2009.7c / Pulp Literature

2009.7.21 (Tue)

カズオ・イシグロ『夜想曲集』(2009)

夜想曲集:音楽と夕暮れをめぐる五つの物語(112x160)

★★★★
Nocturnes / Kazuo Ishiguro
土屋政雄 訳 / 早川書房 / 2009.6
ISBN 978-4152090393 【Amazon

短編集。「老歌手」、「降っても晴れても」、「モールバンヒルズ」、「夜想曲」、「チェリスト」の5編。

男女の黄昏に音楽をからませた叙情的な作風。ストーリーは羽毛のように軽く、音楽がノスタルジーの象徴に使われている。奇抜なシチュエーションの話が多い。

ミステリの手法を交えているところが著者らしいかな。ほとんどの短編で、真相を明かしていくような構成をとっている。

以下、各短編について。

「老歌手」"Crooner"

ベネチア。バンドでギターを弾いている男が、アメリカの老歌手と知り合いになり、ある頼み事を引き受ける。

アメリカ的な、あまりにアメリカ的な。有名人と結婚するため(養ってもらうため)に爛々と出会いを待つって、現代日本の「婚活」に通じるものがある。玉の輿に乗ることが人生の目的になっているのだ。男が同じことをすると「ヒモ」呼ばわりされるのに、女だと「主婦」になるから羨ましい。

成功者にとって妻というのは、飾りの役割が大きいのだろう。愛してはいないけど、見栄えがするから結婚する。こりゃどっちもどっちだ。★★★★。

「降っても晴れても」"Come Rain or Come Shine"

ロンドン。スペインで語学学校の教師をしている男が、大学時代の友人夫婦に会いに行く。そこで奇妙な依頼を受ける。夫婦は「中年の危機」に陥っていた。

おいおい、酷い真相だなあ。完全に当て馬じゃないか。普通だったらキレてもおかしくないのに、男は人の良さを発揮して任務を続けている。

女の日記(これも酷い!)を契機に、話はドタバタ調になる。これがちょっと度を越していて興醒めだった。★★★★。

「モールバンヒルズ」"Malvern Hills"

ロンドンで曲作りをしている男が、田舎でカフェを経営している姉夫婦のもとに転がり込む。そこで音楽家の夫婦と知り合いになる。

うーむ、夫婦のすれ違いってのはこういうものなのか。長年連れ添いながらも、お互いの感じ方に隔たりができてしまう。更年期障害は手に負えないね。些細なことでやたらカリカリしている。★★★★。

「夜想曲」"Nocturne"

ビバリーヒルズ。サックス奏者の男は、容姿が不自由なせいで才能を認められていなかった。そんな彼がひょんなことから整形手術を受けることになり、病院でセレブ女と親しくなる。

男女のささやかな冒険。「老歌手」の女が再登場している。★★★★。

「チェリスト」"Cellists"

ベネチア。才能ある若いチェリストが、アメリカ女からチェロのレッスンを受けることになる。女には意外な秘密があった。

これはシチュエーションの勝利かな。アメリカ女のキャラが凄いわ。まさに、天才と電波は紙一重。★★★★。

>>Author - カズオ・イシグロ

2009.7.22 (Wed)

養老孟司『読まない力』(2009)

読まない力(99x160)

★★★
PHP新書 / 2009.3
ISBN 978-4569705743 【Amazon

時事エッセイ集。『Voice』2002年3月号〜2007年12月号に掲載された短めの文書と、同2008年9月号に掲載された長めの文書を収録している。

この人はたまに鋭いことを言うから見逃せない。冒頭では、地球温暖化ブームの胡散臭さを鮮やかに言い当てている。

以下、個人的なメモ。

政治家が禁煙運動を利用した最初は、アドルフ・ヒットラーであることは、銘記すべきであろう。ヒットラーはドイツ国民の「健康を重視」し、全国的な禁煙運動を行ない、優生学に基づき、重度の知的障害者、精神疾患者の安楽死を実施し、最後には「ユダヤ人問題の最終的解決」としてのホロコーストに至った。政治家や官僚が「人類の健康を重視」するなら、ナチスと自分たちとの違いは何か、そうした運動の「最終目的」とは何か、それらを明白にする義務があろう。むろん以上はただの嫌みである。(p.25)

現代の世界情勢は、戦前に似てきている。私にはそう思われる。戦前の植民地支配の代わりに、ソフトな支配が優越してきただけである。欧州は世界基準を自分たちのものにしたがる。科学の世界でいうなら、ノーベル賞は頑として手放さず、将来にわたって、その権威を守るであろう。誰が立派な科学者か、それを決めるのは「かれら」なのである。(p.33)

規則は実情以上に厳しいほうがいい。そうすれば、たいていの行為は法律違反、規則違反になる。スピード違反を考えれば、だれでもわかるはずである。取り締まる側はいつでも取締りができる。ふだんはお目こぼしをしておけばいい。不祥事は取り締まる側、告発側の都合で生じる。そう思って大過ないと私は思っている。(*1) (p.49)

いずれも目新しさはないものの、ポジショントークとしては有用だと思う。

*1: 引用者註: 皮肉で言ってると思われる。

2009.7.23 (Thu)

山田風太郎『くノ一死ににゆく』

くノ一死ににゆく(114x160)

★★★
ちくま文庫 / 2004.7
ISBN 978-4480039545 【Amazon

忍法帖短篇全集の4巻目。「捧げつつ試合」、「濡れ仏試合」、「逆艪試合」、「膜試合」、「かまきり試合」、「麺棒試合」、「つばくろ試合」、「模牌試合」、「絵物語 忍者石川五右衛門」の9編。

『忍法破倭兵状』の続き。

以下、各短編について。

「捧げつつ試合」(1965)

追っ手から逃亡中の甲賀忍者が、己の男根を切り取り、仲間のくノ一に預ける。その男根は、女の手に触れている限り生き続け、女陰に置けば必ず女は妊娠するというものだった。死を覚悟した甲賀忍者は、意中の女に子供を生ませて血統を残そうとするが……。

鎖鎌を操るくノ一は、左手で握っている男根が戦いの制約になっている。壮絶な深手を負いながら任務を遂行するも、実はその男根は愛する男のもので、頼まれたから他の女のもとに届けているのだった。物語はけっこうな悲劇なのだけど、男根を持ち運ぶというナンセンスな絵面に苦笑してしまう。★★★。

「濡れ仏試合」(1966)

女を色情狂に変える忍法「濡れ仏」。将軍家からの無理難題をかわすべく、その忍法を逆手にとった計略を巡らす。

山風ワールドに出てくる忍法は、忍法というよりは「スタンド」(*1)と言ったほうが分かりやすいかもしれない。ある時は技術だったり、ある時は特異体質だったり、習得の方法に差はあれど、だいたいは1人につき1つの能力を持っている。その多くがエログロなところが面白い。忍法「亀頭相続」にはひっくり返ったし……。★★★。

「逆艪試合」(1966)

先祖の因縁を晴らしにきた道場破りの男。彼は背を向けて戦う特殊な剣法を身につけていた。

変態剣法を身につけた結果、性癖まで変態になっているのが笑える。あと、ゲイボーイとの初体験もすげー。★★★。

「膜試合」(1966)

伊賀忍者の頭領は、嫁入り前の処女を相手に忍法「膜封印」の修行をしていた。「膜封印」にかかった処女とはじめてまぐわった男は、必ず命を落とすという。その効果を大岡越前の守に証明するため、男の忍者2人を競わせる。

解説の末國善己は、本作を典型とする忍法帖の王道について、次のように述べている。

上司の命令であれば、それが理不尽なものであっても従うのが、日本的な忠義とされてきた。それを山風は、忍者の暗闘を通してブラック・ユーモアに変換してみせる。忠義は太平洋戦争の敗戦で終わったようにみえるが、国家への忠義が会社への忠義に変わっただけで、日本人の心性が変わったわけではない。つまり、ここで展開されているのは、冷徹な日本人論なのである。(p.409)

徹底的に忍者を使い捨てにする思想は、40年を経た現代でもまだ通用している。人間存在の本質を突いているから古びない。

ラストはプラシーボ効果ってやつだろうか。思い込みは怖いね。身体レベルで反応してしまう。★★★★。

「かまきり試合」

2人の忍者が1人の女を巡って争う。女は交合するうちに吐く息が毒に変わり、必ず妊娠するという特異体質だった。

勝っても負けても死ぬしかないという状況。でもかまきりって、ほとんどは交合のあと上手く雌から逃げるらしいよ。★★★。

「麺棒試合」(1966)

平賀源内が田沼意次をそそのかし、甲賀忍者と伊賀忍者を交配させようとするが……。

水と油どころの話じゃねーなー。両家にとっては和平のチャンスだというのに、敵愾心が先に立っている。腹部に巻き付けた自分の男根で窒息死するって、壮絶かつ笑える死に方だ。

以下は田沼意次について。

この田沼という政治家は、見方によってはなかなか近代的な人物であって、とくに政治家とはまず当人が儲けることであるという信条を持っていたことでも、現代政治家の先駆者的存在である。(p.180)

何となくタイムリーだと思ったので。★★★。

「つばくろ試合」(1966)

鄭成功の妹が、幕府の援軍を求めに来日してきた。彼女は将軍の病を癒す特殊能力を持っている。柳生平助が使者の素性を探ると同時に、由比正雪が幕府転覆のために暗躍する。

やはり忍者はひと味違う。身を挺した綱渡り的ミッション。人海戦術(すてごま戦術)の怖さは、人民解放軍や暴力団に通じるものがある。★★★。

「模牌試合」

甲賀忍者が結城秀康の魔羅に呪いをかけた。その文字を探るべく、服部半蔵がくノ一を送り込む。

真相が馬鹿馬鹿しくて良い。そんなことのためにくノ一は死命を賭したのか、みたいな脱力感。★★★★。

「絵物語 忍者石川五右衛門」(1969)

同名の小説を絵物語風に取り込んだ漫画。矢野徳という人が絵を描いている。

>>『姦の忍法帖』

>>Author - 山田風太郎

*1: 『ジョジョの奇妙な冒険』

2009.7.25 (Sat)

エイミー・ブルーム『リリアン』(2007)

リリアン(109x160)

★★★
Away / Amy Bloom
小竹由美子 訳 / 新潮クレスト・ブックス / 2009.6
ISBN 978-4105900762 【Amazon

1924年。美しいユダヤ人女のリリアンは、ロシアから単身アメリカへ亡命し、劇場を経営する親子の愛人になった。しばらくは恵まれた生活を送るも、あるとき、知人から意外な話を聞かされる。死んだと思っていた娘がロシアで生きているというのだ。リリアンは娘に会うべく旅に出る。

誰もが二つの記憶を持っている。話せる記憶とその下に押し込まれている記憶、起こったことのどす黒いタール状の染みだ。(p.56-7)

移民文学というよりは、ユダヤ文学といったほうが適切かもしれない。ヒロインのリリアンはユダヤ教徒ではないものの、小説自体は目的地をカナンの地になぞらえている。また、政治上の問題とはいえ、彼女には根無し草の風格が漂っている。物語は、場所ごとに区切った連作短編集のような構成。ユダヤ人という放浪者の目線で、それぞれの土地での体を張った生活を描出している。安全も保障もないアンダーグラウンドの厳しさ。そして、ひたすら前を向いて生きる女たちのしたたかさ。この小説は時にセンシティブな文章を交えながら、人々の息づかいを丁寧に切り取っている。

>>新潮クレスト・ブックス

2009.7.29 (Wed)

司馬遼太郎『国盗り物語』(1966)

国盗り物語〈1〉斎藤道三〈前編〉(111x160)

★★★
新潮文庫 / 1971.11-12
ISBN 978-4101152042 【Amazon
ISBN 978-4101152059 【Amazon
ISBN 978-4101152066 【Amazon
ISBN 978-4101152073 【Amazon

(1) 還俗した松波庄九郎(斎藤道三)が、京で油屋を乗っ取り、莫大な財産を手に入れる。その後、美濃へ家臣として潜り込み、主君を追い出して一国を手中に収める。(2) 道三から技芸を仕込まれた明智光秀。道三から後継者と目された織田信長。2人は君臣の間柄となって共に天下統一事業を進めるも、結局は噛み合わず、本能寺の変に至る。

司馬の小説は随所に雑学が盛り込まれているから、読んでいて得した気分になることが多い。その反面、人物の好き嫌いをストレートに反映させているから、どこか雰囲気がギスギスしている。好きな人物は恋人のように贔屓するのに、嫌いな人物は親の仇のように非難するのである。俗に創作の燃料は「怒り」と言うけれど、司馬もたぶんそのクチなのだろう。独自の信念に基づいた、前のめりの記述が苦手だったりする。

斎藤道三が活躍する前半は、船戸与一の冒険小説みたいだった。流れ者が知略を尽くして下克上を達成する。彼は己の正しさを信じており、他人を裏切ってもまったく悪びれない。まるで乱世に吹いた一陣の風といった趣で、人生を確信した爽やかさが魅力になっている。この小説の白眉は、道三の多面性をオリジナルな設定で炙り出しているところだ。商人と武士の二重生活を送らせることで、公私にメリハリをつけている。

しかし、メインディッシュはやはり後半、光秀と信長が活躍する章だろう。2人が道三の遺伝子を継いだ愛弟子という視点が面白い。道三は早くから鉄砲に目をつけた改革者であり、光秀も信長もその価値観を共有している。浪人の光秀は個人として鉄砲の技術を身につけ、大名の信長は集団として鉄砲の備蓄を増やしている。一方、2人の間には乗り越えがたい壁もあった。物語はその差異に焦点を当てて、本能寺という飽和点を目指している。

信長を扱った小説としては非常にオーソドックスだと思う。むしろ、この小説が今日の信長像を形作ったような節さえある。信長の思想はあまりに新しく、その性格はあまりに合理的だったようだ。独裁者の信長には天才肌なところがあって、秀才の光秀はそれに振り回されている。理解できない他者としての信長を、光秀の視点から照射しているのが良かった。