2008.9a / Pulp Literature

2008.9.3 (Wed)

杉山邦博 小林照幸『土俵の真実』(2008)

土俵の真実―杉山邦博の伝えた大相撲半世紀(110x160)

★★★★
文藝春秋 / 2008.5
ISBN 978-4163702001 【Amazon

元NHKスポーツアナウンサーの杉山邦博が、半世紀に及ぶ観戦歴に物を言わせて大相撲を語る。また、ノンフィクションライターの小林照幸が、情報を整理して杉山をサポートする。

著者の杉山は1930年生まれ。NHKで大相撲の実況を担当した後、今は相撲記者クラブ会友として活動している。本書は老人の繰り言が目立つけれど、長生きだけに興味深いエピソードも多い。若い世代は知識だけ頂いて、愚痴や提言は無視したほうが無難だろう。まだボケてはいないとはいえ、年相応に思考が硬直化している。

大相撲にとって、現代がいかに特殊な時代なのかが良く分かった。もともと貧しい家庭の口減らしとして相撲部屋に子供を預けていたから、豊かな今とはモチベーションが違うのだ。彼らは角界にしか居場所がなく、多少の理不尽でも耐えるしかなかった。貧しさが枷となって、タコ部屋での奴隷生活を強要されている。力士育成のためとはいえ、果たしてこの構造は健全なのだろうか? 今は暮らし向きが良くなったせいで、日本人全般が弱くなったという。中卒の入門は減っているし、激しい稽古には耐えられないし、幕下以下の待遇も甘くなっている。だから強い日本人力士が現れず、ハングリーな外国人力士が台頭している。

なるほど、この状況は国技にとってマイナスかもしれない。しかし、社会という広い視野で捉えれば、プラス以外の何物でもないはずだ。貧乏でいるよりは、弱いほうが遙かにマシなのである。相撲なんてのは古代ローマの剣闘みたいなもので、所詮は嗜虐的な見せ物に過ぎない。そのことを我々は認識すべきだろう。

以下、目次。

  • 品格 なぜ、本書を世に問うか
  • 没収 国技としての大相撲を考える
  • 土俵 大相撲の現在
  • 希望 スポーツアナウンサーを目指して
  • 実況 放送席の半世紀
  • 不屈 貴ノ花、藤島部屋、二子山部屋
  • 小錦 幻の外国人横綱第一号
  • 横綱 誰が一番強かったのか
  • 伝統 抑制の美学
  • 提言 角界の未来に向けて

以下、版元の記事。

2008.9.4 (Thu)

石ノ森章太郎『龍神沼』(1961-)

龍神沼(113x160)

★★★
朝日新聞出版 / 2008.7
ISBN 978-4022140043 【Amazon

アンソロジー。「龍神沼」、「金色の目の少女」、「昨日はもうこない だが明日もまた」、「きりとばらとほしと」、「夜は千の目をもっている」、「虹の世界のサトコ」、「ガラスのマリ」、「あかんべえ天使」の8編。

初期の少女漫画を集めている。掲載誌は、「少女クラブ」「なかよし」「少女フレンド」。SFを交えたロマンスとか、ファンタジーを交えた喜劇とか、色々バラエティに富んでいる。なかでも「あかんべえ天使」は白眉だろう。昭和の味が染み込んだ群像劇を堪能できる。

以下、各短編について。

「龍神沼」(1961)

山に囲まれた寒村。少女の家に東京からいとこの少年がやってきた。彼は沼地で不思議な女を目撃する。村祭りの前夜、沼から火の玉が放たれ、家が一軒全焼した。神主によると龍神の祟りだという。鎮めるには新しい神社が必要と説くが、それは村人たちを陥れる罠だった。

オーソドックスな伝奇もの。田舎の土俗的な雰囲気に惹かれる。あと、静止画を並べて時間の経過を表す手法も刺激的。★★★。

「金色の目の少女」(1965)

吹雪のなか山小屋で暖をとる人々。そこへ金色の目をした女が飛び込んでくる。彼女は具合が悪そうだった。

SFロマンス。のっけから怪しい風体の男が混じっていたので笑った。漫画は記号表現に徹してるから面白いよなあ。善玉か悪玉か、一目見て分かるように描かれている。★★★。

「昨日はもうこない だが明日もまた」(1961)

漫画家志望の男が、フランス大使館の裏庭で少女を見かける。翌日、同じ場所を通ったらその少女は大きく成長していた。

これもSFロマンス。物凄いスピードで成長した少女が、男の良き理解者になる。もう出会いからしてショッキングだし、また、『かぐや姫』みたいな別れもせつない。某道具を使ったロマンスのお手本だと思う。★★★★。

「きりとばらとほしと」(1962)

吸血鬼を題材にしたオムニバス。

近未来(といっても2008年)を舞台にした3話目が最高。ギリシャ神話の怪物みたいな異星人たちが、地球に襲来して人類を吸血鬼に変えていく。老若男女まったく容赦なし。この圧倒的な終末感は癖になる。★★★。

「夜は千の目をもっている」(1962)

女子大生が家庭教師として雇われた家では、不穏な空気が渦巻いていた。父が怪しい男に何か話を持ちかけられている。

この頃はまだ戦争の陰を引きずっていたようだ。戦時中に若者だった彼らは、いま子持ちの中年になっている。

接点のない2人が、実は血縁関係にあったという超展開。さすが子供向け漫画だ。★★★。

「虹の世界のサトコ」(1965)

小学生のサトコが鏡のなかに取り込まれる。その後、ウサギを追って穴に落ち、不思議の国にたどり着く。

ファンタジックな楽しい話。このオチは一般的に禁じ手とされているけれど、本作の場合は痛快でしっくりくる。★★★。

「ガラスのマリ」(1965)

病床のマリを見守る父。そして、父を助ける近所の娘。父はモダンバレエのコーチで、現在は独身だった。金持ちの女が父の仕事を妨害する。

冒頭の童話がとても良かった。S・イシュメルの「ガラスの少女」ってタイトル。他者との関わりという人類普遍のテーマを、ガラス細工のように美しく描いている。★★★。

「あかんべえ天使」(1963)

ヤッコちゃんは母と2人でオンボロアパートに暮らしていた。

大傑作。ヤッコちゃんを中心に、アパートの人間模様を広く収めている。ヤッコちゃんは小さくて無力だから、大人たちのトラブルに介入できない。野良犬を天使の生まれ変わりだと思いこみ、その神通力を信じることで不幸を正そうとしている。しかし、彼女の願いが効果を挙げることはない。なぜなら、野良犬はしょせん野良犬に過ぎないからだ。ヤッコちゃんの思いとは裏腹に、大人たちはやることをやって前に進んでいく。世界に対して傍観者でいる少女。本作はこの距離感が絶妙だ。★★★★★。

2008.9.6 (Sat)

カート・ヴォネガット『追憶のハルマゲドン』(2008)

追憶のハルマゲドン(110x160)

★★★
Armageddon in Retrospect / Kurt Vonnegut
浅倉久志 訳 / 早川書房 / 2008.8
ISBN 978-4152089472 【Amazon

未発表作品集。「カート・ヴォネガット上等兵が家族に宛てた手紙」、「二〇〇七年四月二十七日、インディアナポリス、バトラー大学のクラウズ・ホールにおけるカート・ヴォネガット」、「悲しみの叫びはすべての街路に」、「審判の日」、「バターより銃」、「ハッピー・バースデイ、一九五一年」、「明るくいこう」、「一角獣の罠」、「無名戦士」、「略奪品」、「サミー、おまえとおれだけだ」、「司令官のデスク」、「追憶のハルマゲドン」の13編。

ほとんどの短編が第二次大戦を舞台にしている。著者らしいユーモアが混じっているものの、思ったより普通の内容が多かった。ヴォネガットは長編だけでいいかも。

以下、各短編について。気に入った短編には末尾に☆をつけた(13編中4編につけた)。

「カート・ヴォネガット上等兵が家族に宛てた手紙」

タイトル通りの手紙。日付は1945年5月29日になっている。まあ、ただの資料。

「二〇〇七年四月二十七日、インディアナポリス、バトラー大学のクラウズ・ホールにおけるカート・ヴォネガット」"Kurt Vonnegut at Clowes Hall, Indianapolis, April 27, 2007"

大学での講演録。ユーモアたっぷりにリベラルなスピーチをしている。

みなさんもすでにご存じでしょうが、わたしはポールモール・シガレットの製造会社を告訴中です。あの会社の製品に殺されるどころか、いまや八十四歳になってしまったからです。(p.28)

あれ? ヴォネガットって2007年4月11日に死んだんだよね? この講演は同年の4月27日、すなわち死後の日付になっている。誰かの創作なんだろうか? 終盤ではマーク(息子)の本を宣伝しているし、何か地味に怪しいよなあ。

……と思って訳者あとがきを見たら、「亡くなる直前に書きあげられていたスピーチ原稿」とあった。あとがきはたいてい飛ばし読みだから、この稿を書くまで気づかなかったよ。☆。

「悲しみの叫びはすべての街路に」"Wailing Shall Be in All Streets"

ドレスデン爆撃についてのエッセイ。著者は捕虜として無差別爆撃を経験している。

われわれの唱える種類の正義からすると、市民への無差別爆撃は神への冒涜だ。敵が最初にそうしたからという言い訳は、道徳的観点からすれば通用しない。ヨーロッパでの戦闘が終結に近づいていたころ、わたしの見たアメリカの空軍戦略には、戦争のための非理性的戦争という特徴があった。(p.63)

正直ドレスデンネタはお腹いっぱいなのだけど、こういう憤りの表明は何回読んでも安心できる。今は格差社会で負け組たちが右傾化してるからね。『スローターハウス5』とセットで。

「審判の日」"Great Day"

16歳の少年が世界陸軍に入隊。演習のため、第二次大戦の古戦場にタイプスリップする。

「いいか、新兵、明日おまえは本物の戦闘を見ることになる。あれに似たものは、ここ百年間、起きたことがない。毒ガス! 弾幕砲火のとどろき! 火炎放射器! 銃剣による決闘! 一騎打ち! どうだ、うれしくないか、新兵?」(p.79)

戦争って不思議だ。戦時中は殺したことがステータスになるのに、戦後は一転して殺さなかったことがステータスになる。ギュンター・グラスの自伝『玉ねぎの皮をむきながら』【Amazon】では、自分がいかに兵士を殺さなかったかが語られていて、何かを正当化しているような感じだった。自分は間違った側(ナチス)で戦ったけれど、殺人はしてないから罪は軽いみたいな。兵士っていうのは基本的に被害者なんだから、戦闘行為については弁明なんていらないと思う。

「バターより銃」"Guns Before Butter"

3人のアメリカ人捕虜がレシピについて話をする。

何で料理の話をしてるんだ? と思ったら、あれよあれよとオチがついた。敵味方の垣根を越えて、レシピに戻るのが微笑ましい。人類皆兄弟。ピース。☆。

「ハッピー・バースデイ、一九五一年」"Happy Birthday, 1951"

廃墟の一角に暮らす老人と少年。少年の誕生を祝うため、老人が彼を山に連れて行く。

戦争と平和、そして老人と少年。それぞれには埋めがたいギャップがある。夕焼けが似合うようなしんみりくる短編だった。

「明るくいこう」"Brighten Up"

捕虜収容所で上手く立ち回る古参兵。彼は捕虜仲間と様々な取引をしている。

古参兵がすげーしたたかで面白かった。権力者に取り入って私腹を肥やし、仲間たちの頂点に君臨している。こういうサバイバルの天才には憧れるわ。詐欺師のコミュ力は異常である。☆。

「一角獣の罠」"The Unicorn Trap"

1067年のイギリス。小屋に住む木こりのエルマーには10歳の息子がおり、彼は森に一角獣の罠を仕掛けている。折しも、村では恐怖公ロベールが威勢をふるっていた。

おいおい、恐怖公……と思わず苦笑い。

「無名戦士」"Unknown Soldier"

生まれたばかりの赤ん坊が、ミレニアム記念にたくさんの景品を貰う。

集団が個人を蔑ろにする様を風刺している。それにしても、景品がかなり豪華で羨ましい。なかでも、「ディズニー・ワールドの生涯無料パス」が異彩を放っている。

「略奪品」"Spoils"

3人のアメリカ人捕虜が略奪しながら前線を目指す。

鬼畜になりきれないところが好ましい。ほんのり心が温まる。

「サミー、おまえとおれだけだ」"Just You and Me, Sammy"

捕虜収容所から脱走したアメリカ人の2人組。片方がもう片方に取引を持ちかける。

こすっからい相手との駆け引き。最後にちょっとした捻りがあって、冒頭のエピソードが活かされる。

「司令官のデスク」"The Commandant's Desk"

チェコ人の家具屋にアメリカ軍がやってきた。司令官はチェコ人を敵視しており、裏口にあったデスクを所望する。そのデスクはソ連軍の司令官用に作られたもので……。

この司令官がめちゃくちゃ嫌なやつなんだけど、せっかくの平和ということで、チェコ人は事態を受け入れようとする。チェコ人はアメリカ人の味方なのに、向こうはこちらを敵だと思っているのだ。しかし、この不愉快な状況は意外な形で終息、ラストで凄まじい真相が明かされる。いやあ、あまりに皮肉でまいったね。本書の中ではこれがベスト。☆。

「追憶のハルマゲドン」"Armageddon in Retrospect"

世界をハルマゲドンに導いた騒動について。

最後はやけくそ気味の名前だった。ああ、こういうオチかみたいな。

2008.9.10 (Wed)

ドリス・レッシング『黄金のノート』(1962)

黄金のノート(112x160)

★★★★
The Golden Notebook / Doris Lessing
市川博彬 訳 / エディ・フォア / 2008.4
ISBN 978-4990396909 【Amazon

作家のアンナはデビュー作がベストセラーになって以来、小説が書けなくなっていた。今は細々と入ってくる印税で、娘とロンドンに暮らしている。精神的に不安定なアンナは、自分の人生を4冊のノートに書き分けていた。

「ひとは女を判断するのに、男とどんな関係があるかという観点でしか見ない、いまだにね。どんな立派な人でもそんな見方をする」(p.8)

女の自由を解剖してみせた何とも衝撃的な一冊。これは女性にとって、とてつもない劇薬になるのではなかろうか。本書は「セックス・ウォー」なる言葉を流行らせ、ウーマンリブな人たちを奮い立たせたという。男女間の溝が詳細に描かれているので、ふだん抑圧を感じている人はショックを受けるかもしれない。

「さて、石うすのもとに帰るとするか。うちの女房は世界一だけど、話のおもしろい人間だとはまず言えないんだ」小さな子供が三人いて郊外の家にテレビとともに閉じこめられている女に、おもしろい話もなにもあるはずがない。(p.444)

大きなトピックとしては、まず共産党への幻滅があり、男女関係の不均衡があり、最後に人格の崩壊がある。どうやらイギリスでもマルクス主義が流行ったようで、アンナは<自由な女たち>として自立した生活を送っていた。ところが、理想とは裏腹に現実はあまり芳しくない。共産党は空虚な論争に熱中し、ソ連との関係をめぐって迷走、その限界を露呈させている。一方、末端レベルも変にすれており、現場ではある種の諦観さえ漂っていた。思想的に破綻の様相を呈しているうえ、男女関係もしっくりこない。そして、しっくりこないまま現在に至っている。<自由な女たち>は自由であるがゆえに拠り所がなく、また、自由なはずなのに男性から抑圧を受けている。主婦だろうがバツイチだろうが、誰も男性とは対等になれない。二級市民として扱われ、何かと摩擦が生じている。この小説では男性の横暴が目立った障害となっており、同性としては身につまされるものがある。

基本的には作家の内面をえぐった芸術家小説なのだけど、とにかく女性たちの暮らしぶりが明け透け(たとえば、オルガスムついてかなりページが費やされている)なため、そちらのほうに気をとられてしまう。まあ、何をポイントにするかは人それぞれとして、本作はいつも通り重厚で迫力のある小説だった。女性問題に興味がある人は必読だろう。