2010.1a / Pulp Literature

2010.1.3 (Sun)

ガイ・ハミルトン『死ぬのは奴らだ』(1973/英)

死ぬのは奴らだ(113x160)

★★★★
Live and Let Die
ロジャー・ムーア / ヤフェット・コットー / ジェーン・シーモア / バーナード・リー / ロイス・マクスウェル / グロリア・ヘンドリー / デヴィッド・ヘディソン / ジェフリー・ホルダー / ジュリアス・ハリス / クリフトン・ジェームズ
20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
通常版 【Amazon】 / アルティメット・エディション 【Amazon

麻薬組織を調査すべく、ジェームズ・ボンド(ロジャー・ムーア)がニューヨークのスラムに乗り込む。組織は黒人のカナンガ(ヤフェット・コットー)が牛耳っていた。

黒人の使い方が大胆すぎて笑ってしまった。下っ端はショッカーの構成員みたいなものだから、ある程度人間性を剥奪されるのは仕方がないにしても、本作はそこに「黒人」らしい味付け(偏見とも言う)が加わっていて、PCの枠組みに囚われない能天気さに溢れている。つまりまあ、黒人=野蛮人になっているということ。スラム全体が協力して異物を排除しているところなんか良い意味で不気味だし、また、ブードゥーの島では前近代的な儀式が目白押しで明らかにタガが外れている。半端なモラルに迎合しない硬派な映画と言えよう(ホントかよ)。

ボートでの追いかけっこがえらく浮いていた。マヌケな保安官が出てきてからは全然違う映画になっている。当世風のアメリカ映画みたいな雰囲気というのかな。牧歌的なコミカルさが前面に出ていて、この部分だけ別の監督が担当したように見えるくらい異質だった。

2010.1.5 (Tue)

アティーク・ラヒーミー『悲しみを聴く石』(2008)

悲しみを聴く石(112x160)

★★★★
Syngue Sabour / Atiq Rahimi
関口涼子 訳 / 白水社 / 2009.10 / ゴンクール賞
ISBN 978-4560090053 【Amazon

戦場と化した市街地にある小さな部屋。そこに横たわる植物状態の男を、妻がコーラン片手に看病する。彼女は物言わぬ夫に秘密を告白するのだった。

定点観測に徹した室内劇みたいな小説。具体的な地名は書いていないものの、一応アフガニスタンがモデルのようだ。戦争と介護という二重の非常事態によって、“男尊女卑”を中核にしたイスラームの抑圧が否応なく明かされている。夫に聞こえていることが前提で大胆な告白をしたり、招かざる客として兵士たちが乱入してきたり。音と映像を意識的に分離するだけでなく、時折ケータイ小説のような短いフレーズをびしっと決めていて(しかもそれらは恐ろしくセンスが良い)、詩的な臨場感が出ている。

>>エクス・リブリス

2010.1.7 (Thu)

荒川洋治『文学の門』(2009)

文学の門(108x160)

★★★
みすず書房 / 2009.12
ISBN 978-4622075011 【Amazon

エッセイ集。時期は2008年から2009年まで。全54編。

いかにも団塊世代といった感じのエッセイだった。趣味の話題についてはわりとまっとうだけど、歳をとって頭が固くなっているのか、社会批評的な部分でピントがずれている。

とりあえず、ひとつだけ。

文学をだいじにしなくなったために、本を読まなくなったために、心が崩壊し、各地で人間性のかけらもない犯罪が多発する。(p.170)

いや、犯罪と文学はほとんど関係ないと思うぞ。それに凶悪犯罪(人間性のかけらもない犯罪)は昔のほうが確実に多かった。おそらく著者は、昨今の過熱した報道による「体感治安」で判断しているのだろう。ろくにリサーチもせず、物事をすべて皮膚感覚で語ろうとするからこうなる。

2010.1.10 (Sun)

施耐庵『水滸伝』(1400?)

水滸伝 (1) (ちくま文庫)(114x160)

★★★★
駒田信二 訳 / ちくま文庫 / 2005.7-2006.2
ISBN 978-4480421111 【Amazon
ISBN 978-4480421128 【Amazon
ISBN 978-4480421135 【Amazon
ISBN 978-4480421142 【Amazon
ISBN 978-4480421159 【Amazon
ISBN 978-4480421166 【Amazon
ISBN 978-4480421173 【Amazon
ISBN 978-4480421180 【Amazon

北宋末期。朝廷では奸臣たちが跋扈し、何かにつけて不正をはたらいていた。様々な理由で地位を追われた好漢たちは、山賊に身を落として難を避ける。最終的には108人が梁山泊に集うのだった。

このところ中国史にはまっているので再読した(前回は講談社文庫版)。本書は120回本の全訳である。水滸伝がほぼ現在の形になったのが明の時代の14世紀後半で、最初は100回本だったという。その後、16世紀になって120回本が成立し、清の時代の17世紀には金聖嘆による70回本が作られている。

「兄貴、くよくよ考えこむのはよしなさい。前に梁山泊におったころは、誰からも踏んづけられたりなんかしたこともなかったのに、きょうも招安、あすも招安で、とうとう招安を受けてしまったあげくが、こんないまいましいことになってしまったんだ。兄弟たちをここで自由にして、もういちど梁山泊へ行こうじゃありませんか。そうすりゃどんなにせいせいするか」(vol.8 p.86)

108人が集結するまでのドラマも良いけれど、やっぱり本番は招安の後だろうなあ。好漢たちは「義兄弟」という全人格的な信頼関係で結ばれていて、梁山泊はアウトローのユートピアになっていた。山賊だから略奪で食べているものの、基本的には義賊としての生き方を貫いている。ところが、朝廷の招安を受けたのが運の尽き。官軍として戦に駆り出され、たびたび功をあげるも報われない。それどころか、最終的には大半が戦死してしまう。

この部分と呼応するのが、120回本で組み込まれた王慶戦だろう。3回にわたって描かれる王慶の来歴は、梁山泊の主要人物に負けず劣らず面白い。彼が山賊になったのは役人の横暴が原因で、本来だったら「こちら側」の人間である。しかし、官軍と化した好漢たちはそういう奴を倒してしまうのだ。結果、相手は反逆罪で凌遅の刑(一寸刻みの刑)である。果たしてこれで良かったのか? 相手は梁山泊の鏡像ではなかったのか? 一抹の後味の悪さを残しつつ、好漢たちはラストバトル(方臘戦)に向かうことになる。そして、梁山泊は名実ともに瓦解することになる。

つまり、国家に忠誠を誓っても意味がないという儒教倫理の敗北が描かれているのだ。後半のほとんどは単調な戦闘の繰り返しで、正直なところかなりつまらない(*1)。しかし、これがないとあの無常さが出てこないのだから、パーツとしては必要不可欠なのである。前半で切り上げた70回本は不良品だと言えよう。

ところで、この小説の魅力はえげつないところだ。勘違いから同盟者の一家を皆殺しにしたかと思えば、捕らえた役人のもも肉を生きたままそぎ取り、炭火焼きにしておいしく頂いている(肝は酔い覚ましの吸い物に)。他にも、ターゲットを仲間に入れるために罪のない子供を殺したり、酒屋の客に毒を盛って人肉饅頭にしたり、女をなぶり殺しにして内臓をえぐり出したり、その所業はスプラッタに彩られている。特に殺人鬼の李逵がやばすぎだ。彼は偽善を暴くトリックスターとして解釈されているし、全体を通じて見れば確かにそんな感じはあるけれど、個々の暴力が極めて理不尽で、その天真爛漫な殺人は哲学の域にまで達している。彼にとって人を殺すことは、酒を飲むように自然なことなのだ。目を覆わんばかりの殺戮の数々が、「忠義」という綺麗事と臆面なく並んでいる。本作は清濁併せ呑む荒っぽさが好ましい。

>>陳忱『水滸後伝』へ

*1: ただし、戦闘の合間にあるエピソードは面白い。