2010.1b / Pulp Literature

2010.1.15 (Fri)

スティーヴ・エリクソン『真夜中に海がやってきた』(1999)

真夜中に海がやってきた(110x160)

★★★
The Sea Came in at Midnight / Steve Erickson
越川芳明 訳 / 筑摩書房 / 2001.4
ISBN 978-4480831880 【Amazon

17歳のクリスティンはカルト教団の集団自殺から逃れ、東京でメモリーガールをしていた。その顧客に日本人の老博士がおり、彼にはアンジーという一人娘がいる。アンジーは「居住者」と結婚したあと失踪し、「居住者」は部屋にこもってアポカリプスのカレンダーを製作していた。

天皇が国民に向かって自分が現人神でないことを告げたとき、その言葉は、日本国民を二十世紀から一気に二十一世紀へと吹き飛ばしてしまったのだ。日本人はもはや何のために二十世紀なんかを必要とするだろう。長崎の原爆と無神以外の何を二十世紀が日本人にもたらしたというのか。(p.233)

根拠不明の異様な熱気に包まれた小説。登場人物は少ないものの、動きが錯綜していて梗概を書くのが難しい。人物間に一部共通する要素があったり、時間と空間が妙に入り組んでいたりで、メモをとらないと筋の把握すらできないほどだった。

話としてはまあ、1999年らしい黙示録的ガジェットが豊富に盛り込まれていて、終末ムードが場末のサウナのように充満している。幻想的な大風呂敷が個人の贖罪に呑み込まれているという意味で、いわゆる「セカイ系」のメンタリティに通じるかもしれない。めいめいが「心の闇」を抱えてあちこちうろついているのである。日本でいえば、村上春樹と隣り合わせにあるような小説だった。

>>『エクスタシーの湖』

>>Author - スティーヴ・エリクソン

2010.1.18 (Mon)

岡田知子編『現代カンボジア短編集』(2001)

★★★
岡田知子 訳 / 大同生命国際文化基金 / 2001.1
ISBN なし (非売品)

日本オリジナル編集の短編集。ソット・ポーリン「ひとづきあい」、ソット・ポーリン「僕に命令しておくれ」、ソット・ポーリン「変わりゆくもの」、ソット・ポーリン「おぼしめしのままに」、クン・スルン「いなびかり」、クン・スルン「男嫌い」、クン・スルン「ソックの家」、クン・スルン「学校」、マイ・ソン・ソティアリー「姉さん」、マイ・ソン・ソティアリー「なぜ」、マウ・ソムナーン「黒い海」、ソティー「英雄の像」、ソティー「退屈な日曜日」の13編。

ガンボジア語作品を収めている。13編中11編が一人称の小説なのは、この国の何らかの傾向と見て良いのだろうか。発展途上国の証とか、抑圧された「個人」が云々とか。単に編者の好みかもしれないし、偶然かもしれないけれど、この偏りは気になるところではある。

以下、各短編について。

ソット・ポーリン「ひとづきあい」(1969)

他人と打ち解けたつきあいができないヴァンナー君が、片思いのサリーに誘われ、4人でドライブに行くことになる。サリーがひとづきあいの手本を見せてくれるという。

えらい垢抜けた内容でびっくりした。男女の生態がすこぶる現代的で、日本の小説と言われても通用しそうなくらい。むしろ、同時代の日本より先を行ってるような観さえある。その軽妙さは90年代のジュヴナイル小説みたいだ。田舎者特有の気取りもなく、ごく自然に消費社会を謳歌している。★★★。

ソット・ポーリン「僕に命令しておくれ」(1969)

失業した夫は、妻から命令されることに生き甲斐を感じていた。しかし、そんな彼も妻に愛人ができて捨てられてしまう。

「ねえ、僕をかわいそうに思っておくれよ。僕を捨てないで。君がいなければ、僕はきっと息絶えて死んでしまうよ。どうか君のパンティーのそばにいさせておくれよ。君がもう僕を夫として必要ないんだったら、どうか雑用係でも使用人としてでもいいからそばにおいておくれよ。君が僕にしたいことはなんでもしておくれ、僕は構わないから。毎日頭をげんこつで殴ろうが、蹴って踏みつけようが、僕は満足だよ。いつも君にお仕えするよ。君が命令しさえすれば、僕はそれに従う。どこかへ行けというなら行く。何かしろというなら、そうする。信じないんだったら、僕に強盗でもから。一言でいいから、思い切って言ってよ。君のために僕は死んでもいいんだ」(p.36)

男根衰退を表した短編。命令を遂行すると何か役に立った気になるという人間心理の欠陥が、女への執着と結びついてえらいことになっている。男の依存っぷりがグロテスクで良い。★★★。

ソット・ポーリン「変わりゆくもの」(1969)

中年の夫が、妻や子供の変貌ぶりに驚く。

「じゃあ、このなんだかわからん女は一体どこから来たんだ。あばずれの雌カバの尻でか女、俺はこんな女なんか知らんぞ。俺が結婚した女は、スタイルがよくて、華奢でこんな女ではなかった」(p.44)

いわゆる「中年の危機」ってやつ。この短編でもかなり誇張された状況を使っている。とにかく夫がバカすぎ。★★。

ソット・ポーリン「おぼしめしのままに」(1969)

妻に捨てられた夫は、いまだ妻にぞっこんだった。愛人に会いに行く妻。それを夫が送り届ける。

男根衰退を表した短編。女に溺れた男の喜劇である。夫はバブル時代の「アッシーくん」「メッシーくん」みたいなものだろうか。男であることの困難を通り越して、何か倒錯した領域にまで入っている。ちょっと谷崎潤一郎っぽい? でも、マゾではなさそうなんだよなあ。★★★★。

クン・スルン「いなびかり」(1972)

囚人が傍にいる女を突き落とそうかと考える。目撃者はいないため、事故として処理されるだろうとの判断だったが……。

サルトル「エロストラート」を踏まえた短編。白日夢のようなめくるめく思考を展開している。カンボジアでもサルトルが読まれていたとは驚きだけど、もともとフランスの植民地だったから何の不思議もないわけだ。★★。

クン・スルン「男嫌い」(1972)

同僚のサヴァン先生が男への嫌悪を語る。

ほとんどが会話文でテンポ良く読ませる。サヴァン先生の頑なさもさることながら、ラストのキレがすごかった。散々まくし立てておいての急転直下である。この結末は意外だった。★★★。

クン・スルン「ソックの家」(1972)

村にいられなくなった男が上京、使用人として金持ちの家を転々とする。

「人生は問題そのものだ、誰もその問題から逃げることはできない。外国では、特にフランスではなんでも学ぶ場所がある……というのは作家はどんな問題にも立ち入ろうとするからだ。……作家の価値というのは、この問題を分析するところにあるのだよ」(p.120)

金持ちの空虚を見届けたのち、精神的充足への手がかりを掴んでいる。学ぶこと・書くことは大切だよと。ガンボジアは貧しい国だけに、教育の重要性が身に染みているようだ。★★★。

クン・スルン「学校」(1972)

幼いころ父を亡くした少年。兄弟が多く、母が一人で切り盛りする家は貧しかった。小学校を卒業後は家業を手伝おうとするも、成績が優秀で次々と進学していく。

自伝的小説。発展途上国のインテリがどのように育まれたのかを確認する意味では興味深いかも。やっぱり教育は大事だねと。★★。

マイ・ソン・ソティアリー「姉さん」(1995)

姉さんからの援助で大学に進学できた「僕」。しかし、その金は売春で得た金だった。それを知った「僕」は怒って文句を言う。

いつか通った道という感じ。日本人からすれば今更な話題も、後進国ではコンテンポラリーだったりするのだろう。こういうのを読むと無性に懐かしさをおぼえる。★★★。

マイ・ソン・ソティアリー「なぜ」(1995)

借金漬けのうえ、両親が喧嘩ばかりしている一家。優等生の「僕」が、弟たちを養うためにバイク強盗団に加わる。

貧すれば鈍するってやつか。ただの強盗ではなく、目撃者を拳銃で殺すという凶悪な集団である。はじめは参加に躊躇していたものの、生活のためにそれが日常となってしまう。特筆すべきは、被害者のことをまったく考えていないところだ。土壇場になっても、弟たちへの「愛」が罪悪感を打ち消している。人は大義名分さえあれば殺人も厭わない。★★★。

マウ・ソムナーン「黒い海」(1998)

不良少年が道を走っていたバイクを引き留め、強引に盗んでいく。被害者の女に見覚えが。彼女は、少年の異母兄の恋人だった。

もちろん社会も悪いのであろう。だが一番大切なのは家庭での教育だ。子どもにとって家庭が最も重要な教育の場であり、それによって子どもは次世代を担う良き国民、国家の堅固な柱となっていくのだ。(p.193)

説教臭い文言が地の文(三人称)に入っているので訝しんでいたら、本作は若者を啓発する目的で書かれたという。メッセージを込めるのは良いとしても、それを直に説明しちゃいかんでしょうに。★★。

ソティー「英雄の像」(1999)

英雄の像と、それを支える台座。2つは同じ石から作られていた。多くの民衆が毎日毎日像を崇めている。それに奢った像は、台座にも自分を崇めるよう求めるのだった。

機知に富んだ寓話。英雄の像はもちろんポル・ポトのことで、石ならではのけっこうなオチがついている。これ、「笑点」だったら間違いなく座布団がもらえるね。★★★。

ソティー「退屈な日曜日」(1999)

郊外に居を構える男。彼はポル・ポト時代の教訓から、他者に対して寛容であろうとしていた。しかし、些細なことで家族に当たってしまう。その後、庭に泥棒が入り……。

このソティーという人は、比較的洗練された小説を書いていると思う。パーツを無理なく使っているというか。今度は長めの短編を読んでみたい。★★★。

>>アジアの現代文芸

2010.1.20 (Wed)

コーマック・マッカーシー『ブラッド・メリディアン』(1985)

ブラッド・メリディアン(110x160)

★★★★★
Blood Meridian / Cormac MaCarthy
黒原敏行 訳 / 早川書房 / 2009.12
ISBN 978-4152090935 【Amazon

19世紀半ばのアメリカ西部。14歳の少年が出奔し、巡り巡って非正規のインディアン討伐隊に入隊する。異相の「判事」が参謀役を務めるその隊は、インディアンを殺戮して頭皮を狩ることを目的にしていた。

戦争が究極の遊技だというのは要するに存在の統合を強いるものだからだ。戦争は神だ。(p.317)

血も涙もない殺戮行を神話的な筆致で綴った傑作。読点による切れ目がなく描写は即物的で会話と地の文の区別がないまるで世界全体を統合したような超絶文章が味わえる(←真似してみた)。話は荒涼とした大地にふさわしい渇ききった内容で、他者への確信犯的な暴力、自らを神と認じながらの暴力は、実存主義的でさえある。マッカーシーは『すべての美しい馬』全米図書賞全米批評家協会賞を、『ザ・ロード』ピュリッツァー賞を受賞した三冠王だけど、この小説が無冠なのがちょっと信じられない。

訳者あとがきでは、『闇の奥』【Amazon】とともに『白鯨』が引き合いに出されている。しかし本作を『白鯨』にたとえるなら、「判事」は白鯨ではなく、己の神格化を目指したエイハブに相当するんじゃなかろうか。宇宙の中心で自我を肥大化させた獣、みたいな存在なのである。そのうち、「俺は人間をやめるぞ! 小僧ーぉ!!」と叫び出すんじゃないかと思った。

>>Author - コーマック・マッカーシー