2009.9c / Pulp Literature

2009.9.21 (Mon)

つげ義春『李さん一家/海辺の叙景』

李さん一家,海辺の叙景(114x160)

★★★
ちくま文庫 / 2008.12
ISBN 978-4480425430 【Amazon

短編集。「古本と少女」、「不思議な手紙」、「手錠」、「蟻地獄」、「女忍」、「噂の武士」、「西瓜酒」、「運命」、「不思議な絵」、「沼」、「チーコ」、「初茸がり」、「通夜」、「山椒魚」、「李さん一家」、「蟹」、「峠の犬」、「海辺の叙景」の18編。

つげ義春コレクション3。作品によって絵柄を変えているのが印象的だった。あるときは子供向けのぺたっとした絵。あるときは白土三平風の劇画。あるとき水木しげるばりの細密描写。背景や人物の「強度」が、そのときどきで変わっている。この辺の器用さはさすがプロだ。

以下、各短編について。

「古本と少女」(1960,66)

古本屋に通う少年。彼の欲しい本は高くて手が出ない。ある日、その本のなかから千円札が出てきた。少年は咄嗟にネコババするも、返すか返さないかで煩悶する。千円あれば本が買えるが……。

絵が普通の少年ものでびっくりだし、ストーリーも心温まるもので二重にびっくり。こういう正統派な漫画も書くとはねえ。意外だ。

「不思議な手紙」(1959,66)

母を亡くした少年のもとに、火葬場の元職員から手紙が来る。そこには殺人の告白が綴られていた。

一転して今度はハードになっている。いわゆる「魔が差した」ってやつ。(1) 気に入らない奴への (2) 完全犯罪のチャンス。この2つはスリーセブンのごとく滅多に揃わないけれど、ひとたび巡ってきたらみんな同じ事をやると思う。普段から周囲には気を配らないとね。

「手錠」(1959,66)

刑事が山奥で犯人を逮捕。近くにあった廃屋に手錠で拘束し、自分は応援を呼ぶため山を下りる。しかし、途中で転倒して病院に。目が覚めたら記憶を失っていた。一方、犯人は飲まず食わずのまま拘束されている……。

これもダークな話だ。少年向けの絵柄なだけに一層ショックである。

「蟻地獄」(1960,67)

エジプト。4人の男を乗せたジープが砂地獄にはまる。炎天下で水も食糧も乏しい。そのまま捜索隊を待つも、また新たな遭難者が現れる。

今度は劇画調に。「蜘蛛の糸」【Amazon】を彷彿とさせる人間の愚かさを描いている。

「女忍」(1961,66)

美濃の豪族が、自分を殺しに来た忍者を捕らえる。顔を見ると美しい女だった。側女として手元に置き、子供を産ませることにする。

おなごは赤ん坊を産むと情がうんたら。へー。そういうものなのか。

子供がハゲ頭に匕首を突き立てている絵はインパクトがあった。さすが戦国時代、さすが忍者の血筋である。

「噂の武士」(1965)

温泉地に逗留する武士。相部屋になった男はただ者ではなかった。どうやら宮本武蔵らしいが……。

宮本武蔵のニセモノだけど、一流の武芸者ではある。各地の温泉宿を巡り、客寄せのパフォーマンスをしている。今風にいえば、「博士号を取得したのに就職先に恵まれず、生きるために振り込め詐欺に手を染める」みたいな感じだろう。もちろん、本作の武士はそこまで罪があるわけではない。能力のわりには不本意な生き方をしているという意味で共通している。

「西瓜酒」(1965)

2人の貧乏男が、酒を詰めた西瓜で宴会する。これで商売すれば大金持ちは間違いないとか。

これも時代劇。最後のナレーションは、いわゆる「水を差す」(by 『「空気」の研究』)ってやつだな。空気を壊すにはこれしかない。

「運命」(1965)

貧しい武士の夫婦が、毒を飲んで心中しようとしていた。そこへ旧友から手紙が届く。どうやら明日この家に来るらしい。夫婦はひとまず死ぬのを止める。翌日、陽が落ちても相手は来ない。近所では捕物があるようだった。

「運命」と呼ぶにふさわしい皮肉な展開。悪気がないだけに、苦虫を噛み潰したような表情になるのも分かる。

「不思議な絵」(1966)

道端で掛軸を拾った武士。家に帰って広げてみると、何かの地図のようだった。それを元に町を探検する。

珍しく陽気な話だった。困窮のなかでの遊び心。

「沼」(1966)

沼で鳥を撃つ少年が、不思議な少女に誘われ一つ屋根の下で眠る。

鳥の首を捻ったり部屋で蛇を飼ったり、これが狂女系ってやつか。ときおり目が爬虫類っぽくなっていて怖い。

「チーコ」(1966)

漫画家の夫とホステスの妻。2人は文鳥を飼ったおかげで喧嘩をしなくなる。ところが、夫の不注意で文鳥を死なせてしまう。

短いながらも夫婦の喜怒哀楽が詰まっていて面白い。苦しさ一辺倒でもなければ、楽しさ一辺倒でもなく、色々な感情を分け合いながら生活している。

「初茸がり」(1966)

明日お爺ちゃんが初茸がりに連れて行ってくれるという。興奮で眠れない童子は、意外な行動に出るのだった。

微妙にシュールな内容だった。童子の顔も何かのっぺりしてるし。漫画っていうのは絵で語ってなんぼなんだな。

「通夜」(1967)

時代劇。3人のならず者が老婆の家で雨宿りする。空いてる部屋では死人が寝ていた。

3バカが死体を弄ってドタバタやっている。

「山椒魚」(1967)

汚泥に棲む山椒魚の語り。

『ベルセルク』【Amazon】を彷彿とさせる緻密でグロテスクな絵だ。人間の胎児が流れてきて、それに頭突きを食らわす様子が何とも不気味である。

「李さん一家」(1967)

男が郊外のボロ屋に引っ越す。あるとき、鳥の言葉が分かるという朝鮮人の李さんと知り合い、彼の一家4人(夫婦と子供2人)がボロ家の2階に住み着くようになる。

のんびりした時代だ。今は管理化が進んでいるから、こういう同居生活はまず出来ない。部屋一つ借りるのでさえ、身分証とか連帯保証人とか面倒なのが必要だし。

「蟹」(1970)

「李さん一家」の続編。街を探検したのち、自宅の縁の下で蟹を見つける。

郊外の街並みに風情があってつい見とれてしまう。今じゃ僻地でしかお目にかかれないからね、こういうの。

「峠の犬」(1967)

時代劇。隣の家で飼われている犬は、1年前に拾われた野良公で、五郎と名付けられていた。ある日、その犬が行方不明になる。しばらくして語り手は、意外な場所で五郎を発見するのだった。

実は別の家に所属していた、と。人間を含めた動物は、他者との関係性であり方が変化する。

「海辺の叙景」(1967)

海辺で男女が知り合う。

所々セリフと絵がミスマッチしていて面白い。ラストはこの上なく不吉だ。

>>Author - つげ義春

2009.9.27 (Sun)

インティザール・フサイン『インティザール・フサイン短編集』(1952-)

★★★
Intizar Husain Ke Afsane / Intizar Husain
萩田博 編訳 / 大同生命国際文化基金 / 2009.3
ISBN なし (非売品)

日本オリジナル編集の短編集。「変身」、「亀」、「最後の人間」、「黄色い犬」、「針」、「悲しみの街」、「切り離された車両」、「書かれなかった叙事詩」の8編。

著者はインド生まれのパキスタン人(分離独立のときに移住)で、使用言語はウルドゥー語。

大まかに言えば、説話風味の幻想小説といったところ。リアリズムで書かれているは後ろの2編くらいだった。文化的にはインドとパキスタンのボーダーに位置していて、ヒンドゥー教とイスラム教の双方に通じていたり、大戦後の分離独立を題材にしていたりする。人間の弱さに目を向けた作風なので、パキスタン初心者でもとっつきやすい。

以下、各短編について。

「変身」(1967)"Kaya-kalp"

鬼の手から王女を助けにきた王子。彼は鬼のいない昼間は人間の姿でいるものの、鬼が帰ってくる夜間は、王女の魔法で蠅に変えられている。それは鬼に気づかれないための方策だった。ところが、蠅の精神は徐々に王子を蝕んでいく……。

カフカの「変身」を連想させるシチュエーション。ただし、こちらは王子の葛藤にスポットを当てており、感触はだいぶ異なっている。自身の拠りどころが揺らいでいく様子は、精神分裂病的といった趣。思考のプロセスに臨場感がある。★★★。

「亀」(1981)"Kachwe"

3人の僧侶たちによる問答。彼らは堕落した比丘たちを憂いていたが、ジャータカ(説話集)を披露していくうちに、1人ずつ脱落していく。

修行とは自己満足の世界だ。心の平安を得るために、「大きな物語」をでっちあげてその価値体系の中にひきこもる。修行といっても所詮は先人から与えられたものだから、いざ霊感が舞い降りても正しいかどうか判断できない。大抵の場合は、先例に照らして云々ということになる。しかし、なかには「正しい」と勘違いする奴(イエスとかモハメッドとか)もいて、そういうのがまた新たな宗教を作っちゃうわけだ。こりゃどうにもならんね。★★★。

「最後の人間」(1967)"Axiri admi"

町で最後の人間になったアルヤーセフ。他の連中は安息日に魚を獲ったため、みな猿になっていた。

怒ったり笑ったり恐怖をおぼえたりすると、顔が歪んで猿になってしまう。だからアルヤーセフは穏やかな内面を保とうとする。話としては「変身」に近いけれど、こちらは存在をめぐる葛藤よりも、タブーを犯したがゆえの恐怖を中心にしている。創造主が絶対的な壁として立ちはだかるんだから堪らないよなあ。一神教の世界って、独裁国家みたいで息苦しい。★★★★。

「黄色い犬」(1967)"Zard kutta"

語り手とシェイフ(イスラム教の偉い人)の問答。語り手が質問し、シェイフが説教や逸話を交えて答えていく。「黄色い犬」は欲望と情念を表しているという。シェイフと別れたのち、語り手は友人の堕落した生活を目の当たりにする。それを後目に禁欲生活を送る語り手。すると、傍らに黄色い犬が現れた。

黄色い犬(=欲望)は踏みつければ踏みつけるほど大きくなるという。語り手はそのカラクリを知っていたはずなのに、踏みつけまくって犬を大きくしている。では、語り手はどうすれば良かったのだろう? そう問われても解決策が思い浮かばない。飼い慣らすっていうのも何かわざとらしいし。神が仕掛けた理不尽な罠だ。★★★★。

「針」(1967)"Suiyan"

鬼に囲われている王女が、7つの部屋に通じる鍵をもらう。6つの部屋は開けてもいいが、7番目だけでは駄目だという。しばらくは6つの部屋で満足するも、あるとき、7番目の部屋を開けてしまう。

「青ひげ」をベースにした伝奇もの。確か、禁断の部屋は王女の純潔を表しているんだっけか。著者は独自のイベントを加えることで、より王女の内面とシンクロさせている。★★★。

「悲しみの街」(1973)"Sahe-e afsos"

「悲しみの街」で出会った3人の男たちによる会話。2人は自分が死んでいることを自覚しているが、1人は自分が生きていると思っている。

ここから3編は、インド・パキスタンの分離独立を背景にした「動乱文学」。

この小説はほとんどが会話文で構成されていて、戯曲みたいな雰囲気だった。民衆に襲いかかる暴力。あるときは被害者になり、あるときは加害者になる。人物が匿名であることで、肉体から魂を抽出したような浮遊感が漂っている。自己の足場が崩れている様子を、幻想的な手法で表していて面白い。★★★★。

「切り離された車両」(1973)"Kata hua dibba"

複数の男たちが旅について話をする。フサインにはとっておきの逸話があったが、他人の話が長くてなかなか切り出せない。そうこうしているうちに夢うつつ状態になる。

確かに切り出しづらい話題ではある。こういう個人的な衝撃って、他人には通じなさそうだし。夜の列車の非日常的なイメージが良い。★★★。

「書かれなかった叙事詩」(1952)"Ek bin likhi razmiya"

ヒンドゥー教とイスラム教の争い。インドでのピチュワーは町の英雄だった。しかし、移住先のパキスタンではただの難民でしかない。語り手は彼を小説の題材にするも、筆はまったく進まないでいる。

3編のなかではもっとも直接的に動乱を描いている。★★★。

>>アジアの現代文芸

2009.9.29 (Tue)

つげ義春『紅い花/やなぎ屋主人』

紅い花/やなぎ屋主人(113x160)

★★★
ちくま文庫 / 2009.2
ISBN 978-4480425454 【Amazon

短編集。「紅い花」、「西部田村事件」、「長八の宿」、「二岐渓谷」、「オンドル小屋」、「ほんやら洞のべんさん」、「もっきり屋の少女」、「やなぎ屋主人」、「リアリズムの宿」、「枯野の宿」、「庶民御宿」、「会津の釣り宿」の12編。

つげ義春コレクション5。鄙びた土地を部外者が訪れる<旅もの>を収めている。

以下、各短編について。

「紅い花」(1967)

茶屋で店番をする小学6年の少女は、病気がちでよく学校を休んでいた。同じ学年の少年が、何かと彼女をかまっている。

方言を喋って無表情で、川にケツをひたして紅い花(=生理の血)を排出する少女は、傍から見たら異質な感じがある。でも、少年と絡むとかなり様になるんだなあ。

「西部田村事件」(1967)

千葉県の西部田村。精神病院から患者が抜け出した。付近の住民たちで捜索隊が組織される。

典型的な「いなかのじけん」。森林と療養所はよく似合う。

「長八の宿」(1968)

伊豆の宿で名物爺さんと出会う。晴れると富士山がでーんと見えるとか、かつてお嬢さんが宿のパンフレットを作っていたとか。

心浮き立つ好編だった。爺さんのキャラが楽しくて、お嬢さんを弄るところなんか見てて微笑ましくなる。また、漁村の風景も絶品。無茶な遠近法で描かれたラストは夢幻的でさえある。旅をするんだったらこういうぬくみのある場所がいい。

「二岐渓谷」(1968)

紅葉を見に会津の山奥へ。渓谷にある湯治場に辿り着く。露天風呂に入ると猿も入浴していた。その後、渓谷に台風が襲ってくる。

これは秘境といって良いんじゃないか。今だったらダム建設で水没してるような地域だ。

「オンドル小屋」(1968)

八幡平にある温泉宿。小屋でオンドル式の入浴をする。宿には3人の無粋な客もいて、どんちゃん騒ぎをしたり語り手に絡んだりしていた。

きちんと整備された旅館よりも、こういうバラックみたいなところのほうが趣がある。でも、自分が泊まるとなると躊躇するね。憧れはあるけれど。

「ほんやら洞のべんさん」(1968)

越後魚沼郡。雪が積もってかまくら状態の家に宿泊する。すぐに帰る予定だったが、亭主の勧めでしばらく滞在することになる。凍った信濃川で魚を獲ったり、生け簀の錦鯉を盗んだり。

今度は雪国。絵柄はいくぶん丸っこくなっている。さばけた親父さんにはそれなりの事情があったというなかなか味のある話。酒のつまみにちょうどいい。

「もっきり屋の少女」(1968)

山村で出会った少女。彼女は居酒屋のホステスだった。

絵柄から察するに、ホステスはまだ中学生くらいか。大っぴらに酒をかっくらったり、客に乳を揉ませたり、今だったら風営法で摘発されるレベル。

「やなぎ屋主人」(1970)

何となく宿泊したやなぎ屋で、宿の娘とまぐわう。

うお、なんだこりゃ。いきなり大袈裟な劇画調になっていて笑ってしまった。かっこつけようとして背伸びしている大学生を見ているような気分。

「リアリズムの宿」(1973)

漫画のネタを探しに旅をする語り手。鰺ヶ沢で商人宿を巡ろうとするが、手違いで貧しい民家に泊まることになる。

貧しさの極地という感じでいたたまれない。家中に不幸な空気が充満している。旅っていうのは一種の現実逃避だから、確かにリアリズムな光景は勘弁してくれと思う。飯もまずそうだし。

著者は貧乏ネタが多いわりにけっこう旅をしている。本当は儲かってたのだろうか? というか、寡作なのによく生活できてたなあと不思議に思う。

「枯野の宿」(1974)

土地を買うべく埼玉の羽生へ。利根川で夕立に遭ったので、近くの宿に泊まる。

屏風の景色と霧のなかの舟。語り手は高熱で寝込んでいる。もう少しで幻想世界に入るところだった。

「庶民御宿」(1975)

バイクで旅をする2人の男。行商人の紹介で、千葉の農家に泊まる。行商人には奇妙な物語があった。

ひとことで言えば性的ファンタジー。種のない夫に頼まれて友人が種を仕込むというありそうでなさそうな話をしている。エロ本に載ってる体験談みたい(よく知らないけど)。

旅人の造形が今までとは異質だった。片方はロン毛の自称インテリで、ニヒリストを気取っている。こういうのが当時の流行だったのだろう。

「会津の釣り宿」(1980)

車で旅をする2人の男。玉梨温泉で食わせ者のオヤジと出会う。

ジョリ髭のトボけたオヤジがいいね。『クレヨンしんちゃん』【Amazon】に出てきそうだ。

>>Author - つげ義春