2010.2c / Pulp Literature

2010.2.26 (Fri)

デニス・ジョンソン『煙の樹』(2007)

煙の樹(111x160)

★★★
Tree of Smoke / Denis Johnson
藤井光 訳 / 白水社 / 2010.2 / 全米図書賞
ISBN 978-4560090077 【Amazon

ベトナム戦争。CIAの「スキップ」ことウィリアム・サンズには、フランシス・サンズ大佐という伝説的な叔父がいた。スキップは彼のもとで、謎の情報作戦「煙の樹」に従事する。

「この世紀の過ちの半分はフロイトのせいだよ」
「あら本当? もう半分は?」
「カール・マルクス」 (p.91)

いかにもアメリカって感じのメガノベルだった。2段組み650ページ、弁当箱みたいな厚さである。ストーリーは陰謀を軸としながらも、ただそれだけの話というわけではない。兵士やその家族、果てはベトコンや民間人にスポットを当て、戦争がもたらす喜劇じみた狂気を膨らませている。戦闘そのものは1?2度くらいしかないのだけど、随所に凄惨な暴力が横たわっており、さらには戦争の亡霊じみた引力が充満している。家族をひとつのキーワードにしているところがアメリカらしいだろうか。同じ全米図書賞/同じメガノベルということで、ジョナサン・フランゼン(『コレクションズ』)が褒めるのも納得できる。

正直、ベトナム戦争映画のパッチワーク(『地獄の黙示録』【Amazon】『ディア・ハンター』【Amazon】『フルメタル・ジャケット』【Amazon】など)という気がしないでもない。ただ、さすが『ジーザス・サン』の作者だけあって、ビョーキな場面はそれらを凌駕していると思う。

>>エクス・リブリス

2010.2.28 (Sun)

スティーヴ・エリクソン『エクスタシーの湖』(2005)

エクスタシーの湖(113x160)

★★★★
Our Ecstatic Days / Steve Erickson
越川芳明 訳 / 筑摩書房 / 2009.11
ISBN 978-4480832023 【Amazon

無事息子を出産し、混沌の20世紀を乗り越えたクリスティンは、ロサンジェルスに突如出現した謎の湖に対処しようと、息子をゴンドラに乗せて湖の真ん中に置き去りにする。しかし、息子はゴンドラの縁を乗り越えて湖に呑まれてしまった。2017年、失意のクリスティンは名前を変え、SMの女王様として湖畔を守っている……。

『真夜中に海がやってきた』の続編。今回は子供をめぐる悔恨の物語だった。「子宮」とか「羊水」とか「産道(うんが)」とか、あるいは「月経の血に染まった夕暮れ」とか「排卵期の月の光」とか、全体が妊娠・出産のメタファーに彩られている。“女”に寄り添った感覚描写はかなり大胆で、子宮に生命を宿す存在としてある種の迫力を帯びている。なるほど、子供を産むとはこういうことなのか……。何となく勘違いの匂いもするけれど、とにかく“女”を真っ向から描いているのには変わりない。出産経験のある女性がどう思うのか気になるところだ。

序盤はクリスティンがいつもの深刻な語り口でなぜか親バカぶりを発揮していたから、これはいったい何なんだと首を傾げていたら、期待に違わずやってくれた。すなわち、超常的な湖による圧倒的な喪失である。これを原因に語りが分裂し、メインのほか見開きに1行の割合で別の語りが貫通している。書籍本体にはスピン(ひも状の栞)が2本ついていて、両方の筋が追えるようなサービスぶり。世界を作り替えるほどに肥大した自我が、説得力のある形で表れている。

むせかえるようなメタファーの嵐とグラフィカルな文章の奔流が、中二病的な新世紀のヴィジョンを否応なく喚起していて、この作風はとても貴重だと思う。記録(文学史)には残らないが記憶には残るというか。今回はSFとSMのコラボレーションが肝のようで、分裂した語りがSFちっくに合流するところはいつになく強烈だ。きっちりとまとめあげたラストは息を呑むほどの美しさである。これはもう現代文学の極北と言って良いかもしれない。

>>Author - スティーヴ・エリクソン