2010.4c / Pulp Literature

2010.4.22 (Thu)

松浦晋也『増補 スペースシャトルの落日』(2005,10)

増補 スペースシャトルの落日(114x160)

★★★★
ちくま文庫 / 2010.3
ISBN 978-4480426895 【Amazon

チャレンジャーとコロンビアの事故を起点に、スペースシャトルの問題点を指摘している。また、ポスト・スペースシャトル時代に向けて民間企業の活躍に期待している。

スペースシャトルは今年の秋に退役が予定されており、30年の歴史に幕を閉じることになる。今後、NASAはロケットを飛ばしていくという。

スペースシャトルの駄目っぷりを詳しく解説している。まず設計で欲張りすぎたのがまずかったようだ。荷物と人を一緒に運ぶのは効率が悪いし、翼は活用できる時間が短くて邪魔なだけ。重量もやたらとあって莫大なコストがかかっている。と、このような中途半端なコンセプトのほか、政府から早く飛ばすよう圧力があって安全面も配慮されていなかった。NASAの杜撰な体制がチャレンジャーとコロンビアの事故に繋がり、これによって国際宇宙ステーション(ISS)の開発が大幅に遅れている。本書は組織運営の普遍的な問題を明らかにしていて、プロジェクトが失敗するひとつの例として参考になる。

ISSのコストパフォーマンスはどうなんだろうか。日本が担当したモジュール「きぼう」は、開発に7225億円かかっており、運用には年間400億円を必要としている。耐用年数もそれほど長くはなく、だいたい「10年以上」を目安にしているそうだ。こういうのは技術の発展・維持が目的だから、金額をあげつらうことに意味はないのかもしれない。とはいえ、けっこうなお値段であることも事実なので、ちゃんと費用に見合った効果があるのかは気になる。

解説はホリエモン。堀江敏幸ではなく堀江貴文である。

2010.4.26 (Mon)

マルカム・ラウリー『火山の下』(1947)

火山の下(109x160)

★★★★★
Under the Volcano / Malcolm Lowry
斉藤兆史 監訳 / 渡辺暁 山崎暁子 訳 / 白水社 / 2010.3
ISBN 978-4560099018 【Amazon

1938年11月2日。メキシコのクワウナワクに駐在するイギリス人領事ジェフリーは、アル中が原因で妻のイヴォンヌに去られ、相も変わらず飲んだくれていた。「死者の日」を祝うその日、突然イヴォンヌが帰ってくる。2人は寄りを戻そうとするも戻らない。ぎくしゃくしたまま運命の時を迎える。

旧訳『活火山の下』は長らく絶版で入手困難だった本。原書は英語圏のランキングにたびたび登場し、日本では「幻の傑作」と喧伝されていた。それが今回新訳になって帰ってきたわけである。どんなものだろうか? と半信半疑でとりかかったら、これが予想以上にすごかった。一口に言えば、コンラッドとジョイスの血脈を受け継いだ英文学の代表選手という感じ。芸術としての価値はもちろん高いし、読んでいて面白い本でもある。

文学的なディテールと運命的なストーリーが高いレベルで調和している。時は1938年「死者の日」。動乱の匂い漂うメキシコは、コンラッドのアフリカとまではいかないものの、同時代のインドくらいにはバーバラスで、作中ではところどころスペイン語が混じっている。イギリスとは既に国交を断絶しており、官憲はまったく当てにならないどころか、むしろ危険でさえあった。不穏な空気が白人たちの意識を刺激し、回想という形で各人のままならない人生──ジェフリーは妻への愛憎に胸を焦がし、弟は器用貧乏な自らの半生を振り返り、イヴォンヌは夫への届かない想いを抱いている──が浮上する。そして、無難に通り過ぎるはずだった一日に、不吉な馬(*1)が死兆星のように現れ、最後は夫婦のすれ違いが皮肉な姿で明らかになる。切れた糸は繋がろうとしても繋がらない。この小説は「意識の流れ」や象徴的な道具を効果的に使っていて、宇宙へと突き抜けたクライマックス(マジで宇宙が出てくる)は何とも形容しがたいインパクトだ。さらに、それを受けた最終章も儚く、後戻りできない「壁」というのを強く感じさせる。愛と破滅を一日に凝縮した、非常に濃い小説だった。

*1: 7の焼印の入った馬。

2010.4.28 (Wed)

『名探偵ポワロ 完全版 Vol.8』(1990/英)

名探偵ポワロ 全巻DVD-SET(153x160)

★★★★
Agatha Christie: Poirot
デビッド・スーシェ / ヒュー・フレイザー / フィリップ・ジャクソン / ポーリン・モラン / アマンダ・ウォーカー / メル・マーティン
ハピネット・ピクチャーズ
DVD-SET2 【Amazon】 / 全巻DVD-SET(32枚組) 【Amazon

「コーンワルの毒殺事件」、「ダベンハイム失そう事件」の2編。

Vol.7の続き。

第14話「コーンワルの毒殺事件」"The Cornish Mystery"

田舎住まいの夫人は夫からの毒殺を恐れていた。翌日、ポワロたちは汽車に乗ってその家を訪ねる。しかし、夫人は既に死んでいた。

この回はいまいちだったかな。証拠がないから犯人を脅して供述書(ポワロが書いた)にサインさせるのだけど、別に犯人はサインする必要なかったんだよね。だって証拠がないわけだし。たとえ命の危険を示唆されたとしても、さらにポワロの推理が真実だったとしても、そのままシラを切っていればよかった。そもそも、脅されてサインした供述書に証拠能力はあるのだろうか? 後から否定されたら無効になるんじゃなかろうか? あれだけの知能犯ならその陥穽に気づいてもおかしくないはずである。事件のメカニズムは悪くない(*1)だけに、筋書きの不徹底さが引っ掛かった。

ヘイスティングスがヨガで内臓の調子を整えている。さすがインド帰りだけあって、東洋の文化に親しんでいるようだ。ライス好きの彼は、美食家のポワロから悪食を窘められている。

第15話「ダベンハイム失そう事件」"The Disappearance of Mr. Davenheim"

家を出た銀行家がそのまま失踪した。状況から彼の商売敵が疑われる。

ポワロ、ヘイスティングス、ジャップ警部が、仲良くマジックショーを鑑賞している。人体消失に目を丸くするジャップ。何とか説明をつけようとするポワロ。ふつう探偵と警部といったら事件絡みでしか顔を合わせないのに、彼らときたらプライベートでも付き合いがあるのだから微笑ましい。しかも、この回のポワロは手作り料理まで振る舞っている。肉を切り分ける仕草が実にはまっていた。

自動車レースの場面で一部レトロなニュース映像になるのが良かった。目の粗い白黒とぎこちないコマ送り。アナウンサーは独特の強いアクセントでしゃべっている。思えば、我々はこの時代をモノクロのざらついた映像でしか知らないのだった。そうか、資料的には本来こっちなんだなあ。ポワロもヘイスティングスも実は白黒世界の人。ドラマがカラーなだけに不思議な気分になる。

亡命ベルギー人のポワロは、その異邦人ぶりを攻撃されることが少なくない。前回はメイドに「外国人」呼ばわりされ、この回では犯人に「ベルギー野郎」と罵られている。相手が相手だけにポワロは苦笑するしかないのだった。

>>Vol.9

>>『名探偵ポワロ 完全版』

*1: たとえば、医者の無能さがレッド・ヘリングになるところが良い。あれだけ胃炎に拘っていたのは、犯行に荷担していたからではなく、単に藪医者だったからなのだ。

2010.4.30 (Fri)

デイヴィッド・ロッジ『ベイツ教授の受難』(2008)

ベイツ教授の受難(110x160)

★★★★
Deaf Sentence / David Lodge
高儀進 訳 / 白水社 / 2010.3
ISBN 978-4560080559 【Amazon

退職した言語学者ベイツ教授は、難聴で不便な生活を強いられていた。そんななか、ある女子学生の博士論文を手伝うことになる。テーマは「遺書の文体解析」。ところが、彼女はイカれた自己中女だった。平穏な日常が危機に晒されることになる。

ウェルメイドな文芸作品だった。プッツン女とのいざこざや頑固な父親との関わりなど、難聴者の困難をユーモラスに描きつつ、「死」という厳粛なテーマを餃子のように包んでいる。しんみりくる筋運びでありながらも決して感傷的にならない。楽しさと悲しさが半々くらいにブレンドされている。終盤も意外とあっさりしていて、こういうのを職人芸と言うのだろう。老衰の先、あるいは絶望の行き着く先としての「死」。傑作になりそうな素材を敢えて傑作にしないところに潔さを感じる。

著者はアウシュヴィッツを思いついた時点で勝利を確信したに違いない。「遺書の文体解析」という奇妙な状況から、自殺サイトの悪趣味ぶりを経由し、処刑された人たちの切実な感情に繋いでいる。遺書とは何か? 遺書というのは読まれることを願っている。自殺も他殺もその点では一致しており、死の宝庫アウシュヴィッツには各々の無念が残されている。ヨーロッパにはこれがあるからずるいよなあ。いや、ずるいとか言っちゃ駄目なんだけど。

惜しむらくはプッツン女の最後だ。あれだけの人材ならもっと山場を作れたはずなのに、結局は腰砕け気味に退場している。何というか、手抜きなのが見え見えなんだよね。目的先行のキャラだけに持て余したのかもしれない。