"
偽名を使って伐採所で働いている男。彼が雇い主に頼まれて野焼きする。畑では大麻が栽培されていた。
見られてはいけない物を焼きつくす炎が、偽りの生活を送る男の身上と重なり合う。こういう連中は一つの場所に根を下ろすことができない。★★★★。
「虎」"Tigers"
伐採所で働くマークが、子持ちの人妻と不倫する。彼女の夫は遠くで働いており、夫婦仲は険悪だった。マークは3人で家庭を築こうとするも、とつぜん破局が訪れる。
レイモンド・カーヴァーをハードにしたような感じ。マークの孤独と女の強かさが印象深い。女は子供の人生がかかるといくらでも残酷になれる。結婚は慈善事業じゃないってことだな。男はたとえ理由が不可解でも受け入れるしかない。★★★★。
「線路」"The High Iron"
少年が曾祖父の墓標を探しにダムへ。
5ページほどの小品。不幸な死に方・葬られ方をしている。★★★。
「簡易宿泊所」"The Rooming House"
語り手が12歳のとき、隣の家のアル中が女の子を轢き殺した。
夏になると、おれは施設を出て再び飲みはじめた。昼は死んだように過ごし、夜は自殺願望を募らせながら、父親と野球をしていた頃に何とか戻れないものかと考えた。だが、冬になり、街のどこにいても雨と雪に見舞われるようになると、簡易宿泊所のさらに狭い別の部屋へ戻った。(p.155)
アル中になったら簡易宿泊所を転々とするはめになる。小さい頃からさんざんアル中の醜悪さに触れてきたのに、大人になったら自分がそのものになっているのだから酷い。まさに負けっ放しの人生。これもカーヴァーっぽい内容だ。★★★★。
「核爆発」"Atomic Supernova"
麻薬密売人だった男は警官を殺して逃亡し、弟のもとに身を寄せている。そこへ2人組の保安官がやってきた。
再生を示唆するような展開に驚いた。こういう自警団的な判断は日本では許されないよなあ。何せ江戸時代から続く奴隷体質だし。国土の広さは懐の深さに繋がる? 西部劇が好きな人は絶対はまると思う。★★★★。
「北の銅鉱」"The Copper Kings"
大酒飲みの語り手が、賞金稼ぎに誘われて失踪人探しをする。2人が潜り込んだ先は、大規模なアンフェタミン製造所だった。
これはミステリっぽいな。犯罪世界の非情さが強烈だった。アメリカの田舎って、そこかしこに無法地帯がありそうで怖い。★★★★★。
「負け犬」"Underdogs"
「北の銅鉱」の前日譚。2人の初仕事を描く。
なるほど、確かに賞金稼ぎはただの負け犬ハンターだ。ターゲットは狩りの獲物にすぎず、弱肉強食を地でいっている。これは本書全体に言えるけれど、何者も裁かない著者の姿勢が好感触。虐げられた人々へのやさしい眼差しに安心する。★★★★。
「密告者」"Vigilance"
偽名で宿を借りた男が、家主の陰謀に巻き込まれる。彼は殺人の濡れ衣を着せられようとしていた。
ハメットを彷彿とさせるハードボイルド。入り組んだ陰謀を何とかして切り抜ける。★★★。
2008.6.17 (Tue)
▲内館牧子『お帰りなさい朝青龍』(2008)

★★★
朝日新聞社 / 2008.1
ISBN 978-4023302716 【Amazon】
『週刊朝日』に連載されたエッセイの抜粋。朝青龍の出場停止騒動や時津風部屋の殺人事件、さらにそれ以前の時事的なトピックを拾っている。番付外として、東北大学での相撲部監督業についても。
著者はアンチ朝青龍で有名な横綱審議委員会の人。朝青龍については、彼が横綱に昇進した2003年から批判を続けている。読み始めてすぐに分かるのは、著者の相撲好きは生半可ではないということだ。そのルーツは鏡里の時代にまで遡るようで、50を過ぎてからは大学院で論文(*1)まで書いている。要するに、筋金入りの相撲好きなのだ。著者は<横綱>に対して明確なヴィジョン(理想)を有しており、それに外れる不品行が許せない。だから朝青龍を目の敵にしている。一般人の間では「小うるさい婆」で通っているけれど、しかし彼女ほど誠実な相撲好きは他にいないだろう。いまや国技のご意見番として欠かせない存在だと思う。
エッセイのなかでは時折「女」の部分を出していて、これがある意味で強烈なインパクトを生んでいる。どうやら文章に表れる人間の自意識は、歳をとっても大して変わらないらしい。外見につりあった枯れ方をせず、若い頃に確立したと思しき内面世界を保持している。人間の本質的な部分は、成長も退化もしないということだろうか。薄々気づいていたとはいえ、こうまではっきりするとさすがにショックだ。
2008.6.18 (Wed)
▲レオニード・ツィプキン『バーデン・バーデンの夏』(1982,2001)

★★★
Леонид Цыпкн / Лето в Бадене
沼野恭子 訳 / 新潮クレスト・ブックス / 2008.5
ISBN 978-4105900663 【Amazon】
ISBN 978-0811215480 【Amazon】(英訳)
冬のロシアを汽車で旅する語り手は、ドストエフスキーの妻アンナの日記を携えている。そこには夏のバーデン・バーデンを舞台にした、新婚旅行の様子が書かれていた。
文章は改行なしで延々と続き、語り手とドストエフスキー、2つの物語が渾然一体となっている。序文を寄せたスーザン・ソンタグが、ゼーバルトとベルンハルトを引き合いに出していたけれど、確かにそんな感じの内容だ。私小説の延長上というのか、語り手はツィプキンとニアイコールの関係にあり、文中に写真を混ぜていればゼーバルトっぽくなっていたと思う。
ドストエフスキーがだめんず過ぎて面白い。新婚旅行中にもかかわらずギャンブルにのめり込み、妻の装飾品(結婚指輪を含む)を質に入れてガンガン金を擦っている。しかも引き際を心得ず、請け出し用の現金までつぎ込む始末。はじめは大勝ちして気がついたら一文無しというのが、この種の人たちの特徴だろう。ドストエフスキーは救いがたいギャンブル狂であり、こんな夫を見捨てないアンナは聖母のように健気だと感心する。
ドストエフスキーの人生は断片的にしか知らなかったけれど、それなりに小ネタを楽しむことができた。トゥルゲーネフとの当てこすり合戦や、『オブローモフ』【Amazon】にそっくりというゴンチャロフの人物像など、ロシア文学の裏事情を覗いている気分になる。なるほど、『悪霊』にスノッブな作家を出したのは、天敵トゥルゲーネフへの意趣返しだったのね。本作のドストエフスキーはその駄目っぷりがとても愛らしく、彼について詳しければ詳しいほど面白さが増すのだろうと思う。