2010.1c / Pulp Literature

2010.1.21 (Thu)

トーマス・C・フォスター『大学教授のように小説を読む方法』(2003)

大学教授のように小説を読む方法(113x160)

★★★★
How to Read Literature Like a Professor / Thomas C. Foster
矢倉尚子 訳 / 白水社 / 2009.12
ISBN 978-4560080399 【Amazon

文学部的読み方の指南本。西洋文学を対象に、象徴やパターンなど、文学作品に織り込まれたコードを解説している。

私が言いたいのは、文学の文法、伝統的手法やパターン、コードと法則などで、私たちはみな、作品を読むにあたってこれらを適用することを学んでいく。どんな言語にも、用法と意味を支配するルールとしての文法があり、文学言語も例外ではない。それは言葉そのものと同様、多分に恣意的である。(p.11)

これは刺激的だった。水に濡れるとか、食事をするとか、病気になるとか、そういうのにはだいたい裏の意味づけがなされていて、テクストを重層的にしている。ヴィクトリア朝の作家はタブーで雁字搦めにされていたから、それらを幽霊や吸血鬼に昇華する必要があった。また、『闇の奥』【Amazon】などで登場人物を南に行かせるのは剥き出しの深層意識に直面させるためだし、ジョイスの短編に出てくる「麻痺」は因習と宗教に縛られるダブリンの実情を反映している。さらに、西洋文学では聖書・シェイクスピア・ギリシア神話が重要な位置を占めており、それら「伝統」を知らないと片手落ちの解釈になってしまう。文学の魅力はテクストの重層性だ。作品を芯から味わうには、文学部的な知識とそれを応用する想像力が必要になる。

以下、ガブリエル・ガルシア=マルケス「大きな翼のある、ひどく年とった男」(『エレンディラ』所収)について。

あるレベルでこの物語は、万一キリストの再臨が実現したとして、私たちははたしてそれに気づくことができるのだろうかと問いかけている。かつて救い主が現われたとき気づいた者がほとんどいなかったことも思い出すだろう。キリストがキリストには見えなかったこと、すくなくともヘブライ人が期待していたような軍の統率者としては現われなかったのと同じように、この天使も天使に見えない。(p.148)

続いて、トニ・モリスン『ソロモンの歌』【Amazon】について。

ミルクマンは一家のルーツとともに、それまでは無縁だった責任感や正義感、償いの気持ち、心の広さなどを見出す。旅の途中で、彼を現代世界に結びつけていたもの──シボレー、高級服、時計、革靴──などをことごとく失ってしまうのだが、それはミルクマンが真実の価値を買い取るための貨幣だった。あるとき彼は、土とじかに触れていた(地べたにすわりこんで木の幹にもたれていた)おかげで研ぎ澄まされた直感に助けられ、からくも命拾いする。彼を殺しに来た男の動きに気づき、間一髪で攻撃をかわすのだ。もし慣れ親しんだ地理に安穏としていたら、こんなことはけっしてできなかっただろう。家を出て本当の「家」に旅をしたことで初めて、ミルクマンは真の自我を見出したのだ。(p.188)

こういうのを読むと、文学部的な取り組みも確かに重要なんだなと思う。ニッポンの批評は牽強付会の言葉遊びばかりだからねえ……。

2010.1.27 (Wed)

オマル・ハイヤーム『ルバイヤート』(1130?)

ルバイヤート(114x160)

★★★
Rubaiyat / Umar Khaiyam
小川亮作 訳 / 岩波文庫 / 1979.1
ISBN 978-4003278314 【Amazon

詩集。四行詩・全143首を、「解き得ぬ謎」、「生きのなやみ」、「太初のさだめ」、「万物流転」、「無常の車」、「ままよ、どうあろうと」、「むなしさよ」、「一瞬をいかせ」の8部に分類している。

なにびとも楽土や煉獄を見ていない、
あの世から帰って来たという人はない。
われらのねがいやおそれもそれではなく、
ただこの命──消えて名前しかとどめない! (p.73)

酒をのめ、それこそ永遠の生命だ、
また青春の唯一の効果だ。
花と酒、君も浮かれる春の季節に、
たのしめ一瞬を、それこそ真の人生だ! (p.101)

今回読んだのは岩波文庫のワイド版【Amazon】。この世には天国も地獄もねー、浮世は死ぬほどつらいけど、酒をかっくらって今をエンジョイしようぜ! みたいなロックな思想を謳っている。

詩の良し悪しについてはよく分からないのだけど、この時代の、しかも中東というファナティックな地域で、こんなはっちゃけたことを言っているのに驚いた。異端思想を言葉に遺す根性(見つかったら命はないだろう)もさることながら、宗教の暗闇から抜け出す聡明な頭脳に感心する。タイムマシンで現代に引っ張ってきてやりたいくらいだ。

2010.1.31 (Sun)

森功『黒い看護婦―福岡四人組保険金連続殺人』(2004)

黒い看護婦(112x160)

★★★
新潮文庫 / 2007.6
ISBN 978-4101320519 【Amazon

久留米看護師連続保険金殺人事件を扱ったルポルタージュ。中年の看護師・吉田純子は、同僚への詐欺で金を得ていた。その後、3人の看護師仲間とともに2件の保険金殺人に手を染める。強欲で虚栄心の強い吉田は、他の3人に君臨する女王みたいな存在だった。

医療知識を駆使した殺人がショッキングで、その様子を再現したくだりはおぞましさの極地だ。ターゲットを睡眠薬で昏睡状態にし、鼻からマーゲンチューブを挿入、聴診器で心音を聞きながらウイスキーを流し込む。ほどよく衰弱した1時間後、静脈に空気を注射してとどめを刺し、アル中で死んだように見せかけた。さらに、もう一つの殺人ではカリウム製剤を用意し、心臓麻痺に見せかけようとしている。しかし、結局これは失敗。後日ターゲットが泥酔中のところをこれまた空気を注射して殺害した。

こういうことを冷静に実行しているのが怖すぎである。しかも、殺人自体は完全犯罪であり、仲間割れさえなければ事件は発覚しなかった。人を助ける技術というのは、そのまま人を殺す技術に転用できる。ナースが殺し屋として暗躍する『屍蘭』はあながち荒唐無稽ではない。手段に通じている(凶器も手に入りやすい)うえ、日常的に死を目の当たりにしているから根性もすわっている。

興味深いのは、犯行メンバーの1人が「同性愛(女同士の性行為)で妊娠した」という嘘を信じていたところだ。主犯格の吉田が、相手をコントロールするために妊娠したふりをしている。ナースとは科学の申し子であるはずだから、このようなニセ科学に騙されるとは何とも奇妙である。しかし、彼らは職業柄生命の不思議に直面することが多いため、明らかな与太話でもつい信じてしまうことがあるという。これは理系のエリートたちがオウムにはまったのと同じカラクリだろうか。『ナース』というお馬鹿小説にあった、「死人が生きているのは当たり前」という感覚も、実は当を得ていたのかもしれない。

忘年会ではナースたちがビキニ姿でラインダンスする、みたいなことがさりげなく書いてある。

一応フォローしておくならば、ナースによる殺人というよりは、殺人者がたまたまナースだったというほうが実態に近い。本書を読んでナース恐怖症になるのは早計である。