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- 04 : 今泉文子編『ドイツ幻想小説傑作選』(2010)
- 08 : ナム・リー『ボート』(2008)
2010.3.4 (Thu)
▲今泉文子編『ドイツ幻想小説傑作選』(2010)

★★★
今泉文子 訳 / ちくま文庫 / 2010.2
ISBN 978-4480426659 【Amazon】
「石の夢・異界の女」をテーマにしたメルヒェン集。ルートヴィヒ・ティーク「金髪のエックベルト」、アーデルベルト・フォン・シャミッソー「アーデルベルトの寓話」、アーヒム・フォン・アルニム「アラビアの女予言者 メリュック・マリア・ブランヴィル」、ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ「大理石像」、E・T・A・ホフマン「ファールンの鉱山」の5編。
ドイツ・ロマン派の入門書として良いかも。訳者による解説が充実している。
以下、各短編について。
ルートヴィヒ・ティーク「金髪のエックベルト」(1796)"Der blonde Eckbert"
金髪のエックベルトは40歳の騎士。妻とお城で暮らしている。彼は親友のヴァルターに秘密を明かしたいと思い、妻の不思議な話を聞かせる。
妻は少女時代に虐待から逃れて家出をし、森で怪しい老女と遭遇、人里離れた老女の家で一緒に暮らすようになる。幸福な生活もつかの間、童話ちっくな“選択”によって事態は急変し、現在にまで因果が巡っていく。
人間というものは、友人に対して秘密をもっていると、それまでは細心の注意をはらって隠しておいたにしても、そのうちなにがなし不安になるときがやってきて、すべてを打ち明け、友に心の奥底まで開いて見せ、それでもっていっそう親密な友人になってもらいたいという抑えがたい衝動を、胸の内に感じるものである。(p.8-9)
それでまあ、この展開は想像もつかなかった。グリム童話のようなメルヒェンから始まって、最後は『オイディプス王』レベルの神話にまで達している。解説によると、産業革命によって人間は孤独な<個>になり、それがゆえに恋愛・友情を真剣に求めるようになったという。エックベルトの病的な振る舞いには時代が反映しているわけだ。これは現代の恋愛至上主義にまで繋がる、なかなか厄介な問題だと思う。★★★★。
アーデルベルト・フォン・シャミッソー「アーデルベルトの寓話」(1806)"Adelberts Fabel"
旅に出ようとしたアーデルベルトが目を覚ますと、氷に捕らえられて身動きできなくなっていた。彼はその運命を受け入れ、やがて力強く乗り越えていく。
どうってことのない寓話。ロマン派っぽいイマジネーションと、力への意志を漲らせたドイツ情緒(←偏見)が印象的である。さすがニーチェを生んだ国だ。★★。
アーヒム・フォン・アルニム「アラビアの女予言者 メリュック・マリア・ブランヴィル」(1812)"Meluick Maria Blainville, die Hausprophentin aus Arabien"
アラビア出身の女メリュックは、その美貌と能力で街中の評判だった。彼女は修道院を抜けた後、女優に転身して成功を収める。さらに魔女としての力を発揮し、婚約者のいる騎士と不倫関係になるのだった。
昔の物語は短編でも波瀾万丈だったりするから面白い。序盤・中盤・終盤とそれぞれトーンが違っていて、『千夜一夜物語』みたいな味わいがある。三角関係から革命に巻き込まれる展開なんか想像もつかないよ。どうやって物語を組み立てているのだろう?
涙によって聖別された上着や、命を吹き込まれた人形など、日常から逸脱した道具立てが魅力的。恐ろしさとわくわく感がほどよくブレンドされている。歪な物語構造も面白いし、これだからメルヒェンは止められない。★★★★。
ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ「大理石像」(1817)"Das Marmorbild"
貴族の若者が著名な吟遊詩人と知り合いになる。その後、ウェヌス(ヴィーナス)像に似た貴婦人に魅せられ、幻想の世界に足を踏み入れる。
だれもがわたくしを、以前に一度見たことがある、と思うのです。そのわけは、わたくしの面影が、たぶんすべての若い人の夢のなかに、おぼろに萌しては、花と咲くからでしょう。(p.191-2)
迷える若者の前に、あちら側の存在が具体的な質量をもって現れる。その冷たい存在感とカタストロフにぞくぞくする。あと、陽気な吟遊詩人と不気味な騎士という脇役陣も鮮やかだ。光と影があって、若者は光の道を歩むことになる。★★★。
E・T・A・ホフマン「ファールンの鉱山」(1819)"Die Bergwerke zu Falun"
人生にうんざりした若き船乗りが、幻視的体験(美女絡み)を経て鉱夫になる。
鉱山を地獄と比するところがロマン派のロマン派たる所以なんだろうか。地上と地底の対比があり、美女と亡霊の組み合わせがある。そして、これらは若者の内面と密接に関わっている。50年を経た恋愛の顛末がロマンチックで、ラストはなかなか様になっていると思う。★★★。
2010.3.8 (Mon)
▲ナム・リー『ボート』(2008)

★★★
The Boat / Nam Le
小川高義 訳 / 新潮クレスト・ブックス / 2010.1
ISBN 978-4105900809 【Amazon】
短編集。「愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲」、「カルタヘナ」、「エリーゼに会う」、「ハーフリード湾」、「ヒロシマ」、「テヘラン・コーリング」、「ボート」の7編。
著者はベトナム生まれ。生後3ヶ月で両親とボートピープルになってオーストラリアに移住している。今どきの作家らしく創作科出身で、新人のわりにはそこそこ上手い。また、創作科のわりには思ったほど嫌味もなく、鼻につくフレーズがわずかにある程度だった。
以下、各短編について。
「愛と名誉と憐れみと誇りと同情と犠牲」"Love and Honor and Pity and Pride and Compassion and Sacrifice"
アイオワの大学で創作を学んでいるベトナム系の青年。彼のもとにオーストラリアから父がやってきた。父は若い頃、ベトナムの政変で大変な目に遭っている。締切間際になっても小説が書けない青年は、最後の手段として父の人生を題材にする。
「おまえなんか、ベトナムを搾りつくせばいいじゃないか。ところが、よりによって、レズビアンの吸血鬼とか、コロンビアの暗殺犯とか、ヒロシマの孤児とか──痔を患ったニューヨークの画家なんてものを書いている」(p.15)
実際、本書は世界を股に掛けた作品集になっていて、この短編はプロローグの役割も果たしている。昨今のエスニックブームを自覚的に扱っているのには驚いた。確かにエスニックは鉱脈とはいえ、いつまでもそればっかりでは進歩ないもんねえ。赤ん坊が乳離れをするように、エスニックの作家はエスニックを離れていくべきなのだろう。マイノリティ面して小銭を稼ぐ時代は終わったのかもしれない。
親子といっても所詮は他人である。“記憶”についてもそれぞれ心理的距離が異なっており、息子の作品が不器用な2人のすれ違いを鮮明にしている。もともと見えているものが違う彼ら──というか、親子とはそういうものだろう──だけど、それにしても勝手に作品を燃やすとはひどいな! これってたぶん卒業制作みたいなもので、提出しないと娑婆に出られないんじゃないの? 小市民的観点からするとちょっと残酷だ。★★★★。
「カルタヘナ」"Cartagena"
コロンビア。14歳の少年は、「神父」と呼ばれるギャングのもとで殺し屋をしていた。任務に失敗した少年は、「神父」に呼び出されて初めて顔を合わせることになる。
意外とまっとうなハードボイルドだった。少年の語りには喜怒哀楽が欠落していて、その落ち着きぶりはとても14歳には思えない。一人称が「俺」のせいか、かなりおっさんがかっている。★★★★。
「エリーゼに会う」"Meeting Elise"
ニューヨーク。初老の画家はさいきん仕事が手に付かず、痔を患って通院している。彼には赤ん坊のとき以来会っていない娘がいた。成長した娘はロシアでチェリストとなって現在訪米している。2人は会う約束をしていたが……。
『大学教授のように小説を読む方法』によると、文学における病気にはたいてい裏の意味があるそうで、本作も人格の欠陥なり人生の黄昏なりが結びつけられている。心臓病ではわざとらしいから痔にしたのかな。痔だったら癌にまで持っていけるし。
娘と別れた原因は画家の浮気である。しかし、現在その相手は死にかけており、幻影として過去がオーバーラップしている。★★★★。
「ハーフリード湾」"Halfead Bay"
オーストラリア。高校生のジェレミーは、フットボールの試合で点を入れて一躍校内の英雄になった。同級生の気になる女とお近づきになるジェレミーだったが、彼女にはドリーというサイコ野郎がくっついている。ドリーは中国人の女を殴り殺していた。また、ジェレミーの母は不治の病に冒されており、一家は近日中の引っ越しを検討している。
昭和の青春漫画みたいだった。地方の港町はどこもこんなものなのだろう。親父に魚釣りを教わったり、女関係でガキ大将に目をつけられたり。高度経済成長期の「少年ジャンプ」を思わせる懐かしい風景である(よく分からんけど)。★★★。
「ヒロシマ」"Hiroshima"
太平洋戦争末期のヒロシマ。そこに住む子供たちを描く。欲しがりません、勝つまでは!
当時のクリシェを無理に詰め込んだ何とも奇怪な小説。勉強の跡は窺えるものの、紋切り型がしつこくて読むに耐えない。これは「擬似的な空間」以前の問題だ。『ナンバー9ドリーム』がいかに素晴らしかったかが思い出される。★★。
「テヘラン・コーリング」"Tehran Calling"
傷心のサラが、友人が活動しているイランに入る。友人は「テヘラン・コーリング」という違法なラジオ放送をしていた。さらに、女性解放を題材にした劇の上映を計画している。
わざわざイランを持ってくる必要ってあったのかな。エスニックはエスニックに留まったほうが幸せなのではなかろうか。イスラームという特殊な世界だけに、創作科の課題みたいな軽さが気になる。いや、外に出ようという志は買うのだけど。
「心が破れた」とか「心が裂けた」とか陳腐なフレーズが引っ掛かる。といっても、これはフレーズそのものの問題ではない。周囲の文章に強度がないため、浮いた表現を支えきれていないのである。★★★。
「ボート」"The Boat"
ベトナムからオーストラリアへ向かう難民船。それに乗り込んだ少女が若い母子と出会う。少女は子供に懐かれるも、子供は間もなく具合が悪くなるのだった。
終わってみれば、7編中3編に病気ネタが使われていた。★★★。