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2010.10.26 (Tue)
◆『名探偵ポワロ 完全版 Vol.14』(1991/英)

★★★★
Agatha Christie: Poirot
デビッド・スーシェ / ヒュー・フレイザー / フィリップ・ジャクソン / ポーリン・モラン / イアン・マクロック / キカ・マーカム
ハピネット・ピクチャーズ
DVD-SET4 【Amazon】 / 全巻DVD-SET(32枚組) 【Amazon】
「マースドン荘の惨劇」、「二重の手がかり」の2編。
Vol.13の続き。
第25話「マースドン荘の惨劇」"The Tragedy at Marsdon Manor"
マースドン荘では夫人が幽霊に怯えていた。間もなくして、病気だった主が血を吐いて死ぬ。当初は自然死に思われたが……。
この回は導入部が面白かった。殺人事件を解決してくれという手紙を頼りに、郊外まで遙々やってきたポワロとヘイスティングス。ところが、その事件とは現実の事件ではなく、小説に出てくる架空の事件のことだった。依頼人はミステリを書いてはみたものの、犯人が特定できなくて困っているという。
それを聞いたポワロが鬼の形相に。

なんてこった! いつもの温和な表情からは想像もつかない、大魔神のような豹変ぶりである。犯罪者を前にしてもこんな顔はしたことないぞ。鶏を割くのに牛刀を用いるような申し出に、われらが名探偵は怒りを露わにした。
事件のほうはわりとオカルト風味。今回はガスマスクとデスマスクを絡ませているのが巧妙だ。防衛集会で市民たちがフル装備している光景はかなりのインパクトで、戦間期の不安が幽霊の恐怖と結びついている。さりげなく提示される死のイメージが不気味だった。
それにしても、ポワロはかわいいなあ。当初はしょうもない理由で呼び出されたことに腹を立てていたのに、蝋人形館で自分の人形を見つけてからは一転して上機嫌になっている。しかも、その場にヘイスティングスを誘導して自慢しようとさえしているのだから微笑ましい。蝋人形のポワロは実物よりもスマートだった。
第26話「二重の手がかり」"The Double Clue"
貴族を狙った連続宝石盗難事件が発生。捜査に乗り出したポワロが、容疑者の1人である伯爵夫人に一目惚れする。
これはいまいちだった。ポワロが恋をするという前代未聞のエピソードだけど、話が唐突であまり説得力がない。夫人のどこに惚れたのかがよく分からないのである。さらに、尺が短くてダイジェストっぽくなっているから、2人の関係が深まっていくところも素直には受け取れず。相手を欺くために好きなふりをしているのではと勘繰ってしまう。恋愛はプロセスが大事だなと思った。
ベルギー人のポワロとロシア人の夫人、2人の間には亡命者の共感があるのだろう。この部分を前面に出し、プラトニックな友情に抑えておけば様になっていたかもしれない。短編でロマンスをやるのはきつすぎる。
ところで、今回のイニシャルネタは『オリエント急行殺人事件』でも使われていた。さすがに作品数が多いと被っちゃうね。
>>Vol.15へ
2010.10.29 (Fri)
▽吉岡栄一『文芸時評』(2007)

★★★★
彩流社 / 2007.10
ISBN 978-4779112904 【Amazon】
長年にわたって文壇の羅針盤となってきた文芸時評について。村上春樹をめぐる評価を起点に、明治から平成までの歴史を辿っていく。
ジャーナリスティックな労作。充実した内容で読み応えがあった。文芸時評が文壇においてどのような役割を果たしてきたのか、そして、どのような経緯で衰退していったのかを、豊富な資料を駆使してまとめている。
大まかな流れは目次を見れば一目瞭然だと思うので、以下に抜粋しておく。
- 序章 村上春樹『海辺のカフカ』は、なぜ絶賛と酷評に分かれるのか
- 第1章 再び『海辺のカフカ』をめぐって・テクスト論派の批評原理
- 第2章 渡部直己とスガ秀美の文芸時評・仁義なき毒舌批評
- 第3章 嘆きと怒り・福田和也と中上健次の作品の点数化
- 第4章 文芸時評の起源・明治の森鴎外、高山樗牛、田山花袋、正宗白鳥
- 第5章 大正期の文芸時評・佐藤春夫、広津和郎
- 第6章 戦闘的かつ論争的な小林秀雄の登場
- 第7章 非情さの川端康成と正直さの中村光夫の文芸時評
- 第8章 戦前・戦中・戦後にわたる高見順の文芸時評
- 第9章 平野謙・確かな批評眼で戦後の文芸時評を確立
- 第10章 工藤淳の文芸時評・小島信夫、深沢七郎から田中康夫
- 第11章 山本健吉、河上徹太郎、林房雄、大岡昇平の文芸時評
- 第12章 「内部の人間」の秋山駿と「純文学」の奥野健男の文芸時評
- 第13章 アカデミックな川村二郎、篠田一士、菅野昭正の文芸時評
- 第14章 文芸時評の革命者・石川淳と丸谷才一の文芸時評
- 第15章 『朝日新聞』の文芸時評・大岡信、井上ひさし、山崎正和、富岡多恵子
- 第16章 斬新な高橋源一郎と大江健三郎、池澤夏樹の文芸時評
- 第17章 柄谷行人、蓮實重彦、筒井康隆、荒川洋治の文芸時評
- 第18章 明治から平成までの文芸時評の特徴と純文学の衰退
- 終章 客観的な批評は果たして存立するのか
(……)現在の文芸時評や書評という制度のなかでは、明治時代からの伝統であった辛口批評や毒舌批評は影をひそめ、けなす作品を取り上げることはほとんどなく、大抵は好意的な評価が下される作品ばかりになっている。 (p.47)
ひとことで言えば、昔は良かったということかな。良い作品は褒め、悪い作品は貶す。その原則を忠実に守ると、どうしても貶し批評が中心になる(良い作品は滅多に出てこない)。だから昔の文芸時評はほとんどがダメ出しで、作家たちは相撲の稽古場よろしくガチンコでぶつかりあっていた。批評に私的な人間関係を持ち込まず、若手が先輩を可愛がるのも珍しくなかった。文学への愛情と批評家としての矜持が、文壇を自浄作用に導いていたのである。それが石川淳の登場を境に、ホメ批評が中心になっていく。気に入らない本は黙殺し、気に入った本だけをピックアップするようになる。時代の流れとともに八百長が横行するようになったのだ。批評の衰退は「純文学」の衰退と軌を一にしており、今では権威もへったくれもない。本気で勝負していた時代が忍ばれる。
でも、だからといって辛口が良いってわけでもないんだよね。
(……)メッタ斬り批評や毒舌批評は、うわべは読者の野次馬根性を満足させてくれるようにみえるが、感情をむきだしにした主観的裁断なだけに、公平な作品評価という点では疑問が残らないわけではない(……) (p.305)
特に最近の辛口は、政治的な思惑が透けて見えて信用できない。自分とさして親しくない作家については勢いよく罵倒するものの、親しい作家──またはお近づきになりたい作家──が駄作を出しても批判することはなく、儀礼的無関心を貫くか歯切れの悪い論評に終始するかしている。インターネットの普及によって人脈がますます重要となった現代、人間関係が網の目のように繋がる現代において、常に公平であるのは難しいのだろう。叩いていい作家は叩き、叩いてはいけない作家は叩かない。全方位的な毒舌はもはや望めない状況になっている。
2010.10.31 (Sun)
▲マリオ・バルガス=リョサ『フリアとシナリオライター』(1977)

★★★
La Tia Julia Y El Escribidor / Mario Vargas Llosa
野谷文昭 訳 / 国書刊行会 / 2004.5
ISBN 978-4336035981 【Amazon】
作家志望の「僕」はろくに授業を受けず、ペルーのラジオ局でニュース記事を書いていた。そんなある日、ボリビアから人気シナリオライターがやってくる。彼は人間離れした才能の持ち主だった。さらに、ボリビアからバツイチのフリア叔母さんが登場、「僕」は彼女に一目惚れする。
たくさんの物語が詰まったお得な青春小説。「僕」の日常と交互して、手に汗握るラジオドラマが展開する。「僕」とフリア伯母さんは、大澄賢也と小柳ルミ子ほどの年齢差があり、当時のペルーでは禁断の恋だった。父にバレたら殺されるかもしれない。と、そういう熱に浮かされた恋愛がある一方、職場では人気シナリオライターが健筆をふるっており、彼のキチガイじみた変人ぶりが「僕」を圧倒し続けている。そして、「僕」の慌ただしい生活を象徴するかのように、ラジオドラマも奇妙なほうへねじれていく。混沌としたドラマが雪崩のように崩れるところはいかにも昔の小説という感じ。青春期の狂騒とぴったりマッチしている。
しかし、終盤は一気に賢者モードへ。「僕」はあれだけ懸命にフリア叔母さんを求めていたのに、結局は離婚しているのだからタチが悪い。年齢差を考えれば長続きしないのは分かっていたのに、一時の感情に任せて強引に事を進めている。ホント、男ってやつはどうしようもねーなー。30代といえば女盛りの時期だぞ。慰謝料はたんまり払ったんだろうか? 世の女子たちは拳を上げて怒っておくべき。
それにしても、南米っていうのはどこも似たようなイメージがある。渇いた大地があって、精悍な混血児たちがいて、先祖伝来の逸話とキリスト教の奇跡がごろごろ転がっている、前世紀の残り香のような国。ブラジルやアルゼンチンはともかく、ボリビア・コロンビア・ペルーあたりはほとんど区別がつかない。確かボリビアにはシモン・ボリバルがいて、コロンビアには麻薬密売組織が、そして、ペルーにはあのお方(世界中の男性に愛されているらしい)が君臨してるんだっけか。これはちょっと勉強し直したほうがいいかもしれん。
>>文学の冒険