2009.1a / Pulp Literature

2009.1.6 (Tue)

ジョヴァンニ・パピーニ『逃げてゆく鏡』

★★★★★
Lo specchio che fugge / Giovanni Papini
河島英昭 訳 / 国書刊行会 / 1992.12
ISBN 978-4336030504 【Amazon

ボルヘス編纂の短編集。「泉水のなかの二つの顔」、「完全に馬鹿げた物語」、「精神の死」、「<病める紳士>の最後の訪問」、「もはやいまのままのわたしではいたくない」、「きみは誰なのか?」、「魂を乞う者」、「身代わりの自殺」、「逃げてゆく鏡」、「返済されなかった一日」の10編。

<バベルの図書館>の30巻目。いかにもディレッタントが好みそうな幻想小説集だった。19世紀風の耽美な価値観が魅力的で、常識を越えた歪な状況にくらくらする。一読して癖になる作風だった。

以下、各短編について。

「泉水のなかの二つの顔」"Due immagini in una vasca"

久方ぶりに廃園を訪れた男。泉を覗くと、そこには7年前の自分が映っていた。彼は男の分裂した魂であり、泉のなかで男が帰ってくるのを待っていたという。2人は意気投合して語り合う。

分身もの。やはり過去の自分ほど嫌なものはないね。話しているうちに倦怠から侮蔑、侮蔑から嫌悪へと変わっていく気持ちは何となく分かる。私もこのサイトの過去ログを全部消してやりたいよ。★★★★。

「完全に馬鹿げた物語」"Storia completamente assurda"

語り手の前に謎の男が現れる。男は自作の本を朗読し、語り手の評価を仰ぎたいという。“空想の物語”であるその本には、驚くべき事実が書かれていた。

広義の分身ものと言えるかな。1人の人間に絡まる影みたいなイメージ。別人に見えて実は魂が連動している。「泉水のなかの二つの顔」をネガとすると、こちらはポジになるだろうか。最後は期待通りにオチている。★★★★。

「精神の死」"Una morte mentale"

古本屋で『悪霊』の仏訳版を買った語り手。ページをめくると、前の持ち主のものと思しき書き込みがあった。内容に興味を抱いた語り手は、本に記載された住所をたどって、前の持ち主と接触する。

件の持ち主は『悪霊』のキリーロフに共感していて、前代未聞のぶっ飛んだ自殺を試みる。この死に方はなかなか耽美だと思う。「精神こそは万能であり、意志こそはこの世の君主です」(p.74) 。血を流すのは醜いという自殺への拘りに惚れ惚れするね。キリーロフの人神思想を一段押し上げている。★★★★。

「<病める紳士>の最後の訪問」"L'ultima visita del Gentiluomo Malato"

<病める紳士>が語り手の前に現れる。彼には悩みがあるようだった。

いかにも、彼こそは不安の種を播く人であった。彼が姿を見せれば、単純素朴な事物にさえ、彩りが添えられた──たとえば、彼の手が触れれば、いかなる物体も夢の世界へ帰属してしまうかに思われた。彼の瞳に映し出されていたのは現在の事物ではなく、いっしょにいる者たちの瞳には見えない、遠い土地の未知の事物であった。(p.83-4)

<病める紳士>の悶々とした告白に引き込まれる。どんづまりの彼は、現状を打破しようと様々なことをやってきた。物語が現実の地表を離れ、空想へと飛翔していく感覚が素晴らしい。その波瀾に富んだ冒険は神話の趣さえある。★★★★。

「もはやいまのままのわたしではいたくない」"Non vaglio piu essere quellp che sono"

自分自身を止めたい男の独白。彼は自分と何の共通点もない別人になりたかった。

これまたずいぶんと病んでるなあ。物事を突き詰めて観念の隘路を彷徨っている。幻想小説の愛読者にはメンヘラーが多いようだけど、彼らもこういう思索を繰り広げているのだろうか。思うに、色々考えすぎるから心が折れるんだな。何事もほどほどが一番だよ(と、他人事のように言ってみる)。★★★。

「きみは誰なのか?」"Chi sei?"

ある日、語り手のもとに郵便が届かなくなった。手紙を出しても返事がこない。友人の家を訪ねると、彼は自分のことを知らないという。

わたしは独りぼっちではあったが、ロビンソン・クルーソーや難破のあと漂流し続ける者のように、無人島にいたわけでも筏の上にいたわけでもなかった。救出を待っていたのでも、帰還の夢を夢見ていたのでもなく、都会の真只中にいて孤独なのであり、大衆の真只中にいて孤独なのであった。彼らに拒否され、否定され、彼らの日常から弾き出されることによって、独りぼっちになっているのだった。(p.121)

意外と哲学的な内容だった。個人の“存在”が何によって保証されているのかがよく分かる。

語り手の心の動きが面白い。不条理な状況にはじめは絶望するのだけど、いつしか倒錯的な喜びを見出す。本作は時の狭間を描いた不思議な感触の短編で、哲学の深みと物語の楽しみ、双方を両立させている。★★★★★。

「魂を乞う者」"Il mendicante di anime"

文芸誌に短編小説を売って糊口をしのいでいる男。彼は自分の人生を切り売りして書いていたため、今や創作のネタが尽きてきた。男は他人に取材しようと思い立ち、その辺を歩いている普通人に声をかける。

うおおお、これは凄い。波風のない“普通の人生”が蕩々と語られることによって、虚無的な気分になるという恐ろしさ。現実にこういう人生はあり得ないから、どうしたって彼が異形の存在に見えてしまう。不気味で、虚無的で、衝撃的。底知れぬ闇の深淵に、読後は茫然自失となる。本書のなかではこれがベスト。★★★★★。

「身代わりの自殺」"Il suicida sostituto"

男の友人が奇妙なことを言い出す。2日後に33歳の誕生日を迎える彼は、自身をイエス・キリストになぞらえ、他人を救うために自殺するつもりだった。

おいおい、これまた厄介な友人をもったなあ。お前を自堕落な生活から救うために自殺するって、押しつけがましいにもほどがある。自分の都合で勝手に死ぬくせにね。

命を掛け金にした諫言は、失敗するとひどく情けない。『三国志演義』の王累みたいな滑稽さがある。★★★★。

「逃げてゆく鏡」"Lo specchio che fugge"

語り手が見知らぬ男を相手にマシンガントークを繰り広げる。未来は未来として存在してないとか、あなたがたは逃げてゆく鏡に向かって走りつづけているとか。

何かこれ、哲学を通り越して屁理屈になっているような。ま、実際の哲学だってこんなもんだけどさ。★★★。

「返済されなかった一日」"Il giorno non restituito"

年老いた貴婦人が秘密を明かす。彼女は23歳のとき、自分の若さを1年ぶん人に貸していた。中年になってから数日ずつ返してもらい、一時的に若さ(23歳)を取りもどして社交生活を楽しむ。老嬢となったいま、返済は残り1日だけになった。

これは見事な幻想小説。生命の貸し借りという設定からしてぞくぞくする。老いと若さのコントラストが良いね。

残り1日は、自分を愛してくれる人のために使いたい。健気な女心の行く末はいかに? オチは読んでのお楽しみとして、本作はえもいわれぬ後味を残す小説だった。★★★★★。

>>バベルの図書館

2009.1.10 (Sat)

早川書房編集部編『天外消失』

天外消失(92x160)

★★★
Off the Face of the Earth and Other Stories
斉藤伯好・他 訳 / 早川書房 / 2008.12
ISBN 978-4150018191 【Amazon

アンソロジー。エドガー・ライス・バロウズ「ジャングル探偵ターザン」、ブレット・ハリデイ「死刑前夜」、ジョルジュ・シムノン「殺し屋」、エリック・アンブラー「エメラルド色の空」、フレドリック・ブラウン「後ろを見るな」、クレイトン・ロースン「天外消失」、アーサー・ウィリアムズ「この手で人を殺してから」、ジョン・D・マクドナルド「懐郷病のビュイック」、イーヴリン・ウォー「ラヴデイ氏の短い休暇」、C・B・ギルフォード「探偵作家は天国へ行ける」、フランク・R・ストックトン「女か虎か」、アル・ジェイムズ「白いカーペットの上のごほうび」、ポール・アンダースン「火星のダイヤモンド」、スティーヴン・バー「最後で最高の密室」の14編。

<世界ミステリ全集>の最終巻『37の短篇』(1972)から、比較的入手が困難な14編を収録している。

以下、各短編について。

エドガー・ライス・バロウズ「ジャングル探偵ターザン」"Tarzan, Jungle Detective"

類人猿の雌が、別の集落の雄に攫われた。ジャングルの英雄ターザンが追跡する。

このシリーズを読むのは今回が初めて。予想とはまったく違ったハードな雰囲気で、ジャングルの厳しい掟にびっくりした。負傷した子供(類人猿)を連れて帰ったターザンは、群の仲間に預ける際、「もし死んだらお前を殺す」とか脅しているし。また、彼の寝床には両親(人間)の骸骨が普通に転がっているし。私は子供の頃、『ジャングルの王者ターちゃん』【Amazon】を読んでいたので、もっと牧歌的なイメージを抱いていたよ。金玉の皮を左右に引っ張ってムササビみたいに飛ぶとかさ……。

類人猿の生態が新鮮だった。命はやたら軽いし、動物だからあまり知恵がない。そして、大自然のなかにはターザンという異物が混じっている。作中に漂う非文明感がたまらなくいい。★★★★。

ブレット・ハリデイ「死刑前夜」(1938)"The Human Interest Stuff"

メキシコに逃亡した殺人犯をアメリカに連れ戻した話。鉄道敷設の工事現場で働いていた語り手は、わけありの流れ者と出会う。語り手は彼の技師としての力量を認め、一緒に働くよう要請する。

2回読んでやっと意味が分かった。最初読んだときは狐につままれたような感じだったのよね。これって主語が違くねー? みたいな。でも、実は上手い具合にねじれてたんだな。★★★。

ジョルジュ・シムノン「殺し屋」(1944)"Stan le Tueur"

外国人の武装強盗グループを張りこむメグレ警部たち。そこへ自殺志願者がやってきて、捜査の協力を申し出てくる。死にたくても死ねない彼は、危険な潜入捜査を希望していた……。

死にたいから捜査に協力するって、怪しすぎるにもほどがある。とはいえ、はじめは漫画みたいな状況だったのに、終わってみれば相応の場所に落ち着いている。パズルのピースがぴたっとはまっているから驚きだ。★★★。

エリック・アンブラー「エメラルド色の空」"The Case of the Emerald Sky"

単純に思われた毒殺事件には裏があった。チサール博士がその謎を解く。

アンブラーって本格ものも書いてたのか。てっきりスパイ小説一筋かと思ってたよ。

ミステリとしては古典的で、薬物の知識をさらりと組み込んでいる。★★★。

フレドリック・ブラウン「後ろを見るな」(1947)"Don't Look Behind You"

印刷職人が男に誘われ、偽札を作って大もうけする。その後、男は何者かに殺され、組織は分解するのだった。

読者を巻き込む犯罪サスペンス。★★★★。

クレイトン・ロースン「天外消失」(1947)"Off the Face of the Earth"

天界からやってきたと称する男の予言によって、判事を含む2人の男女が消失した。奇術師のマリーニーが謎を解く。

予言者の扱いは面白かったけれど、物理トリックが普通すぎていまいち凄味がなかった。まあ、昔の小説だからこんなものか。

どちらかというと、事件よりもマリーニーの奇術のほうが気になる。

ちょっとの間、何事も起らなかった。それから徐々にマリーニーの体は透明になり始めて、箱の後ろの壁がその肉体を透して次第に見えてきた。服と肉は見えなくなって、ただごつごつした骨格の構造だけが残った。(p.126)

おいおい、どういうカラクリなんだ。★★。

アーサー・ウィリアムズ「この手で人を殺してから」(1948)"Being a Murderer Myself"

養鶏場を営む男が、未解決殺人事件の告白をする。彼は周到に死体を始末していた。

死体については始末してからが白眉。悪意の伝播がホラーっぽい雰囲気を醸し出している。といっても、冷静に考えれば大して影響はないんだけどさ。★★★。

ジョン・D・マクドナルド「懐郷病のビュイック」(1950)"The Homesick Buick"

田舎町に銀行強盗が現れた。1人は射殺したものの、残り数人は車で逃走。警察が行方を捜査する。

このアイディアはすごい。盲点を突きながらも、現実にありそうな解決をしている。車を使った犯罪者は、こういう手がかりをよく残しているんじゃないか。後ろ暗い予定のある人は、本作を読んで予習することをお勧めする。★★★。

イーヴリン・ウォー「ラヴデイ氏の短い休暇」"Mr. Lpveday's Little Outing"

娘が精神病院に入院する父を見舞う。父には同じ入院患者の秘書がいた。年老いたその秘書は、どうやら健常者のように見える。彼の境遇を不憫に思った娘は、退院させようと奔走するが……。

最後は説明しすぎじゃないかな。何が起こったのかは自明なのだから、ほのめかすにとどめたほうが美しいと思う。★★★。

C・B・ギルフォード「探偵作家は天国へ行ける」(1953)"Heaven can Wait"

何者かに殺されて天国に昇った探偵作家。彼は犯人の正体を知りたかった。天使に頼んで、当日の下界に戻してもらう。期間は1日だけ。彼の周りには、動機をもった人たちが数人いた。

良いねえ。こういう変則的なミステリって大好き。いくら殺されることを知っていても、運命から逃れることはできない。天国ならではのオチが微笑ましい。本書のなかではこれがベスト。★★★★。

フランク・R・ストックトン「女か虎か」(1882)"The Lady, or the Tiger?"

半未開人の王様が、罪人を裁くための闘技場を建設する。裁判のときは中の見えない2つの檻が用意され、罪人はそのどちらかを選択することに。片方には女、もう片方には虎が入っているのだった。

想像力を刺激する寓話。ラストの寸止めが悩ましい。思うに、姫は虎のほうを指したんじゃないかな……。★★★★。

アル・ジェイムズ「白いカーペットの上のごほうび」(1957)"Body on a White Carpet"

男が酒場で美女をナンパする。彼女の部屋には何者かの死体があった。

何か中途半端だった。これといったヤマもオチもなく、特異な体験をした小話としてまとまっている。エロ本の実録記事みたいというか(よく分からんけど)。★★★。

ポール・アンダースン「火星のダイヤモンド」(1958)"The Martian Crown Jewels"

無人宇宙船で輸送していたダイヤモンドが何者かに盗まれた。火星人探偵シャロックが解決に乗り出す。

ケレン味たっぷりのSFミステリだけど、奇抜な設定とは裏腹に意外と本格的だった。物理知識をふんだんに用いた密室トリックに驚かされる。また、地球人と火星人の異文化コミュニケーションもツボ。シャロックは「末端肥大症のコウノトリ」みたいな外観で、地球人にはその表情が読みとれないようになっている。★★★。

スティーヴン・バー「最後で最高の密室」(1965)"The Locked Room to End the Locked Room"

リージェンツ・クラブで密室に関する討論。メンバーの1人が、表沙汰にされていない密室殺人事件の話をする。

おバカすれすれの熱い密室だった。人間1人を消すのは大変なんだな。★★★。

>>『51番目の密室』