2009.7.4 (Sat)
■THE HIGH-LOWS『flip flop 2』(2003)

ユニバーサルJ / 2003.11
ASIN B0000CD7SQ 【Amazon】
別ヴァージョンやカップリングなど、アルバム未収録曲を集めている。範囲は、『Relaxin’ WITH THE HIGH-LOWS』(2000)から『angel beetle』(2002)まで。2枚組・全28曲。
前作『flip flop』に比べると、お値打ち感は格段に低くなっている。埋め草用のモノラル音源が多いし、リミックスは一部を除いて原曲と大差ない。もうちょっと弾が揃ってから出しても遅くなかったろうにと思う。
「タンポポ」は元の曲よりだんぜん格好いい。イントロのベースソロから痺れたよ。あと、「青春」もこっちのほうがいい。スローテンポのやさしい歌い方がしんみりくる。
Nancy Mixは、全体的に音の粒立ちが良くなったような印象。「Too Late To Die」なんかはキーボードが際立っている。といっても、実は原曲と聴き比べないかぎり、はっきりとは違いが分からない。最初に単品で聴いたときは、「そのまんまじゃん!」と思ってしまった。リミックスというよりはリマスタリングに近いかもしれない。
「ジェリーロール」ではマーシーがヴォーカルを務めている。
Disc 1
- 魔羅 '69
- 不死身の花 69 Mix
- タンポポ hang on version
- ユーのカー
- 青春 lunch time version
- 十四才 [SINGLE EDIT]
- フルコート
- よろこびの歌 [Nancy Mix]
- 天国野郎ナンバーワン [Live Version]
- いかすぜOK [Radio Edit]
- いかすぜOK
- 迷路 [Nancy Mix]
- ルイジアンナ
Disc 2
- Too Late To Die [Nancy Mix]
- 曇天 [Nancy Mix]
- 一人で大人 一人で子供 [Nancy Mix]
- 俺たちに明日は無い [Nancy Mix]
- ななの少し上に [RADIO EDIT / MONO MIX]
- ecstasy [RADIO EDIT / MONO MIX]
- 毛虫 [RADIO EDIT / MONO MIX]
- マミー [RADIO EDIT / MONO MIX]
- 映画 [RADIO EDIT / MONO MIX]
- 夏なんだな
- プール帰り
- ジェリーロール
- セクシーナンシーモーニングララバイ
- 狼ウルフ
- オクラホマデスカ?
2009.7.3 (Fri)
◆ジョン・ウー『レッドクリフ Part I』(2008/中国=香港=日=韓国=台湾)

★★
Chi bi
トニー・レオン / 金城武 / チャン・フォンイー / チャン・チェン / ヴィッキー・チャオ / フー・ジュン / リン・チーリン / 中村獅童 / ユウ・ヨン / ホウ・ヨン / バーサンジャブ / ザン・ジンシェン / チャン・サン / トン・ダーウェイ / ソン・ジア
エイベックス・マーケティング
スタンダード・エディション 【Amazon】
コレクターズ・エディション 【Amazon】
大軍を擁する曹操(チャン・フォンイー)が荊州を侵略。難民とともに逃走した劉備(ホウ・ヨン)は、呉の孫権(チャン・チェン)に諸葛亮(金城武)を派遣し、共闘をもちかける。呉の軍事は周瑜(トニー・レオン)が取り仕切っていた。
いやー、これはひどい。テレビゲームのプロモーション・ムービーかと思った。一騎当千の武将たちが、並み居る雑魚どもを一方的に虐殺する。これって『三國無双』【Amazon】の世界だよなあ。もちろん、『演義』【Amazon】にもそういう部分はあるけれど、しかしどちらかといえば、一つの武勇伝として控えめな描写に徹していた。それが本作ではある種のカーニバルと化していて(*1)、こうまで嬉々として見せられると、ただひたすら後味が悪い。延々と超人的活躍がつづく戦闘は、ゲームのように予定調和で退屈だった。KOEIが一枚噛んでいるのも頷ける。
ところで、本作の主人公って周瑜だったのね。半分まで観てやっと気がついた。『演義』では何かと諸葛亮の後塵を拝していたのに、この映画では別人のように存在感を増している。小物臭がまったくなくてびっくりした。
2009.7.1 (Wed)
▲町田康『正直じゃいけん』(2006)

★★★
ハルキ文庫 / 2008.5
ISBN 978-4758433402 【Amazon】
エッセイ集。新聞や雑誌に連載された短めのエッセイを多数収録している。「随筆ひとり漫才」、「アナーキー・イン・ザ・3K」、「愛の炸裂」、「大阪のこと」の4セクション。
町田康のエッセイがなぜか好きなんだな。話の内容は大したことないし、今ではマンネリさえ感じているけれど、それでも下町情緒あふれる文体が心地良かったりする。上方漫才とパンクロックが幸福な結婚を果たしているというか。たまに角の立ちそうなことを言っても、最後には上手くオブラートに包んでいて(包みきれないこともあるけど)、その度量の広さに安心感をおぼえる。
パンクロックとはあらゆる現実を否認しながらその果てに現れる虚無と戯れるがごとき音楽で、歌詞等も現実をあほぼけかすひょっとこと罵倒するような歌詞が多く、しかしながらただ罵倒するのもなんなのでそこに税金を負けろとか戦争反対とか風呂で屁をこくなといったスローガンを混入させておく場合が多い。なかには本気で言ってるアホがいるけれども。
これはパンクロックに限らず、ものを書くこと、何かを表現することについての重要な指摘ではなかろうか。私もこのブログで色々尖ったことを書いている──スイーツ(笑)を揶揄したり、偏った見解を述べたりしている──けれど、あれは全て本気で主張しているわけではなく、かといって真っ赤な嘘を言っているわけでもなく、虚構化しているというか作品化しているというか、とにかく景気づけの燃料だと割り切っている部分があるので、読み手の皆さんにおかれましてはあまり深刻に受け止めないでいただきたいと思う今日この頃である。
2009.6.30 (Tue)
▲ロベルト・ボラーニョ『通話』(1997)

★★★
Llamadas Telefonicas / Roberto Bolano
松本健二 訳 / 白水社 / 2009.6
ISBN 978-4560-09003-9 【Amazon】
短編集。「センシニ」、「アンリ・シモン・ルプランス」、「エンリケ・マルティン」、「文学の冒険」、「通話」、「芋虫」、「雪」、「ロシア話をもう一つ」、「ウィリアム・バーンズ」、「刑事たち」、「独房の同志」、「クララ」、「ジョアンナ・シルヴェストリ」、「アン・ムーアの人生」の14編。
ラテン世界の日陰者たちをすくい上げた、やや悲しげな短編集。全体は「通話」「刑事たち」「アン・ムーアの人生」の3部構成になっており、それぞれ違った階層に焦点を当てている。
著者はチリの作家。本邦初紹介という鳴り物入りで登場したわりには、あまり手応えを感じなかった。訳者あとがきには、「ウディ・アレンとタランティーノとボルヘスとロートレアモンを合わせたような奇才」とある。確かに、ボルヘスっぽい部分はあるかな。博識で国際派で、作家ネタを盛り込んでいるところとか。でも、他の3人についてはいまいちよく分からない。とりわけタランティーノはねえ……。どうなんだろうか。
「通話」と「刑事たち」に収められた10編はまあまあ面白かった。けれども、「アン・ムーアの人生」に収められた4編は飛ばし読みだった。実はラテン系って苦手なのかも。こういう本は、気力が充実してないと読むのがしんどい。
以下、各短編について。
通話
「センシニ」
駆け出し作家の語り手が、文学賞への応募をきっかけに、亡命作家センシニと文通するようになる。センシニは各地の文学賞に作品を送り、その賞金で生計を立てていた。
「アンリ・シモン・ルプランス」
同業者からミソっかす扱いされている作家。彼は第2次大戦で重要な役目を果たすも、状況はあまり変わらない。戦後も周囲から遠巻きにされている。
「エンリケ・マルティン」
三流詩人エンリケ・マルティンとの思い出。一時は同人誌が原因で疎遠になるも、ふたたび旧交を温めることになる。
「文学の冒険」
作家のBは、作中で揶揄した作家Aから作品を激賞される。Bはそのことを不審に思う。
「通話」
BはモトカノのXと寄りを戻したのち、再度別れることに。半年後、BはXに無言電話をかける。
刑事たち
「芋虫」
学校をさぼっている少年が、映画のロケ現場で女優からサインをもらう。その後、ストローハットを被った芋虫と会話する。
「雪」
スペインで知り合った男は、ロシアのアンダーグラウンドに身を置いていた。男はオリンピック候補の女と懇ろになる。
「ロシア話をもう一つ」
第2次大戦時のドイツ軍。セビーリャ生まれの新兵が、手違いで親衛隊の基地に送られる。基地はロシア軍に占領され……。
「ウィリアム・バーンズ」
ウィリアム・バーンズは2人の女と同棲中。そこへ人殺しがやってくる。
「刑事たち」
車で移動中の2人の刑事の会話。チリ国内の政治闘争とか。
アン・ムーアの人生
「独房の同志」
女との思い出。彼女は語り手と同じ時期に別の独房に入れられていた。
「クララ」
女との思い出。
「ジョアンナ・シルヴェストリ」
ポルノ女優の語り。
「アン・ムーアの人生」
アン・ムーアの波瀾万丈な人生。
2009.6.29 (Mon)
▽レイモンド・チャンドラー『さよなら、愛しい人』(1940)

★★★★
Farewell, My Lovely / Raymond Chandler
村上春樹 訳 / 早川書房 / 2009.4
ISBN 978-4152090232 【Amazon】
刑務所から出てきたばかりのムース・マロイが、ヴェルマという女を探しに酒場を訪れる。ところが、その行方が分からないうえ、彼ははずみで人を殺して姿を消してしまった。現場に居合わせたフィリップ・マーロウが、マロイとヴェルマを捜索する。
女は僅かに前に身をかがめ、その微笑は一刻み生気を失った。そして何がどう変化したというのでもないのだが、彼女は出し抜けに美しい女であることをやめてしまった。百年前なら危険な女、二十年前なら向こう見ずな女、しかし今ではただのハリウッドの安物女優、そんな女になった。(p.352)
『さらば愛しき女よ』の新訳版。むかし読んだときは、ヴェルマのことを股のゆるいバカ女くらいにしか思ってなかった。今回もその印象は否めなかったけれど、ただ少しだけ見直した部分もある。それはマーロウの推測によって露わになる意外な人間性で、邦題が「さよなら、愛しい人」に改められていることが大きい。
今までは「さよなら」の相手が「女」ということで、マロイ(男)からヴェルマ(女)への愛情がクローズアップされていた。それはまさしく男の世界、「さらば愛しき女よ」の世界だった。ところが、今回「さよなら」の相手が「人」に改変されたことによって、呼びかけの対象が「男」である可能性も出てきた。まるで自動車免許のAT→MTのように、性別による限定が解除されることになった。男でも女でも構わない「さよなら、愛しい人」。ここでクローズアップされるのが、ヴェルマ(女)からグレイル(男)への愛情である(*1)。
そもそも、マロイにとってのヴェルマは、ギャッツビーにとってのデイジー(*2)みたいなもので、過去の象徴にすぎなかったのではないか。恨みをぶつける対象として、けじめをつけるために執着したのではないか。そう考えると、「さよなら、愛しい人」というタイトルは、マロイを主体にするには相当な違和感があって、むしろヴェルマの気持ちを表したと解釈するほうがしっくりくる。マロイ、ヴェルマ、グレイルの3人のなかで、このような別れの言葉を体現できたのは、率先して死を選んだ(=グレイルに気を遣った)ヴェルマだけのように思える。マロイは執着してる相手にあっけなく殺されてるし、グレイルは置いてけぼりを食わされた形だし、男性陣は何かを言えるほどの活躍をしていない。事件の焦点はヴェルマにあるのだから、彼女の内面に寄り添ったほうが物語的に正しいのではないか。何げに邦題の変更は深いと思う。