2009.9b / Pulp Literature

2009.9.11 (Fri)

『バートン版 千夜一夜物語 6』

バートン版 千夜一夜物語 6(112x160)

★★
Alf Laylah Wa Laylah / Richard Francis Burton
大場正史 訳 / ちくま文庫 / 2004.3
ISBN 978-4480038463 【Amazon

19世紀の東洋学者リチャード・F・バートンによる翻訳。「アル・マアムン教主とエジプトのピラミッド」、「盗人と商人」、「宦官マスルールとイブン・アル・カリビ」、「行者の王子」、「歌を聴いて恋におちた愚かな先生」、「あほうな先生」、「学校の先生になりすましたあき盲」、「王と貞淑な妻」、「マグリビ人アブド・アル・ラーマンの大鳥の話」、「アディ・ビン・ザイドと王女ヒンド」、「ディイビル・アル・フザイと上ろうとムスリム・ビン・アル・ワリド」、「モスルのイサアクと商人」、「三人の不幸な恋人」、「アブ・ハサンが屁をした話」、「タイイ族の恋人たち」、「恋に狂った男」、「回教徒になった副修道院長」、「アブ・イサクとクラト・アル・アインの恋」、「アル・ラシッドの子アル・アミンと叔父イブラヒム・ビン・アル・マーディ」、「アル・ファス・ビン・ハカンとアル・ムタワッキル教主」、「男女の優劣についてある男が女の学者と議論した話」、「アブ・スワイドとこぎれいな老婆」、「アリ・ビン・タヒル太守とムウニスという娘」、「若いつばめをもった女と大人を情夫にもった女」、「カイロ人のアリとバグダッドの幽霊屋敷」、「巡礼男と老婆」、「アブ・アル・フスンと奴隷娘のタワッズド」、「死の天使と高慢な王と道士」、「死の天使と富裕な王」、「死の天使とイスラエルの子孫の王」、「イスカンダル・ズ・アル・カルナインと貧しい人々」、「アヌシルワン王の威徳」、「ユダヤ人の判官と貞節な妻」、「難船の憂きめにあった女とその子供」、「信心深い黒人奴隷」、「道心堅固な盆作りとその女房」、「アル・ハッジャジと信心家」、「火をつかんでも平気な鍛冶屋」、「神から雲を授けられた信者と敬虔な国王」、「回教徒の戦士とキリスト教徒の乙女」、「キリスト教王の王女と回教徒」、「予言者と神の審き」、「ナイル川の渡し守と隠者」、「島の王と敬虔なイスラエル人」、「アブ・アル・ハサンとらい患者アブ・ジャアファル」、「巨蛇の女王」の46話を収録。第三百九十七夜から第五百三十六夜まで。

『バートン版 千夜一夜物語 5』の続編。この巻も取るに足らない説教が多かった。長編は最後に収録された「巨蛇(おろち)の女王」のみ。他は似たような話がそれぞれ群れをなしている。同工異曲のオンパレードなので、代表的なのを2?3編つまめば良いような気がしてきた。

以下、各物語について。

「アル・マアムン教主とエジプトのピラミッド」(第三百九十七夜─)

アル・マアムン教主の逸話を入り口に、エジプトのピラミッドを解説している。

ピラミッドは歴史のロマンだ。アラブの人もそう思ってたみたい。

「盗人と商人」

商店にやってきた泥棒が、主になりすまして品物を盗む。主はそれを追跡し、みごと品物を取り戻す。

相手が不正をしても、こちらは不正をしないということ。ただ、外套を返すのは良しとしても、そのまま放免するのはおかしくないか? 警備員に捕まってから慌てて商品を返したようなものだし。

「宦官マスルールとイブン・アル・カリビ」

宦官のマスルールが、ハルン・アル・ラシッドの前にイブン・アル・カリビを連れてくる。イブンは人を笑わせる名人だった。マスルールはイブンに褒美の分け前を要求するが……。

マスルールの企みがそのまま本人に跳ね返っている。でも、結局はどちらも褒美を貰ってるから満足だろう。これがホントの痛み分け。

「行者の王子」

ハルン・アル・ラシッドの息子が、地位を捨てて行者になる。

宗教にはしったこの王子は、立派なんだかバカなんだかよく分からない。イスラム教的には正しいのだろうけど、レールから外れた放蕩息子と大して変わらないような気がする。

ともあれ、こういう話を繰り返すことで、民衆に信仰心を植え付けていくわけだ。宗教って怖いね。

「歌を聴いて恋におちた愚かな先生」

ある学者が、たまたま出会った学校教師の博識ぶりに感心する。2人は交際を始めるも、ある日、教師が理解しがたい行動をとるのだった。

詰め込みバカだったというオチ。「教師=世間知らず」という偏見は、この頃からあったようだ。

「あほうな先生」

ある学者が、たまたま出会った学校教師の多才ぶりに感心する。学者は教師の家で夕飯をご馳走になるも、そこで教師が理解しがたい行動をとるのだった……。

おいおい、男の乳首は不要品じゃねーよ。「できる男は乳首で決まる」【Amazon】んだぜ? 切り落としちゃ駄目だ。

「学校の先生になりすましたあき盲」

読み書きのできない山師が、学校を開いて子供たちを教える。あるとき、女が手紙を読んでもらおうと山師に近づいてきた。

文字が読めないから当然間違える。が、そこを上手く言い逃れている。この軽妙さは落語みたい。

注釈では、バートンがレインの翻訳を批判している。

「王と貞淑な妻」

国王が身をやつして下々の民情を検分する。立ち寄った家の人妻に惚れるも、相手の機知によって思いとどまる。

これはどこかで読んだような。留守中に獅子(国王)が畑(女房)に入り込んだみたいな比喩で会話している。昔話とは思えない知的なやりとりだ。

バートンによると、この話は後に出てくる挿話の要約らしい。なるほど、シャーラザッドもネタの使い回しをおぼえたか……。

「マグリビ人アブド・アル・ラーマンの大鳥の話」

シナの海を航海していたアル・ラーマンが、大鳥(ルフ)の雛を殺して戦利品をゲットする。翌朝、大鳥が岩を抱えて追いかけてきた。

挿絵がすごい。大鳥の圧倒的な存在感。こんなでかい岩を落とされたら一溜まりもないわ。

「アディ・ビン・ザイドと王女ヒンド」

詩人と王女がお互いに惹かれ合う。王女に仕える奴隷娘の策で、2人はめでたく結ばれるが……。

何かすごく唐突でブラックなオチ。思いっきりちゃぶ台返ししている。幸福と不幸は紙一重ということか。

「ディイビル・アル・フザイと上ろうとムスリム・ビン・アル・ワリド」

詩人のディイビル・アル・フザイが、美しい上ろうをナンパする。彼は上ろうにふさわしい住まいを持っていなかったので、親友で同じく詩人のムスリム・ビン・アル・ワリドの家に行く。そこでフザイは酷い目に遭う。

昔も今も変わらない法則。(1) 男同士の友情は、女が絡むと簡単に壊れる。(2) たとえボロ屋でも、お持ち帰りは自分の家にすべき。(3) 女は金のある男になびく。

「モスルのイサアクと商人」

教主に仕えているイシャクが、うさ晴らしのために馬を駆る。建物の陰で休んでいると、美しい乙女がその中に入っていった。イシャクも後に続く。

絡んだ相手がヤクザやポリスだったら目も当てられねー。

「三人の不幸な恋人」

前代未聞の恋物語。歌姫に恋した若者が恋の病で死ぬ。若者に恋した娘が悲しみで死ぬ。娘の死を聞いた歌姫も同じように死ぬ。

おいおい、お前らは寂しいと死んじゃうウサギさん(「碧いうさぎ」【Amazon】)か! たかが恋で死ぬなんて生命力なさすぎ。どんだけ繊細なんだよ。

「アブ・ハサンが屁をした話」

裕福な商人アブ・ハサンが再婚、宴の席で盛大な屁をこく。恥に思ったハサンは中座し、そのまま失踪するのだった。

こういうのはその場で笑い飛ばさないと尾を引くね!

「タイイ族の恋人たち」

恋する男女が抱き合ったすえに絶命する。

たかが恋で死ぬなんて(ry

「恋に狂った男」(─第四百十二夜)

僧院に住む狂人が詩を吟じる。彼は生き別れの恋人の安否を心配していたが……。

たかが恋で(ry

「回教徒になった副修道院長」(第四百十二夜─第四百十四夜)

副修道院長が、回教徒になったいきさつを話す。そこには女をめぐるある奇跡があった。

宗教の正当性は奇跡にある。映画『十戒』でも、選ばれた人たちのみに奇跡が降りかかっていた。キリスト教もイスラム教も兄弟みたいなものなんだし、どっちを信仰してもいいじゃんと思う。

「アブ・イサクとクラト・アル・アインの恋」(第四百十四夜─)

アブ・イサが奴隷女に恋をする。

対句でやりとりする粋な話。なるほど、告白には詩歌が一番なのか。この辺のメンタリティは昔の日本と同じみたい。

「アル・ラシッドの子アル・アミンと叔父イブラヒム・ビン・アル・マーディ」

アル・アミン(アッバス朝6代目教主)のもとに、叔父から美しい奴隷女が届いた。アミンはそれを叔父のお下がりだと思い、手をつけずに送り返してしまう。叔父は対句を記してまた送るのだった。

対句でやりとりする粋な話。昔の人はやったやらないに拘りすぎだと思う。まあ、妊娠したら父親が誰か分からなくなるから仕方ないのかな。遺伝子検査は偉大だ。

「アル・ファス・ビン・ハカンとアル・ムタワッキル教主」(─第四百十九夜)

病床のアル・ムタワッキル教主(アッバス朝10代目教主)が、アル・ファス・ビン・ハカンから貴重品やら奴隷女やらを受けとる。酒杯には対句が彫りつけてあった。

対句でやりとりする粋な話。体力が回復してからは、酒と女が最高の薬だとか。しかも、女は処女に限るって。アホか。

「男女の優劣についてある男が女の学者と議論した話」(第四百十九夜─第四百二十三夜)

男女の優劣について議論する。男色家の男は、男のほうが優れているから彼を愛でると言い、女の学者は、女の美しさや男への影響などを説く。

対句でやりとりする粋な話。相手方の学者は、イスラム版上野千鶴子といったところだろうか。よく分からんけど。

「アブ・スワイドとこぎれいな老婆」(第四百二十三夜─)

アブ・スワイドが白髪頭のこぎれいな老婆と出会う。そして、彼女に髪の毛を黒くするよう勧める。

対句でやりとりする粋な話。断られたからといって捨てぜりふを吐くアブ・スワイドは最低だ。

「アリ・ビン・タヒル太守とムウニスという娘」

アリ・ビン・タヒル太守が、ムウニスという多芸多才の奴隷娘を購入する。

対句でやりとりする粋な話。思いを伝えるには詩歌が一番なのだろう。でも、大したこと言ってないような。

「若いつばめをもった女と大人を情夫にもった女」

2人の女が情夫について言い争う。

鬚のあるなしが争点になっている。若いつばめ=つるつる、大人の情夫=もさもさ。個人的には鬚を生やす習慣に馴染めないのだけど(胡散臭いし不潔だし)、イスラム教ではこれが必須だから面食らう。男の象徴として尊ばれてるんだろうか。

「カイロ人のアリとバグダッドの幽霊屋敷」

莫大な財産を相続したアリだったが、魔神にそそのかされてすべて浪費してしまう。その後は旅をして幽霊屋敷に。魔神との交渉で莫大な財産を手に入れる。

知恵があれば一発逆転できるという話。最後は息子が王位を継いでいる。もうこういうのはお馴染みだ。無駄にスケールがでかい。

「巡礼男と老婆」(─第四百三十六夜)

巡礼男と老婆の会話。話題は政治に及ぶ。今の民衆は国王に抑圧されている。しかし、昔は善政が敷かれていた。なぜなら、民衆が王をおそろしがっていたから。今は民衆が堕落しているため、昔以上に威厳が必要とされている。そして、民衆が駄目だから、政治が駄目になると王国も衰退する。

諺にも、「王の非道は百年、民の非道は一年」と申していますが、民がお互いに虐げあうと、アラーはそのうえに暴虐なおそろしい王をおすえになります。(p.214)

んー、なんだこりゃ。民衆への責任転嫁としか思えないんだけど。典型的な「昔は良かった」教。

「アブ・アル・フスンと奴隷娘のタワッズド」(第四百三十六夜─)

莫大な財産を相続したアブ・アル・フスンだったが、放埒の限りを尽くして一文無しになってしまう。彼には美しい奴隷娘のタワッズドしかいなかった。タワッズドは自分を教主(ハルン・アル・ラシッド)に売るよう主人に進言する。

物語にかこつけたお勉強テキストだった。タワッズドが古今無双の博識ということで、生理学から神学まで、それぞれの専門家たちと問答している。紙幅のほとんどがこれ。学問的な内容のせいか、バートンの注釈も気合いが入っている。私は飛ばし読みだったけれど、当時の知的領域を探るという意味で、イスラム好きにとっては貴重かもしれない。

ところで、奴隷娘の描写がすごい。

また、背丈はちょうど五尺でしたが、たおやかな蓮歩の足どりは世上の評判も高く、天恵も豊かに、さながらシャアバンの月の新月のようなきりりとした、弓形の眉毛や、羚羊の瞳を思わせるような目を授かっていました。鼻はみごとな偃月刀の刃を思わせ、頬は血潮のようにまっ赤に輝いたアネモネのよう、さらに口もとはソロモンの印形付き指輪のごとく、歯はふたならびの真珠の首飾りのようでございました。臍は一オンスの安息香油もはいるくらい、腰は恋にやつれ、ひそかな思いに病み衰えた体よりも細く、臀(いしき)はふたつの砂山よりも重たげでした。(p.222)

きらびやかな比喩の数々に時代を感じる。

「死の天使と高慢な王と道士」

死の天使が高慢な王の魂を抜く。続いて、道士の魂も抜く。

信心深い道士は偉大だねという話。確かに王と道士は生活に雲泥の差があるから、死の天使が対応を変えたくなるのも分かる。

「死の天使と富裕な王」

死の天使が富裕な王の魂を抜く。

富の独占を戒めている。

「死の天使とイスラエルの子孫の王」

死の天使がイスラエルの暴君の魂を抜く。

死はいつ訪れるか分かりません。日頃から善行を積んで天国を目指しましょう。なるほど、こういう物語を幼い頃から摂取することで、人は洗脳されていくのだ。

「イスカンダル・ズ・アル・カルナインと貧しい人々」

イスカンダルが旅の途中で少人数の部族に出会う。彼らは好んで貧しい生活を送っていた。

死後の世界を想って現世への執心を捨てるなんて頭おかしいよ。かといって、現世利益に開き直られても困るんだけどさ。難しいところだ。

「アヌシルワン王の威徳」

正義の王アヌシルワンについて。あるとき、王は病気のふりをして泥瓦を所望する。部下たちは王国をくまなく探すも見つからない。王はそれを聞いて喜ぶ。

領内に荒れた土地はなく、泥瓦ひとつ落ちていない。これは善政の証であるということ。今回はシャーラザットが政事について熱く語っている。そりゃそうだよなー。聞き手のシャーリヤル王は暴君なんだし。

「ユダヤ人の判官と貞節な妻」

判官の妻が、袖にした男から讒言される。その後、色々あって祈祷師になる。

アラーに帰依し、赦しの心を持てばすべて丸く収まる。はあ……。

「難船の憂きめにあった女とその子供」

嬰児を胸に抱いて漂流している女。そこへ水夫が近づき、体をまかせれば助けてやると言う。

海から1匹の獣が現れて女を助けている。これもアラーの思し召し。

「信心深い黒人奴隷」

干魃のバッソラー。黒人が祈ると雨が降ってきた。

雨を降らせたり魂を奪ったりアラーやばすぎ。

「道心堅固な盆作りとその女房」

屋敷の奥方が、盆作りの男を手込めにしようとする。男はアラーのご加護で脱出、女房の元に帰る。屋根が2つに避けて紅玉が降ってくる。

死後の世界が信じられるなんて羨ましいよ。ジハードで死んだらあの世で美女に囲まれてヘヴン状態! だもんね。権力者にとっては実に都合の良い話だ。

「アル・ハッジャジと信心家」

アル・ハッジャジが信心家を牢に入れる。次の日、彼は牢から消えていた。

アラーが逃しましたよ?、というオチ。しっかし、当時のアラブ人はこういうのを読んでどう思ってたんだ? 馬鹿馬鹿しいにもほどがあるんだけど。

「火をつかんでも平気な鍛冶屋」

火をつかんでも平気な鍛冶屋。彼は女とのやりとりがきっかけで、そういう体質になったのだった。

肉欲から慈悲の心へと回心。信仰の言葉は魔力を帯びていて、ご褒美的な奇跡を起こしている。火に焼かれないなんてすごいスキルだよなー。スーパーマンもびっくりだ。

「神から雲を授けられた信者と敬虔な国王」

信心深いユダヤ人の行者は、神から雲を授けられていた。ところが、いつしか信心が薄れたため、雲を取り上げられてしまう。悲嘆に暮れる行者だったが、あるとき夢のなかでお告げを聞く。敬虔な国王に祈ってもらえば、また雲を授かるだろうと……。

もういい加減、この手のアラー話は飽きたよ。そんなに祈らせたいか。

「回教徒の戦士とキリスト教徒の乙女」

キリスト教軍が回教徒の戦士を捕虜にする。殺すには惜しいし、放つには危険ということで、乙女を使って改宗させようとする。

「ミイラ取りがミイラになった」という話。『千夜一夜物語』を読むと、回教徒=女好きというイメージは確かにある。当時の人たちもそう思ってたみたい。

「キリスト教王の王女と回教徒」

回教徒の医師がナザレ人の国を旅する。そして、姫の病気を治すよう頼まれる。

キリスト教はインチキで、イスラム教こそが真実の教えである。こういうのもメディア戦略の一種だ。

「予言者と神の審き」

山上の予言者が殺人を目撃。神に対して嘆きの言葉を申し上げる。しかし、神は事実関係を把握していた。

人間は物事の一側面しか見ることができない。それに対して神は全てお見通しだという話。まあ、人間を相対化するのに神を持ち出すのは確かに手っ取り早い。

「ナイル川の渡し守と隠者」

渡し守が老人の頼みを引き受ける。全てはアラーのお導きだった。

はいはい、アラーは偉大ですねえ。

「島の王と敬虔なイスラエル人」

遺産をむしり取られた若者が、妻子を連れて移住しようとする。道中船は難破し、一家は散り散りに。若者は無人島に漂流するのだった。

一抹のアラブ的な敬虔さを加味したロビンソン・クルーソー」(by バートン)とは言い得て妙だ。島に文明を築こうという努力は一切せず、ただアラーを讃えて財宝をゲットしている。

「アブ・アル・ハサンとらい患者アブ・ジャアファル」(─第四百八十二夜)

メッカを巡礼するアブ・アル・ハサンに、らい病の男が同道することを申し出る。ところが、ハサンはそれを断った。その後、彼の行く先々にらい病男は先回り。不思議な力があることを知る。

キリスト教では前世の報いとされるらい病も、この話では聖痕(スティグマ)のような位置づけになっている。

「巨蛇の女王」(第四百八十二夜─第五百三十六夜)

仲間の奸計で地下に閉じこめられたハシブが、巨蛇(おろち)の女王から歓待を受ける。ハシブは地上に戻りたかったが……。

久々の長編だったけれど、あまりに冗長なので飛ばし読みした。天使とか魔神とか猿の大群とか、ファンタジー要素がこれでもかと詰まっているのに、腰を据えずにどんどん通り過ぎている。まるで即興で物語を拵えているような脈絡のなさ。だらだらと話が続いていて退屈だった。

  • 「ブルキヤの冒険」 - 巨蛇の女王による挿話。ブルキヤ王子がモハメッドを求めて旅に出る。道中、魔神や天使と関わりをもつようになる。
  • 「ヤンシャーの話」 - ヤンシャー王子がブルキヤに語った身の上話。猿の王になったり、騾馬の中に入ったり、ソロモン王と会ったり、波瀾万丈の旅をする。

>>『バートン版 千夜一夜物語 7』へ

>>Author - リチャード・F・バートン

2009.9.13 (Sun)

リチャード・フラナガン『姿なきテロリスト』(2006)

姿なきテロリスト(113x160)

★★★★
The Unknown Terrorist / Richard Flanagan
渡辺佐智江 訳 / 白水社 / 2009.5
ISBN 978-4560092293 【Amazon

オーストラリアのシドニー。ストリッパーのドールが、たまたま知り合った男とベッドを共にする。後日彼は死体で発見され、イスラム教のテロリストと報じられる。ドールもその仲間と見なされ、国家の敵として追われるはめになる。

ハリウッドの社会派スリラーみたいだった。ストーリーは、無実の人間がメディアの生贄にされるというもの。個人のどん詰まりな状況を描きつつ、「欲望」に満ちた現代社会を炙り出している。

都市風俗に足場を置いた猥雑な雰囲気が良かった。物や情報が溢れる消費社会においては、ブランド品が自己のアイデンティティとなり、全ての人間は売買可能な商品になる。金のない人間は糞袋と同義だし、メディアは大衆の欲望を煽るために常に刺激を必要とする。人間とは本質的には何者でもなく、経済にコミットすることでしか個性を持ち得ない。人々は不安と恐怖を燃料に、飽くなき消費活動に駆り立てられていく。

ストリッパーのドールはそういった生活の尖兵だったのだけど、みんなの生贄にされることで、世界の本当の姿を知るようになる。恐怖のシンボルとして孤立し、市民の枠から弾かれることで、「欲望」の所在を実感するようになる。みのもんた的ジャーナリズムによる見えない支配。この世界では、物語の膨張と破裂が短いスパンで繰り返され、人々を絶え間ない緊張状態に追い込む。そして、その反動として快楽と消費を増幅させる。表紙のごみごみした感じがぴったりだ。

2009.9.15 (Tue)

P・G・ウッドハウス『ジーヴスの帰還』(1960)

ジーヴスの帰還(109x160)

★★★
Jeeves in the Offing / Pelham Grenville Wodehouse
森村たまき 訳 / 国書刊行会 / 2009.8
ISBN 978-4336051394 【Amazon

ジーヴスが休暇に入ったため、バーティーは単身でブリンクレイ・コートに乗り込む。そこでボビー(赤毛娘)を震源とした男女関係のいざこざに巻き込まれる。また、屋敷には執事の格好をしたグロソップ氏も滞在していた。

『ジーヴスと封建精神』に続くウッドハウス・コレクションの第10弾。今回は尺が足りないせいか、表題作のほかに短編を2編収録している。

彼女は自分の胸腔サイズにはだいぶ大きすぎのサーロインステーキを呑み込もうとするブルドッグみたいに息を詰まらせた。(p.227)

この巻のMVPはグロソップ氏だろう。神経科医としてかつてバーティーをキチガイ扱いしていた彼。今回は執事に扮装し、完璧なカメレオンぶりを見せつけている。言葉遣いが恐ろしく慇懃で、奉仕の精神まで芽生えているのだから素晴らしい。「人は執事に生まれるのではない、執事になるのだ」という格言をみごと体現している。また、若い頃はバーティーに匹敵するお調子者だったようで、共通するものを感じた2人はますます友情を深めることに。脇役にしては珍しいくらいの好感度を獲得している。こりゃ今年の冬、彼を主人公にしたスピンオフ作品がコミケで出るぞ。要チェックだ。

以下、短編について。

「ジーヴスとギトギト男」(1966)"Jeeves and the Greasy Bird"

男やもめのグロソップ氏は、娘のオノリアが嫁に行くまで再婚を控えていた。バーティーが親切心から策を巡らせる。しかし物事はこじれ、バーティーはギトギト男からの脅迫で窮地に立たされるのだった。

おいおい、この「ギトギト男」って、シリーズでも珍しいモノホンの悪党じゃないか? バーティーの敵役はたいてい罪のない天然ちゃんだけど、ギトギト男のやってることは明らかに犯罪だし……。ウシジマくん【Amazon】を彷彿とさせる圧迫感がすごい。ウッドハウス・ワールドに悪党が出てくるとは驚きである。

それにしても、ダリア叔母さんは良いね。いつもいつもバーティーに毒舌を浴びせておきながら、根底にはたっぷりの愛情があって、危機の際にはちゃんと助けている。ツンデレとはまた違った、イギリス流のひねくれた性格が微笑ましい。

「ポッター氏の安静療法」(1935)"Mr. Potter Takes a Rest Cure"

母から結婚を押しつけられそうになっているボビー(赤毛娘)。彼女は滞在客のポッター氏を利用し、相手の男を罠にはめて母を説得する。

お馴染みの策略もの。巧妙な立ち回りで危機を回避している。ボビーって主役を張れるくらいすごい奴だったんだなあ。ただの引っかき回し役だと思ってたよ。

>>Author - P・G・ウッドハウス

2009.9.17 (Thu)

つげ義春『大場電気鍍金工業所/やもり』

大場電気鍍金工業所,やもり(114x160)

★★★★
ちくま文庫 / 2008.11
ISBN 978-4480425423 【Amazon

短編集。「大場電気鍍金工業所」、「少年」、「海へ」、「やもり」、「下宿の頃」、「義男の青春」、「池袋百点会」、「隣りの女」、「別離」の9編。

つげ義春コレクション2。私小説みたいな漫画で面白かった。前半は恵まれない少年時代を、後半は漫画家になってからのだめんず生活を題材にしている。どちらも経済的に苦しく、エロスが禁断のリンゴのようにぶら下がっているところが特徴だろう。媒体は漫画だけど、中身は完全に「文学」している。

以下、各短編について。

「大場電気鍍金工業所」(1973)

1年前に社長を亡くしたメッキ工場。現在は義男少年とオカミさんの2人で営業していた。そこへ職人がやってくるという。また、近所には肺病の元工員が住んでおり、彼は床板の割れ目から池にウンコをするくらい衰弱していた。

戦後のうらぶれた雰囲気がすごい。池の上に家が建ってるし、稼業は下請けばかりでどうにもならない。ここから経済発展していったとはねえ。にわかには信じがたいわ。

昔は子供でも硫酸が買えたみたい。一升瓶に詰めて自転車で運搬するとは命知らずだ。

「少年」(1981)

メッキ工場で働く少年は、本屋のアルバイト女性に惹かれていた。ところが、彼女は店主と不倫関係にある。

冒頭の鼠殺しがオチにも使われていて巧い構成。さらに、自転車屋の娘とのやりとりでもシンメトリーをなしている。少年の心理を外堀から埋めた、キレのある短編だった。

「海へ」(1987)

義男少年の家庭は、抑圧的な義父が牛耳っていた。あるとき、大枚を叩いてミシンを買い、家の中で製縫業をはじめる。

目玉が描かれない薄幸そうな女工は、少年以上の孤独を背負っていた。しかし、家出した少年は疵の舐め合いも許されない。共同体から切り離された女工と、家族の輪から逃げ出したい少年。女工から見れば少年は甘ちゃんなんだと思う。

「やもり」(1986)

母子家庭で幼い兄弟たちと暮らす少年。母のもとには男がやってきて威張り散らしている。少年は近所の夫婦のもとでバイトし、彼らに身の上話を打ち明ける。子供のない夫婦は、うちの子になるよう少年に言うのだった。

やべー、中耳炎のオジさんサイコパスだ。小学生に根性焼き入れたり、猫殺しに手を染めたり、そのうち通り魔でもしそうなレベル。耳の後ろに空いてる穴は弾痕だろうか? 戦争体験で気が狂ったのかも、などと想像をかき立てられる。

「下宿の頃」(1973)

漫画家・津部の下宿に、同業の円堂さんがやってくる。彼は10歳年上の未亡人と駆け落ちしたばかりだった。

円堂さんのだめんずっぷりが清々しい。寝ている女将さんに欲情してちんぽ押しつけてるし、駆け落ちしたばかりなのに金借りてトルコ風呂行ってるし。昭和っていうのは、こういういい加減な輩がうようよいたんだなあ。

「義男の青春」(1974)

漫画家の津部が、同業のベテラン先生と温泉地に行く。

先生のだめんずっぷりは貫禄あるね。金に汚いくせに態度だけはベテランぶっていて、初老男性のいやらしさが油汗のように滲み出ている。こうやって何十年も生きてるんだから、余人ではまず敵わない。若造はただ搾取されるのみだ。

「池袋百点会」(1984)

独り身で自堕落な生活を送っている漫画家の津部。彼は喫茶店の女給に欲情していた。しかし、女給は津部の知人(太宰かぶれのプータロー)とデキている。津部はその知人に誘われ、PR誌の発行に協力するのだった。

ここにもまただめんずが。金を持ち逃げしたおっさんも地味にすごい(顔が)けど、津部の知人が村上龍に似た駄目男でびっくりした。昔の文学青年って、こういう風にまず形から入っていたのだろう。太宰治が好きだからといって、自堕落な生活まで真似る必要ないだろうに……。

「隣りの女」(1984)

漫画家の津部が、隣りに越してきたバツイチ女と肉体関係を結ぶ。その後、家主オヤジとヤミ米の買い出しをする。

政治運動(安保闘争)とは無縁の路地裏生活。豪放磊落なオヤジさんが良い。

「別離」(1987)

貸本漫画で生計を立てている男が、経済的な理由で妻と別居する。男は兄のもとを頼り、女は住み込みの賄婦として働く。

まあ普通の貧乏漫画。女との仲がこじれて自殺未遂を起こしている。

著者は本作を最後に絶筆しているらしい。2009年現在も存命中である。庄司薫やサリンジャーみたいに早すぎる引退をしたんだろうか。

>>Author - つげ義春